日本書紀|神功皇后⑥|穴門の山田邑
穴門の山田に住吉三神の荒魂を祀る
さて、軍団を守護してくださった表筒男・中筒男・底筒男の三神は、皇后に
「我が荒魂(あらみた)を穴門(あなと)の山田邑(やまだのむら)に祭りなさい。」
とおっしゃられました。
その時、穴門直(あなとのあたひ)の祖の踐立(ほむたち)と、津守連(つもりのむらじ)の祖の田裳見宿禰(たもみのすくね)が、皇后に、
「神が鎮まりたいとおっしゃる場所は、必ずそのようにお決めになるべきと存じます。」
と申し上げました。
そこで、皇后は、践立を荒魂を祭る神主として、穴門の山田邑に御祠(おやしろ)をお建てしました。
原 文
於是、從軍神、表筒男・中筒男・底筒男三神、誨皇后曰「我荒魂、令祭於穴門山田邑也。」時穴門直之祖踐立・津守連之祖田裳見宿禰、啓于皇后曰「神欲居之地、必宜奉定。」則以踐立爲祭荒魂之神主、仍祠立於穴門山田邑。 |
ひとことメモ
穴門山田邑の住吉神社
帰還した皇后は、神の教えにより穴門の山田邑に「住吉三神」の「荒魂」を、践立を神主として、お社を立てて祀りました。
山口県下関市一の宮住吉1丁目に鎮座する長門一宮「住吉神社」がそれです。千鳥破風をあしらった五連結の流造の本殿は、重厚にして優雅。国宝に指定されています。
さて、この住吉神社は名神大社にも列する由緒ある霊験あらたかな神社ですから、大阪の住吉大社、博多の住吉神社とあわせて、日本三大住吉のひとつに数えられています。
日本三大住吉
日本三大住吉は、
- 長門(穴門)の住吉神社は、荒魂を祀ったから。
- 大阪湾の住吉大社は、和魂を祀ったから。
- 博多の住吉神社は、、、??
博多の住吉神社が日本三大住吉の仲間入りをしているのは何故でしょう。
それは、新羅征伐に向かう直前の記述にヒントがあります。
住吉三神が「和魂は王の身に付いて御命を守り、荒魂は先鋒となって艦隊を導こう。」と教えたとき、皇后は依網吾彦男垂見(よさみの あびこ をたるみ)を神主とした。 |
神主を決めたところで話は終わっちゃってますが、神主を決めたということは、お祭りしたということなんです。その場所が、那珂川の河口の住吉神社のある場所なんです。ですから、日本で最も早くに創祇された住吉神社は、博多住吉神社なんです。
というのが、神社側の主張なんですが、私もそう思っています。
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