第一代 神武天皇⑩|東征伝承とルート~熊野から吉野宮滝~

2020年6月22日

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八咫烏の登場

皇軍は国の中心に向かおうとしましたが、山中は険しく、通れる道も見つかりません。遂に、行くべき道も渡るべき川もわからなくなってしまい、動けなくなりました。

そんなある夜、天皇は夢を見ました。その夢は、、、、

天照大神が、

「朕は今、頭八咫烏(やたがらす)を遣わしたので、それを道案内とするがよかろう。」

とおっしゃられた。

という夢でした。

そこへ、そのとおりに頭八咫烏が飛んできたので、天皇は

「この鳥が来たということは、まさに吉祥の夢である。

偉大なり!燦然なり!我が皇祖天照大神が、天下平定の大業をお助けになろうと願われているではないか!」

とおっしゃられました。

莬田に到着

この時、大伴氏の遠祖である日臣命(ひのおみのみこと)が、大軍団の将軍として、大来目(おほくめ)を率い、山道を踏み分けて進み、頭八咫烏の向かう所を、仰ぎ見ながら追って行きました。

そして遂に莬田の下縣(うだのしもつこおり)に到着することができました。そこでここを、莬田の穿邑(うかちのむら)といいます

そして、この功績により、天皇は

「そのほう、日ごろの忠義と勇気に加えて、このたびの先導役の功績甚だし。よってこれよりは、名を道臣(みちのおみ)と改めるがよい。」

と勅して日臣命を誉めました。

 原文

于時、天皇適寐。忽然而寤之曰「予何長眠若此乎。」尋而中毒士卒、悉復醒起。既而皇師、欲趣中洲、而山中嶮絶、無復可行之路、乃棲遑不知其所跋渉。時夜夢、天照大神訓于天皇曰「朕今遣頭八咫烏、宜以爲鄕導者。」果有頭八咫烏、自空翔降。天皇曰「此烏之來、自叶祥夢。大哉、赫矣、我皇祖天照大神、欲以助成基業乎。」是時、大伴氏之遠祖日臣命、帥大來目、督將元戎、蹈山啓行、乃尋烏所向、仰視而追之。遂達于菟田下縣、因號其所至之處、曰菟田穿邑。穿邑、此云于介知能務羅。于時、勅譽日臣命曰「汝忠而且勇、加能有導之功。是以、改汝名爲道臣。」

 かんたん解説

頭八咫烏

サッカー日本代表のエンブレムでお馴染みの、三本足の大きなカラスです。記紀には三本足とは書かれてませんが、一般的にそうなってます。

カラスが道案内をしたというのもどうなんかな?と思うわけで、これを人物に当てはめる試みがなされるわけです。

「新撰姓氏録」には、八咫烏は高皇産霊尊(たかみむすひのみこと)の子孫で、賀茂建角身命(かもたけつのみのみこと)であると記されていますが、神武天皇とは時代的に合わないので、その孫の生玉兄日子命とするのが一般的な解釈のようです。

八咫烏は名草戸畔征伐の際にも登場します。記紀ではなく地元の伝承としてです。

紀伊山地の地理に詳しかったんでしょうね。

莬田の穿邑

奈良県宇陀市菟田野宇賀志(うたのうかし)に、神武天皇聖蹟菟田穿邑顕彰碑があります。ここらへんが穿邑で、最終的にはここに宮を築きます。がしかしそれはまだまだ先の話。

新宮あたりから宇陀の穿邑までの記述がありませんので、各地に残る伝承を辿ってみましょう。

  • 熊野本宮・・・社伝によると、高倉下は熊野本宮の地に住んでいたとされています。
  • 十津川村の折立・・・神武天皇の滞在伝承あり。天皇が「降り立った」から「折立(おりたち)」かな?
  • 十津川村の玉置・・・玉置山の「玉石」の上に神宝を置いて祭祀を行った伝承。
  • 下北山村の上桑原・・・西村山に神武天皇が座って休憩した「じんむさん」と呼ばる石あり。
  • 上北山村の河合・・・宇陀へ向かう時に発見した「薬師湯」(上北山温泉)あり。
  • 上北山村の河合・・・戦病死者を埋葬した塚が近くにあり「天皇塚」と称される。
  • 大台ヶ原・・・魔物を封じ込めたという牛型の石があるので「牛石ヶ原」。国見伝承あり
  • 川上村の井光・・・古事記では、このあたりで井氷鹿に出会ったとあり。日本書記ではエウカシを誅殺した後。おそらく、募兵で1回、戦勝の御礼にもう1回と2回訪問したと思われる。
  • 吉野町の国栖・・・古事記では、このあたりで石穂押分命の子に出会ったとあり。日本書記ではエウカシを誅殺した後。おそらく、募兵で1回、戦勝の御礼にもう1回と2回訪問したと思われる。
  • 吉野町の宮滝・・・ここに仮宮を造営し、宇陀進攻のための大本営とした。
  • 東吉野村の高見山・・・八咫烏を祀る「高角神社」あり。ここから宇陀の地形を視察したと伝わる。

こうして宇陀の手前までやってきました。次は宇陀の平定に向かいます。

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