第一代 神武天皇⑬|東征伝承とルート~国見丘の戦い~

2020年6月22日

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国見丘の戦い

同年(前663)

冬 10月1日。天皇は、その厳瓮の神饌を召し上がり、兵を整えて出陣されました。

まずは、国見丘で八十梟師(やそたける)を攻撃し、これを撃破しました。この役(えき:戦い)では、天皇は必勝の志を持ち続けました。そこで、詠まれた歌は、

神風の(枕詞)伊勢の海の大岩を這いまわる
細螺(しただみ)の、細螺(しただみ)の
我が兵士よ、我が兵士よ、
我々も細螺(しただみ)のように這い回り、
打ち砕かずにはおくものか、打ち砕かずにはおくものか

謠の意は、大石を目の前の国見丘に例えたものです。

残党狩り

戦いの後も残党が多く、残党たちの気持ち(投降するかどうか)は推測し難く、思いめぐらした天皇は道臣命に、

「あなたは、大来目部(おほくめら)を率いて、忍坂邑(おさかのむら)に大きな室を作り、そこで饗宴を盛大に催して、敵を誘い出して討ち取れ。」

と命じられました。

道臣命は、この密命を受けて忍坂に穴を掘って、勇猛な兵士を選んで、敵の間に座らせた。そして、

「宴酣(えんたけなわ)の後、私が歌を歌う。お前たちは私の歌を聞いたら、一斉に敵を刺せ。」

と、密かに取り決めをしました。

それぞれ座が定まり酒盛りが始まり、敵は陰謀があることも知らずに、欲に任せて酔いました。

この時、道臣命が詠んだ合図の歌は、

忍坂の大きな岩屋に、
人が大勢入っていても、
敵は大勢入って来ても、
御稜威を頂く来目の兵士らが
頭椎や石推でもって、
打ち砕かずにはおくものか

我らが兵士は歌を聞くや、一斉にその頭椎剣を抜き、一気に敵を殺しました。

皇軍は大いに喜び、天を仰いでお笑いになって詠んだ歌は、

今はもう、今はもう、
ああこんちくしょうめ。(討ち取ってやったぜ)
今こそは、我が兵よ、
今こそは、我が兵よ。(喜びを分かち合おうぜ)

今、来目部が歌った後で、大笑するのは、これが起源なのです。

さらに詠んだ歌は、

蝦夷は一騎当千の兵だと人は言うけれども
我が兵には抵抗もしなかったぜ

これらの歌は皆、天皇の密命を承って歌ったもので、自分勝手に歌ったものではありません。

天皇は、

「戦に勝って驕ることのないのは、良将の行いなり。

今、大きな敵は滅んだが、同じような敵は十数軍も残っており、その状況は判らぬ。

一所に留まり、それらを制することが無いのは如何なものか。」

とおっしゃって、別の場所で兵を休ませました。

 原文

冬十月癸巳朔、天皇嘗其嚴瓮之粮、勒兵而出。先擊八十梟帥於國見丘、破斬之。是役也、天皇志存必克、乃爲御謠之曰、

伽牟伽筮能 伊齊能于瀰能 於費異之珥夜 異波臂茂等倍屢 之多儾瀰能 之多儾瀰能 阿誤豫 阿誤豫 之多太瀰能 異波比茂等倍離 于智弖之夜莽務 于智弖之夜莽務

謠意、以大石喩其國見丘也。既而餘黨猶繁、其情難測、乃顧勅道臣命「汝、宜帥大來目部、作大室於忍坂邑、盛設宴饗、誘虜而取之。」道臣命、於是奉密旨、掘窨於忍坂而選我猛卒、與虜雜居、陰期之曰「酒酣之後、吾則起歌。汝等聞吾歌聲、則一時刺虜。」已而坐定酒行、虜不知我之有陰謀、任情徑醉。時道臣命、乃起而歌之曰、

於佐箇廼 於朋務露夜珥 比苔瑳破而 異離烏利苔毛 比苔瑳破而 枳伊離烏利苔毛 瀰都瀰都志 倶梅能固邏餓 勾騖都都伊 異志都々伊毛智 于智弖之夜莽務

時、我卒聞歌、倶拔其頭椎劒、一時殺虜、虜無復噍類者。皇軍大悅、仰天而咲、因歌之曰、

伊莽波豫 伊莽波豫 阿阿時夜塢 伊莽儾而毛 阿誤豫 伊莽儾而毛 阿誤豫

今、來目部歌而後大哂、是其緣也。又歌之曰、

愛瀰詩烏 毗儾利 毛々那比苔 比苔破易陪廼毛 多牟伽毗毛勢儒

此皆承密旨而歌之、非敢自專者也。時天皇曰「戰勝而無驕者、良將之行也。今魁賊已滅、而同惡者、匈々十數群、其情不可知。如何久居一處、無以制變。」乃徙營於別處

 かんたん解説

神武天皇の成長

まずは、全力で国見丘の八十梟師(やそたける)を攻撃します。磐余邑の敵本隊や男坂から援軍が来る前に制圧する必要がありますから時間勝負です。決死の覚悟で戦ったことでしょう。

この勝利で、戦局は大きく動いたはずです。

皇軍の勢力範囲は、伊那佐山~男坂ラインあたりまで北上したことでしょう。

しかし、残党もたくさんいました。今度は、この残党が敵本隊に合流する前に掃討する必要があります。

そこで、別動隊を仕立てて忍坂に向かわせました。今度は総攻撃ではなく策略戦です。そして、この残党掃討作成は見事に成功しました。

河内の孔舎衙坂の敗戦で辛酸を舐めた神武天皇ですが、名草・丹敷・熊野・宇陀穿邑などの幾多の戦いの中で多くを学んだのでしょう。どんどん戦上手になっていく様子が描かれています。

忍坂邑の大室

一般的には、桜井市大字忍坂の忍坂郵便局あたりだと言われています。「忍坂邑の、、、」とありますので、ここらあたりなんでしょうけど、、、

この場所は、あまりにも兄磯城の本隊が集う磐余邑に近すぎるのです。近いというより敵の勢力範囲の真ん中とも言える危ない場所です。

もっと宇陀に近いところ、桜井と宇陀の境目あたりが望ましいと思います。例えば、男坂(半坂)とか女坂(女寄坂)とかの付近ですね。

大宇陀に岩室という地名があります。ここなら、皇軍と賊軍の境界線あたりでしょうから、いい感じなんですが、、、

大来目部

一般的には久米部。戦闘を専門とする職業部です。強いはずです。

また久米部は、瓊瓊杵尊が降臨する際に露払いとして先頭にたった天久米命に始まる氏族とされています。忠誠心も高いです。

久米部が出陣する際や凱旋の際には、久米歌を歌いながら久米舞を舞ったと言われています。

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