第九代 開化天皇|

稚日本根子彦大日日天皇(わかやまとねこひこおほひひのすめらみこと)
第九代 開化(かいか)天皇

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即位前

稚日本根子彦大日日天皇(=開化天皇)は、大日本根子彦国牽天皇(=孝元天皇)の第二子です。母は欝色謎命(うつしこめのみこと)で、穗積臣(ほづみのおみ)の遠祖の鬱色雄命(うつしこをのみこと)の妹です。

孝元二十二年

春 正月に皇太子となられました。十六歳でした。

孝元五十七年

秋 九月に孝元天皇が崩御されました。

 原文

稚日本根子彦大日々天皇 大日本根子彦國牽天皇第二子也 母曰欝色謎命 穗積臣達祖欝色雄命之妹也 天皇 以大日本根子彦國牽天皇廿二年春正月 立爲皇太子 年十六 五十七年秋九月 大日本根子彦國牽天皇崩

即位と宮

孝元57年(前158)

十一月十二日 皇太子が天皇に即位されました。

開化(かいか)元年(前157)

春 正月 皇后は尊ばれて皇太后と呼ばれました。

冬 十月十三日 都を春日に遷しました、これを率川宮(いざかはのみや)といいます。この年は太歳甲申(きのえのさる)でした。

 原文

冬十一月辛未朔壬午 太子卽天皇位 元年春正月庚午朔癸酉 尊皇后曰皇太后 冬十月丙申朔戊申 遷都于春日之地春日 此云箇酒鵝 是謂率川宮率川 此云伊社箇波 是年也 太歲甲申

 かんたん解説

春日の率川宮

奈良県奈良市本子守町にある率川神社が率川宮の跡地だと伝わっています。

率川神社は大神神社の摂社で、奈良市最古の神社といわれている神社で、朱色の本殿が3社並ぶ姿が美しくも可愛いと評判です。

奈良まち散策の折にでも、お立ち寄り頂ければと思います。

先帝の御陵

開化5年(前153)

春 二月六日 孝元天皇を劒池嶋上陵(つるぎのいけのしまのうえのみささぎ)に埋葬申し上げました。

 原文

五年春二月丁未朔壬子 葬大日本根子彦國牽天皇于劒池嶋上陵

 かんたん解説

劒池嶋上陵

奈良県橿原市石川町にある、中山塚1~3号墳に治定されています。1号から3号って?と思いますよね。円墳2基・前方後円墳1基からなる集合体のようです。

延喜式の諸陵寮に、「劔池嶋上陵」として陵域は東西220M・南北100M、守戸5世帯で管理する遠陵と記されています。

皇后と皇子

開化6年(前152)

春 正月十四日 伊香色謎命(いかがしこめのみこと)を皇后とされました。義理の母にあたります。

皇后は、御間城入彦五十瓊殖天皇(みまきいりびこいにゑのすめらみこと)をお生みになりました。

これよりも前のこと、妃の丹波竹野媛(たにはのたかのひめ)は、彦湯産隅命(ひこゆむすみのみこと)をお生みになっていました。亦の名は彦蒋簀命(ひこもすのみこと)とおっしゃいます。

また、妃である和珥臣の遠祖の姥津命の妹の姥津媛(ははつひめ)は、彦坐王(ひこいますのみこ)をお生みになっていました。

 原文

六年春正月辛丑朔甲寅 立伊香色謎命爲皇后是庶母也 后生御間城入彦五十瓊殖天皇 先是 天皇 納丹波竹野媛爲妃 生彦湯産隅命亦名彦蔣簀命 次妃和珥臣遠祖姥津命之妹姥津媛 生彦坐王

 かんたん解説

皇后:伊香色謎命

前回の孝元天皇記と重複しますが、伊香色謎命は開化天皇の父親である孝元天皇の妃だった人です。言い方は悪いですが、父の妾妃の子を皇后にしたということです。

それほどまでに美しい姫だったから?ちがうでしょうね、たぶん。

それほどまでに、伊香色謎命の兄「伊香色雄命」(言い換えれば物部氏)の権力が強大だったということなのだと思います。たぶん。知らんけど。

いずれにしても、この姫から崇神天皇が生まれます。そして、この姫の孫か曾孫が武内宿禰ですから、どえらい姫なんです。

立太子

開化28年(前130)

春 正月五日 御間城入彦五十瓊殖尊を皇太子とされました。御年19歳でした。

 原文

廿八年春正月癸巳朔丁酉 立御間城入彦尊 爲皇太子 年十九

崩御と御陵

開化60年(前98)

夏 四月九日 開化天皇が崩御されました。

冬 十月三日 春日率川坂本陵(かすがのいざかわのさかもとのみささぎ)に埋葬申し上げました。ある話では、坂上陵(さかのうえのみささぎ)ともいいます。享年115歳でした。

 原文

六十年夏四月丙辰朔甲子 天皇崩 冬十月癸丑朔乙卯 葬于春日率川坂本陵一云 坂上陵 時年百十五

 かんたん解説

春日率川坂上陵

開化天皇の御陵は、奈良県奈良市油阪町にある「念仏寺山古墳」に治定されてます。墳丘長約100mの前方後円墳です。遂にここで前方後円墳が出現しました。

延喜式の諸陵寮に、「春日率川坂上陵」として掲載され、その陵域は東西5段・南北5段で、在京戸10世帯で管理している遠陵と記されています。

日本書紀巻第四  完

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