日本書紀|神功皇后⑤|新羅征伐の別伝
別伝 その一
ある話では、、、
仲哀天皇が筑紫の橿日宮に居られました。神が沙麼縣主(さばのあがたぬし)の祖の内避高国避高松屋種(うつひこくにひこまつやたね)に依りついて、天皇に
「御孫尊が、もし宝の国を手に入れようと望まれるのであれば、望みどおりに与えよう。」
とおっしゃられ、続けて
「琴を持ってきて、皇后に渡しなさい。」
ともおっしゃられました。神のお言葉どおりに皇后が琴を奏でられると、皇后が神憑りされて、
「今、天皇が望む国は、鹿の角のような中身の無い国である。
今、天皇が乗っておられる船と穴戸直(あなとのあたひ)の踐立(ほむたち)が献上した大田(おほた)という水田を幣として、私をよく祀るならば、
美女の眉びきのような、金銀がたくさんあり、眼にもまばゆい国を天皇に与えよう。」
とおっしゃられました。天皇は神に
「神とはいえども、どうして戯言をおっしゃるのでしょう。
いったい何処に国があるというのですか?
朕の乗る船を神に献上したらなば、いったい私はどの船に乗ればよいのですか?
それに、まだ何という神かも知りませんので、まずはお名前をお聞かせ願いたい。」
とおっしゃいました。神は、その名を、
「表筒雄・中筒雄・底筒雄」
と三神の名をおっしゃられ、更に重ねて、
「私の名は、向匱男聞襲大歴五御魂速狭騰尊(むか ひつ を も おそ ほ ふ いつ の み たま はや さ あがり の みこと)である。」
とおっしゃられました。天皇は皇后に、
「何と聞きずらい事をいう女だ。なぜに、速狹騰(はやさあがり)などというのだ。」
すると、神は天皇に
「汝王がそんなふうに信じないのならば、決してその国を手に入れることはあるまい。ただし、今、皇后が懐妊した。思うに、その子がその国を得ることもあるやもしれんの。」
とおっしゃられました。この夜に、天皇は急に発病して崩御されました。
その後、皇后は、神の教えどおりにお祭りし、皇后は男装して新羅を征伐された。その時、神が宿って導いてくれたので、御船を乗せた波は、遠く新羅の国の中にまで届きました。
そこに新羅王の宇流助富利智干(うるそほりちか)が出迎えに来て、跪(ひざまづ)き、王の船に頭をつけて、
「わたくしめは、今より後は、日本国におられます神の御子に、内官家(うちつみやけ)として、絶えることなく朝貢いたします。」
と申し上げました。
と、伝わります。
原 文
一云、足仲彥天皇、居筑紫橿日宮。是有神、託沙麼縣主祖內避高國避高松屋種、以誨天皇曰「御孫尊也、若欲得國耶、將現授之。」便復曰「琴將來以進于皇后。」則隨神言而皇后撫琴。於是、神託皇后、以誨之曰「今御孫尊所望之國、譬如鹿角、以無實國也。其今御孫尊所御之船及穴戸直踐立所貢之水田、名大田爲幣、能祭我者、則如美女之睩而金銀多之眼炎國、以授御孫尊。」時天皇對神曰「其雖神何謾語耶、何處將有國。且朕所乘船、既奉於神、朕乘曷船。然未知誰神、願欲知其名。」
時、神稱其名曰「表筒雄・中筒雄・底筒雄。」如是稱三神名、且重曰「吾名、向匱男聞襲大歷五御魂速狹騰尊也。」時天皇謂皇后曰「聞惡事之言坐婦人乎、何言速狹騰也。」於是、神謂天皇曰「汝王如是不信、必不得其國。唯今皇后懷姙之子、蓋有獲歟。」是夜天皇忽病發以崩之。 然後、皇后隨神教而祭、則皇后爲男束裝征新羅、時神留導之、由是隨船浪之遠及于新羅國中。於是、新羅王宇流助富利智干、參迎跪之、取王船卽叩頭曰「臣自今以後、於日本國所居神御子、爲內官家、無絶朝貢。」 |
ひとことメモ
速狹騰(はやさあがり)
速狹騰(はやさあがり)とは、「早死」という意味です。
この別伝が、本文における「あるいは、仲哀天皇は神の怒りをかって崩御した」の根源でしょう。
実際には、各地の伝承によると、仲哀天皇は熊襲征伐の時に受けた傷がもとで崩御なさったようですよ。
別伝 その二
また、ある話では、、、
新羅の王を捕虜にして、海岸につきました。そこ王の膝の筋を抜き取り、石の上に腹ばいにさせ、突然斬って砂の中に埋めました。その後、一人を留め置いて新羅の宰(みこともち)とし、皇后は帰国されました。
その後、新羅王の妻は、夫の遺体を埋めた場所を知らなかったので、宰を誘惑して、
「あなたが王の遺体を埋めた場所を教えてくれたら、必ず厚くお礼をしますよ。そして、あなたの妻になりましょう。」
と言いました。宰はその誘いを信じて、埋葬場所を秘かに教えてしまいました。王の妻と国人と共謀して、宰を殺し、王の遺体を掘り出して、別の場所に埋葬しました。
そのとき、宰の遺体を王の墓の底に埋め、王の棺をその上に置いて、
「尊卑の順序とは、こうあるべきである。」
と言いました。
天皇はこれを聞かれ、大変お怒りになり、大軍を起こして新羅を滅ぼそうと思われました。
海に満ちた軍艦が進撃しましたので、これを見た新羅の国人は恐れて、なす術もありませんでした。すぐに皆で共議して、王の妻を殺し謝罪しました。
と伝わります。
原 文
一云、禽獲新羅王、詣于海邊、拔王臏筋、令匍匐石上、俄而斬之埋沙中。則留一人、爲新羅宰而還之。然後、新羅王妻、不知埋夫屍之地、獨有誘宰之情、乃誂宰曰「汝、當令識埋王屍之處、必敦報之。且吾爲汝妻。」於是宰信誘言、密告埋屍之處、則王妻與國人、共議之殺宰、更出王屍葬於他處。乃時取宰屍、埋于王墓土底、以舉王櫬、窆其上曰「尊卑次第、固當如此。」於是天皇聞之、重發震忿、大起軍衆、欲頓滅新羅。是以、軍船滿海而詣之、是時新羅國人悉懼、不知所如、則相集共議之、殺王妻以謝罪。 |
ひとことメモ
いつの時代も男はバカですね。自分たちが殺した王の、その妻が言い寄ってきて、なんで騙されるんでしょうかね。
それは置いといて、
朝鮮半島は、卑しい者と尊い者の序列を明確にする文化を待つようです。儒教の影響でしょう。ここに、この逸話を挟む目的は、新羅人はそのような文化を持つ民族であることを強調しておきたかったということでしょうか。
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