第一代 神武天皇①|東征前夜

2020年6月22日

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彦火火出見

神日本磐余彦天皇(かむやまといはれびこのすめらみこと)は、諱(いみな)を彦火火出見(ひこほほでみ)といいます。

彦波瀲武鸕草葺不合命(ひこなぎさ たけう かやふき あえずのみこと)の第四子で、母は玉依姫といい、海神の次女です。

天皇は生まれながらにして聡明で、確固たる意志の持ち主でした。

●御年15歳の時に皇太子になりました。

●長じて、日向国(ひむかのくに)吾田邑(あたのむら)の吾平津媛(あひらつひめ)を娶られて、手硏耳命(たぎしみみのみこと )が生まれました。

東征発議の詔

●45歳の時、兄たちや子どもたちに、次のように勅されました。

「昔、我が天神(あまつかみ)の高皇産霊尊(たかみむすひのみこと)・大日孁尊(おほひるめのみこと)は、この豊葦原瑞穂国(とよあしはらのみつほのくに)をすべて、我が天祖(あまつみおや)の彦火瓊瓊杵尊(ひこほのににぎのみこと)にお授けになられた。

そして、火瓊瓊杵尊は天の門を押し開き、雲路を押し分け、先払いの神を行かせて地上に天降りられた。

この時の世は太古にして、草創の時であった。そんな闇の中にあって、正しい道を養い、この西の果ての地を治められた。

皇祖や皇父も、これ神にして聖。慶事を積み重ね光を重ねて、多くの年月を経てきた。

天祖が降臨されてから今日まで、179万2470余年の歳月が流れたのである。しかしながら、ここから遠く離れた国は、今なお我が皇祖の統治に浴していない。

大きな邑(むら)には君がおり、小さな村には長(おさ)がいて、互いに境界を勝手に区切っては侵し合っている。

さて、そこで、鹽土老翁(しほつちのをぢ)が言うには

『東の方に美しい場所があります。そこは、四方を青山が取り囲んでいます。天磐船(あめのいはふね)でそこに降り立った者もいます。』

とのことであった。

思うに、その土地は天つ日嗣の大業を行うために都合のよい土地であり、我が国の中心であろう。

その飛び行き降臨したというのは饒速日(にぎはやひ)だろうか。だとすれば、その地行って都を定めようではないか。」

とおっしゃられました。

諸皇子は、

「その道理、まさに明らかです。我々はいつも同じ思いでおります。速やかに決行してください。」

と申し上げました。

この年の太歲(たいさい)は甲寅(前667)でした。

 原文

神日本磐余彥天皇、諱彥火火出見、彥波瀲武鸕鷀草葺不合尊第四子也。母曰玉依姬、海童之少女也。天皇生而明達、意礭如也、年十五立爲太子。長而娶日向國吾田邑吾平津媛、爲妃、生手硏耳命。

及年卌五歲、謂諸兄及子等曰「昔我天神、高皇産靈尊・大日孁尊、舉此豐葦原瑞穗國而授我天祖彥火瓊々杵尊。於是火瓊々杵尊、闢天關披雲路、驅仙蹕以戻止。是時、運屬鴻荒、時鍾草昧、故蒙以養正、治此西偏。皇祖皇考、乃神乃聖、積慶重暉、多歷年所。自天祖降跡以逮于今一百七十九萬二千四百七十餘歲。而遼邈之地、猶未霑於王澤、遂使邑有君・村有長・各自分疆用相凌躒。抑又聞於鹽土老翁、曰『東有美地、靑山四周、其中亦有乘天磐船而飛降者。』余謂、彼地必當足以恢弘大業・光宅天下、蓋六合之中心乎。厥飛降者、謂是饒速日歟。何不就而都之乎。」諸皇子對曰「理實灼然、我亦恆以爲念。宜早行之。」是年也、太歲甲寅

 かんたん解説

正しい道を養い、慶事を積み重ね、光を重ねて

養正・積慶・重暉。これを「皇道三綱」と呼ぶらしいです。

  • 養正・・・正邪を別ける判断力を養い
  • 積慶・・・人民の喜びを重ねて
  • 重暉・・・自らの輝きで人民を照らし続ける

これが、日本の政治の在り方ということなのでしょう。

饒速日

さあ、出ました。謎の天神「饒速日」(にぎはやひ)

「天磐船に乗って空を飛び、河内国河上の哮ヶ峯(たけるがみね)に降り立った天神」と先代旧事本紀にあります。

さらに先代旧事本紀では、天忍穂耳尊の御子の天火明命と同一神とされています。であれば、瓊瓊杵尊の兄弟ということになりますが、、、

謎の神ですが、神武天皇をして「饒速日が降り立った場所は、きっとそこが日本の中心なんだろう。そこに行こう!」と思わせる何かがある、詳しく語ることは出来ないが無視できない、大変な重要人物だったのでしょうね。

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