第一代 神武天皇⑮|東征伝承とルート~長髄彦との決戦~

2020年6月22日

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長髄彦との決戦

同年(前663)

冬 十二月四日 皇軍は遂に長髄彦(ながすねひこ)を攻撃しましたが、戦を重ねるもなかなか勝つことができませんでした。

そんな時、忽然と天が陰り氷雨が降ってきたかと思うと。金色の霊鵄(とび)が飛んできて、天皇の弓の弭(はず)に止まり、光輝き、その様子はまるで稲光のようでした。

その為に、長髄彦軍の兵士は目がくらんで、戦うことができなくなりました。

ところで、長髄(ながすね)というのは、もともと邑の名前であったものが、人の名にもなったものです。この地で、皇軍が鵄の閃光で勝利を得たことに因んで、時の人が鵄邑(とびむら)というようになり、今、鳥見(とりみ)というのはこれが訛ったものなのです。

昔、孔舎衛の戦で五瀬命が敵の矢が命中して薨去されたので、天皇はこれを心に留め、常に怒り恨んでいましたので、この役(戦)に至っては、必ずや長髄彦を殺そうと思われていましたので、そこで詠まれた歌は、

御稜威を戴く来目の兵士らの
家の垣根の傍の粟畑には、韮(にら)が一本。
その根から芽までを一続きで抜き取るように
打ち砕かずにはおくものか

また、歌を詠まれて、

御稜威を戴く来目の兵士らの
家の垣根の傍に植えた山椒は、
口の中がヒリヒリする。
我らはあの苦しさを忘れない
打ち砕かずにはおくものか
こうして、再び出陣させて急襲しました。

これらの歌は久目歌といいます。これを歌った人を指して名付けたものです。

 原文

十有二月癸巳朔丙申、皇師遂擊長髄彥、連戰不能取勝。時忽然天陰而雨氷、乃有金色靈鵄、飛來止于皇弓之弭、其鵄光曄煜、狀如流電。由是、長髄彥軍卒皆迷眩、不復力戰。長髄、是邑之本號焉、因亦以爲人名。及皇軍之得鵄瑞也、時人仍號鵄邑、今云鳥見是訛也。昔孔舍衞之戰、五瀬命中矢而薨、天皇銜之、常懷憤懟、至此役也、意欲窮誅、乃爲御謠之曰、

瀰都瀰都志 倶梅能故邏餓 介耆茂等珥 阿波赴珥破 介瀰羅毗苔茂苔 曾廼餓毛苔 曾禰梅屠那藝弖 于笞弖之夜莽務

又謠之曰、

瀰都々々志 倶梅能故邏餓 介耆茂等珥 宇惠志破餌介瀰 句致弭比倶 和例破涴輸例儒 于智弖之夜莽務

因復縱兵忽攻之、凡諸御謠、皆謂來目歌、此的取歌者而名之也

 かんたん解説

金色の霊鵄(とび)

大日本名将鑑に掲載されている「神武天皇」。弓にとまった金鵄が光を放って、長髄彦軍の目をくらませている図ですね。

さて、天皇の即位の礼で掲げられる錦の御旗「大錦旗」の一つに、「霊鵄形大錦旛」という金鵄が刺繍された旗があります。

対になる形で「頭八咫烏形大錦旛」があります。もちろん八咫烏が刺繍されているわけです。

この二つの御旗は、太陽の御旗・月の御旗の次に掲げられるそうですよ。

皇室にとって、金鵄と八咫烏が極めて重要な霊鳥と見なされているかがわかりますね。

鵄山・鵄邑

候補地は、桜井市外山と生駒市上町。

前述の通り神武軍は兄磯城との戦いに勝利したので、桜井市は神武天皇の支配地となっているはず。ここで長髄彦と戦争するのはおかしいと感じます。やはり生駒市でしょう。

鵄山は、けはんな線「学研北生駒駅」の北に見える森で、富雄川を挟んだ対岸の丘陵地が長髄彦の本拠地ですから、ここが戦場だったのだろうと思います。

そこから少し南の「出垣内」というバス停の東側に、鵄邑の伝承地があります。

神武軍は、まずは鵄邑を大本営として、鵄山に進軍し戦いに挑んだのだろうと推察します。

 

 

饒速日命

時に、長髄彦は、使者を遣わして天皇に、

「かつて、天神の子がいらっしゃり、天磐船に乗って天から降りてこられました。御名を櫛玉饒速日命(くしたまにぎはやひのみこと)とおっしゃいます。

この方が私の妹の三炊屋媛(みかしきやのひめ)[亦の名は長髄媛(ながすねひめ)。亦の名は鳥見屋媛(とりみやひめ)といいます]を娶り生んだ御子を、可美眞手命(うましまでのみこと)とおっしゃいます。

私は、櫛玉饒速日命を君としてお仕えしております。天神の子が二人もいらっしゃいましょうや。どうして、天神の子と名乗って、人の国を奪おうとされるのでしょうか。私は無にを信じたらいいのでしょうか。」

申し上げました。

すると天皇は、

「天神の子は沢山おられるのだ。お前が君としている方が本当の天神の子であるならば、必ず証拠の品)を持っているはずだから、それを見せてみよ。」

とおっしゃいました。

そこで、長髄彦は、すぐに饒速日命の天羽羽矢(あめのははや)一本と歩靫(かちゆき)を取り、天皇にお見せしました。

天皇は、

「うん。嘘ではないな。」

と仰せられて、今度はご自身の天羽羽矢一本と歩靫を長髄彦にお示しになられた。

長髄彦はその証拠の品を見て、うやうやしく慎み深い気持ちになりましたが、しかし、軍備はすでに整い、勢いをもはや途中で止めることはできず、なおも間違った作戦を守り、考えを改めることはありませんでした。

饒速日命は、天神が親しく交わるのは天孫だけであることを知っていましたし、長髄彦の人格はねじ曲がっていて、教えても教えても、神と人の違いを理解しなかったので、ついには長髄彦を殺害し、その軍を率いて帰順されました。

一方で、天皇は、初めから饒速日命が天から降りた神であることを聞いていましたし、今、忠行を尽くしたので、饒速日命を褒賞して寵遇されました。これは、物部氏(もののべのうぢ)の遠祖です。

 原文

時、長髄彥乃遣行人、言於天皇曰「嘗有天神之子、乘天磐船、自天降止、號曰櫛玉饒速日命。饒速日、此云儞藝波揶卑。是娶吾妹三炊屋媛亦名長髄媛、亦名鳥見屋媛遂有兒息、名曰可美眞手命。可美眞手、此云于魔詩莽耐。故、吾以饒速日命、爲君而奉焉。夫天神之子、豈有兩種乎、奈何更稱天神子、以奪人地乎。吾心推之、未必爲信。」天皇曰「天神子亦多耳。汝所爲君、是實天神之子者、必有表物。可相示之。」

長髄彥、卽取饒速日命之天羽々矢一隻及步靫、以奉示天皇。天皇覽之曰「事不虛也。」還以所御天羽々矢一隻及步靫、賜示於長髄彥。長髄彥、見其天表、益懷踧踖、然而凶器已構、其勢不得中休、而猶守迷圖、無復改意。饒速日命、本知天神慇懃唯天孫是與、且見夫長髄彥禀性愎佷、不可教以天人之際、乃殺之、帥其衆而歸順焉。天皇、素聞鐃速日命是自天降者而今果立忠效、則褒而寵之。此物部氏之遠祖也

 かんたん解説

可美眞手命

私は、この時すでに饒速日命は亡くなっていて、「可美眞手命」に世代交代していたと考えています。ですから、長髄彦を成敗したのも「可美眞手命」だと思ってます。建国後、神武天皇が重用したのも「可美眞手命」。

それを前提として、次の解説に入りますね。

金の鵄の正体は?

八咫烏が賀茂建角身命だとするならば、金鵄も誰かを比喩したものと考えたくなります。

何度も戦って決着がつかなかったところ、金鵄が現れることで長髄彦軍は戦えなくなったわけですから、長髄彦に大きな影響力を持つ人だと考えられます

そのような人物と言えば饒速日命が最有力候補なのですが、世代的に考えると神武天皇の御代には既に亡くなっていたと思われます。

もし御存命だったとした場合、そもそも戦いは起こらないはずです。

となれば、残るは2人。

長髄彦の妹で饒速日命の妻である「三炊屋媛」か、饒速日命の御子「可美眞手命」のどちらかです。

「三炊屋媛」なら仲裁に入るだけですが、「可美眞手命」なら手勢を引き連れて神武軍を援護した可能性も考えられます。このようなことから、私は「可美眞手命」ではないかと見ました。

もう一つの考え方は、八咫烏が賀茂氏で、金鵄は秦氏であるという説。この説に達するには、私にはまだまだ勉強が足りませんです。。。

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