日本書紀|第一代 神武天皇⑭|東征伝承とルート~兄磯城の滅亡~

2020年10月29日

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八咫烏の勧告

同年(前663)

冬 11月7日。皇軍は大挙して磯城彦(しきひこ)を攻めることになりました。

まずは兄磯城(えしき)に使者を遣わせて呼び出しましたが、兄磯城は命に応じませんでした。

さらに、頭八咫烏(やたからす)を遣わせて呼び出しました。頭八咫烏は、その陣営に着くと、

「天神子(あまつみこ)がおまえをお呼びである。さあ、さあ。」

といいました。

兄磯城は怒って、

「天の威圧の神が来ると聞いて、俺は憤慨しているのに、なんで烏鳥(からす)が不吉な声で鳴くのじゃ!」

と言って弓で射ました。

烏はすぐに逃げ去り、弟磯城(おとしき)の家で、

「天神子がおまえをお呼びである。さあ、さあ。」

と言いました。弟磯城は畏れ入って、

「天の威圧の神がお越しになられると聞いて、朝夕に畏れかしこまっていました。善き烏よ。おまえがこのように鳴いてくれて。」

と言って、葉盤(ひらで)八枚を作り、食べ物を盛って御馳走してあげました。

そして、烏に従って参上し、

「私の兄の兄磯城が、天神子が来られると聞いて、八十梟帥を集め、兵を整えて、決戰の準備をしています。早く策を講じてください。」

と申し上げました。

弟磯城による説得

天皇は、諸将を集めて、

「やはり兄磯城には逆賊の意思があるようだ。呼んでもまた来なかった。さて、どうするか。」

と尋ねました。すると諸将は、

「兄磯城は悪賢いヤツです。先ずは、弟の弟磯城に兄磯城を説得させましょう。併せて兄倉下(えくらじ)と弟倉下(おとくらじ)も説得しましょう。それでも帰順しなかった時に挙兵しても遅くはないでしょう。」

と答えました。

使いの弟磯城は、利害を説明して説得しました。しかし、兄磯城らは、なおも愚かな策略を守り、承服しませんでした。

 原文

十有一月癸亥朔己巳、皇師大舉、將攻磯城彥。先遣使者徵兄磯城、兄磯城不承命。更遺頭八咫烏召之、時烏到其營而鳴之曰「天神子召汝。怡奘過、怡奘過。過、音倭。」兄磯城忿之曰「聞天壓神至而吾爲慨憤時、奈何烏鳥若此惡鳴耶。壓、此云飫蒭。」乃彎弓射之、烏卽避去、次到弟磯城宅而鳴之曰「天神子召汝。怡奘過、怡奘過。」時弟磯城惵然改容曰「臣聞天壓神至、旦夕畏懼。善乎烏、汝鳴之若此者歟。」卽作葉盤八枚、盛食饗之。葉盤、此云毗羅耐。因以隨烏、詣到而告之曰「吾兄々磯城、聞天神子來、則聚八十梟帥、具兵甲、將與決戰。可早圖之。」

天皇乃會諸將、問之曰「今、兄磯城、果有逆賊之意、召亦不來。爲之奈何。」諸將曰「兄磯城、黠賊也。宜先遣弟磯城曉喩之幷說兄倉下弟倉下。如遂不歸順、然後舉兵臨之、亦未晩也。倉下、此云衢羅餌。」乃使弟磯城、開示利害。而兄磯城等猶守愚謀、不肯承伏。

 かんたん解説

敵勢力の分断

エウカシ・オトウカシの時と同様に、まずは磯城彦軍から弟磯城を離反させて勢力を削ぐ作戦です。この作戦には八咫烏(賀茂建角身命)を遣わしました。

思えば、名草戸畔戦、丹敷戸畔戦、ウカシ戦、、、いずれも勢力を分断して片方を味方につける戦略を取っています。

首長と次長の仲は決して良くはないのでしょう。次長の「あわよくば自分が長になってやろう」という気持ちを巧く衝いたんでしょうかね。

兄倉下、弟倉下

この兄倉下と弟倉下は何者でしょう。この二人は兄磯城とともに神武天皇に敵対しました。

高倉下と同族という説があります。高倉下と同族となれば饒速日尊の一族とも言えましょう。

ちなみに、大阪府交野市に「倉治」という地名があります。「くらじ」と読みます。交野市と言えば饒速日の降臨伝説がある地域です。

いずれにしても、兄倉下と弟倉下は、饒速日に近い存在だったと思います。

 

兄磯城との決戦

そこで、椎根津彦が戦略を考えて、

「まずは先鋒として、女軍を忍坂から攻め込ませます。これを見た敵は、必ずや精鋭部隊のすべてを動員して対抗してくるでしょう。

そこで、我らの精鋭部隊を駆けさせて、手薄となった墨坂(すみさか)に向かわせ、莬田川の水を取って炭火を消して、速やかに不意を衝けば、きっと破れるでしょう。」

と申し上げました。

天皇はその戦略を善しとしたので、女軍を出陣させて敵陣に対峙させました。すると敵は全軍を集めてこれを待ち受けました。

 

さてここまで、皇軍は攻めては取り、戦えば必勝してきましたが、やはり兵は疲れていないはずがありません。それを察した天皇は、歌によって将兵の心を慰めました。その歌は、

盾を並べ、伊那嵯山の木の間から、
見張りをしながら戦えば、
われらは飢えた
島つ鳥(枕詞)鵜飼の部の友
すぐに助けに来てくれよ

戦略の通り、男軍は墨坂を越え、敵を挟撃して破り、その首領の兄磯城等を斬り殺しました。

 原文

時、椎根津彥、計之曰「今者宜先遣我女軍、出自忍坂道。虜見之必盡鋭而赴。吾則駈馳勁卒、直指墨坂、取菟田川水、以灌其炭火、儵忽之間出其不意、則破之必也。」天皇善其策、乃出女軍以臨之。虜謂大兵已至、畢力相待。先是、皇軍攻必取、戰必勝、而介胃之士、不無疲弊。故、聊爲御謠、以慰將卒之心焉、謠曰、

哆々奈梅弖 伊那瑳能椰摩能 虛能莽由毛 易喩耆摩毛羅毗 多多介陪麼 和例破椰隈怒 之摩途等利 宇介譬餓等茂 伊莽輸開珥虛禰

果以男軍越墨坂、從後夾擊破之、斬其梟帥兄磯城等。

 かんたん解説

伊那嵯山

宇陀市榛原山路に聳える伊那佐山が比定地です。

ここからは、国見丘(音羽三山)や男坂、女坂、墨坂が一望できますから、展望楼としては最適な場所と言えます。

鵜飼の部の友よ

おそらくは、吉野の視察で味方につけた鵜飼部を指すと思います。

椎根津彦の戦略

椎根津彦が提案した戦略を図にしてみました。全然違うかもしれませんが、でも、誰もわかりませんので、、、

①神武側女軍が伊奈佐山から女寄峠を越えて忍坂方面へ進軍。
②同時に、墨坂から見えないように伊奈佐山の東麓から精鋭軍が進軍して待機。
③墨坂軍が①の神武側女軍を発見して追撃に向かう。
④連絡を受けた磐余邑の兄磯城軍も、女軍に向かって進軍を開始。
⑤精鋭部隊が手薄になった墨坂を攻撃し速やかに制圧。
⑥精鋭部隊が、進軍中の墨坂軍を背後から攻撃し壊滅させる。
⑦そのまま女軍に合流。兄磯城軍はビックリ。
⑧三輪にいた弟磯城軍が、兄磯城軍の背後を襲う。兄磯城軍は混乱。
⑨そこに、精鋭部隊の別動隊が合流。兄磯城、万事休す。

ってな感じで、想像してみました!

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