日本書紀|神功皇后⑯|百済から七枝刀と七子鏡が献上された

スポンサーリンク

多沙城(たさのしろ)

神功50年(250年)

二月 荒田別(あらたわけ)らが新羅より帰還しました。

五月 千熊長彦と久氐らが百済より帰りました。皇太后は、喜ばれて、久氐に

「海西の韓の諸国を、そなたの国に授けた。今また、何事があって来朝したのか。」

と尋ねられました。久氐らは

「天皇の大恩は、遠く卑しい我が国にも及んでいます。我が王は、歓喜踊躍し、心に留めておくこともできず、誠意をお伝えするために罷りこしました。万世に及ぼうとも、何年でも朝貢いたします。」

と答えました。皇太后は詔して、

「善いぞよ、その言葉。私の思う所でもある。」

とおっしゃられて、多沙城(たさのしろ)を加増されて、そこを往還の驛(うまや:宿場)とされました。

 原 文

五十年春二月、荒田別等還之。夏五月、千熊長彥・久氐等、至自百濟。於是皇太后、歡之問久氐曰「海西諸韓、既賜汝國。今何事以頻復來也。」久氐等奏曰「天朝鴻澤、遠及弊邑。吾王歡喜踊躍、不任于心、故因還使、以致至誠。雖逮萬世、何年非朝。」皇太后勅云「善哉汝言、是朕懷也。」増賜多沙城、爲往還路驛。

 ひとことメモ

多沙城(たさのしろ)

多沙城(たさのしろ)は、百済と日本とを行き来する際の、半島側の宿場となった場所で、今の光陽市の蟾津江(ソムジンガン)河口あたりかと思われます。

 

百済との堅い友好関係

神功51年(251年)

三月 百済王が、また久氐を遣わして朝献しました。皇太后は、太子と武內宿禰に

「朕が親交のある百済国は、天からの授かりものであり、人によるものではない。

めでる品物・珍しい品物は、我が国にはなかったものである。それらを毎年欠かさずに朝貢してくる。

朕は、このこのまごころを省み、いつも喜んでいる。朕が存命の時と同じく(私が死んだ後も)、厚く恩恵を与えよ。」

とおっしゃいました。

この年 千熊長彦(ちくまながひこ)を、久氐に副えて百済に遣わしました。そして、大恩を垂れて、

「朕、神の霊験に従い、初めて道路(みち)を開き、海の西の国を平定し、それを百済に授けた。今また、厚く友好を結び、永く恩恵を与えるものなり。」

とおっしゃられました。そこで、百済の王の父子は、並んで地面に額をすりつけて、

「貴国の恩恵は、天地よりも重いものです。いついかなるときも、決して忘れるものではございません。

聖王が上におられますこと、その明るさは日月のようです。今、わたくしめが下に居ますことは、山岳の如く堅固でございます。

永遠に西蕃(にしのみやけ)となり、いつまでも二心をいだくことはございません。」

と申し上げました。

 原 文

五十一年春三月、百濟王亦遣久氐朝貢。於是、皇太后語太子及武內宿禰曰「朕所交親百濟國者、是天所致、非由人故。玩好珍物、先所未有。不闕歲時、常來貢獻、朕省此款、毎用喜焉。如朕存時、敦加恩惠。」

卽年、以千熊長彥、副久氐等遣百濟國、因以、垂大恩曰「朕、從神所驗、始開道路、平定海西、以賜百濟。今復厚結好、永寵賞之。」是時、百濟王父子、並顙致地、啓曰「貴國鴻恩、重於天地、何日何時、敢有忘哉。聖王在上、明如日月、今臣在下、固如山岳、永爲西蕃、終無貳心。」

 ひとことメモ

特にございません。

 

久氐の再々来朝

神功52年(252年)

九月十日 久氐が千熊長彦に従って来朝し、七枝刀一口と七子鏡一面及び種々の宝物を献上しました。た。

そして謹んで、

「我が国の西の方に、河があります。源流は谷那(こくな)の鐵山(かねやま)です。そこは遠くて、七日進んでも辿り着くことはできません。この水を飲み、その山から鉄を取り、末永く献上いたします。

また、百済王が孫の枕流(とむる)王に、

『今、我らが通交している海東の方の貴い国は、天の啓示によってできた。それで天恵を垂れて、海西を分割して、我らにくださったのである。これにより、国の基礎が固まったのだ。そちも友好を尽くし、物産を集めて朝貢を絶やさなければ、もし死んだとしても、心残りは無い。』

と申しておりました。」

と述べた。これよりのちも、毎年朝貢を続けました。

神功55年(255年)

百済王の肖古王(しょうこおう)が薨(みまか)りました。

神功56年(256年)

百済の王子の貴須(くいす)が、王となりました。

 原 文

五十二年秋九月丁卯朔丙子、久氐等從千熊長彥詣之、則獻七枝刀一口・七子鏡一面・及種々重寶、仍啓曰「臣國以西有水、源出自谷那鐵山、其邈七日行之不及、當飲是水、便取是山鐵、以永奉聖朝。」乃謂孫枕流王曰「今我所通、海東貴國、是天所啓。是以、垂天恩割海西而賜我、由是、國基永固。汝當善脩和好、聚歛土物、奉貢不絶、雖死何恨。」自是後、毎年相續朝貢焉。

五十五年、百濟肖古王薨。

五十六年、百濟王子貴須、立爲王。

 ひとことメモ

七枝刀と七支鏡

大和国の石上神宮に、「七支刀」という、刀身から6本の枝が出たような奇妙な形状の古代の鉄剣がありまして、それが、百済が両国の同盟を記念して倭国に贈った「七枝刀」ではないか?ということで、もっか研究が行われているところらしいです。

一方、七支刀と同時に献上された七子鏡は、明治8年に大雨で崩れた大仙陵古墳(仁徳天皇陵)から出土した、背面に7つの突起がある銅鏡ではないかとされています。今は、アメリカのボストン美術館に所蔵されています。

スポンサーリンク