日本書紀|第十二代 景行天皇②|天皇の妃と皇子たち

2020年10月29日

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弟媛

景行4年(74年)

二月十一日 美濃(みの)に御幸されました。

側近が奏上して

「ここには、弟媛(おとひめ)という美人がいらっしゃいます。端正なお顔立ちで、八坂入彦皇子(やさかのいりびこのみこ)の御娘です。」

と申し上げました。

天皇は妃にしようと思い、弟媛の家に行かれましたが、弟媛は天皇がお越しになると聞いて、竹林に隠れました。

天皇は、弟媛を迎えるために泳宮(くくりのみや)におられました。鯉を池に放ち、朝な夕なにご覧になられ遊ばれました。時に弟媛は、池の鯉を見たいと思い、こっそりと池まで来られましたので、天皇はすぐに弟媛を留めてお召しになられました。

しかし、弟媛は、夫婦の道は今も昔も変わらない決まりなのだろうが、私にはそれは出来ないわ、、、と思い、天皇に願い出て、

「私は、交わることを望みません。今、天皇の威力に勝つことが出来ず、暫く寝殿の中におりましたが、ますます不安が募ります。容姿も美しくもなく、後宮に長く入ることは出来かねます。

私には、姉がおります。名を八坂入媛(やさかのいりびめ)といいまして、容姿は麗しく、また心根も貞潔です。どうか姉を後宮にお入れくださいませ。」

と申し上げました。

 原 文

四年春二月甲寅朔甲子、天皇幸美濃。左右奏言之「茲國有佳人曰弟媛、容姿端正、八坂入彥皇子之女也。」天皇、欲得爲妃、幸弟媛之家。弟媛、聞乘輿車駕、則隱竹林。於是天皇、權令弟媛至而居于泳宮之泳宮、此云區玖利能彌揶、鯉魚浮池、朝夕臨視而戲遊。時弟媛、欲見其鯉魚遊而密來臨池、天皇則留而通之。爰弟媛以爲、夫婦之道古今達則也、然於吾而不便 則請天皇曰「妾、性不欲交接之道、今不勝皇命之威、暫納帷幕之中、然意所不快、亦形姿穢陋、久之不堪陪於掖庭。唯有妾姉、名曰八坂入媛、容姿麗美、志亦貞潔。宜納後宮。」

 ひとことメモ

美濃の泳宮(くくりのみや)

岐阜県可児市久々利に、泳宮史蹟があります。

可児市のHPによると「史実かどうか分からないが」との但し書き付きですが「古くからの言い伝えられてきた」と記されています。

弟媛

父親は八坂入彦命。母親は不明です。その八坂入彦命の父親は崇神天皇で母親は大海媛(尾張氏)。

ですから、この姉妹は崇神天皇の孫娘となります。なかなか高貴なお姫様です。

ところがなんと、弟媛は天皇と交わりたくないと。そして代わりに自分の姉を勧めると。

その行為そのものが嫌いなのか、景行天皇が生理的に合わないのか、、、

もったいない限りだよ。と思うのは私だけでしょうか。。。

 

妃と皇子

天皇は、この願いを聞き入れて、八坂入媛を妃にお召しになりました。

妃は七人の男子と六人の女子とを生みました。

  • 第一子を稚足彦天皇(わかたらしひこのすめらみこと )
  • 第二子を五百城入彦皇子(いほきいりびこのみこ)
  • 第三子を忍之別皇子(おしわけのみこ )
  • 第四子を稚倭根子皇子(わかやまとねこのみこ)
  • 第五子を大酢別皇子(おほすわけのみこ)
  • 第六子を渟熨斗皇女(ぬのしのひめみこ)
  • 第七子を渟名城皇女(ぬなきのひめみこ)
  • 第八子を五百城入姫皇女(いほきいりひめのみこ)
  • 第九子を麛依姫皇女(かごよりひめのみこ )
  • 第十子を五十狭城入彦皇子(いさきいりびこのみこ)
  • 第十一子を吉備兄彦皇子(きびのえひこのみこ)
  • 第十二子を高城入姫皇女(たかきいりひめのみこ)
  • 第十三子を弟姫皇女(おとひめのみこ)

とおっしゃいます。

 

次の妃である三尾氏磐城別(みをのうぢのいはきわけ)の妹の水歯郎媛(みづはのいらつめ)は

  • 五百野皇女(いほののひめみこ)

を生みました。

次の妃の五十河媛(いかはひめ)は

  • 神櫛皇子(かむくしのみこ 12(1)-5)と
  • 稻背入彦皇子(いなせのいりびこのみこ)

を生みました。

兄の神櫛皇子は讃岐国造(さぬきのくにのみやつこ)の始祖で、弟の稲背入彦皇子は播磨別(はりまのわけ)の始祖です。

次の妃の阿倍氏木事(あへのうぢのこごと)の娘の高田媛(たかたひめ)は

  • 武国凝別皇子(たけくにこりわけのみこ)

を生みました。伊豫国(いよのくに)の御村別(みむらのわけ)の始祖です。

妃の日向髪長大田根(ひむかのかみながおほたね)は

  • 日向襲津彦皇子(ひむかのそつひこのみこ)

を生みました。阿牟君(あむのきみ)の始祖です。

妃の襲武媛(そのたけひめ)は

  • 国乳別皇子(くにちわけのみこ)と
  • 国背別皇子(くにそわけのみこ)
    ある話では、宮道別皇子(みやぢわけのみこと)という
  • 豊戸別皇子(とよとわけのみこ)

を生みました。兄の国乳別皇子は水沼別(みぬまのわけ)の始祖で、弟の豊戸別皇子は火国別(ひのくにのわけ)の始祖です。

このように、天皇の子女は前後合わせて八十人(やそはしらのみこ)おられましたが、日本武尊・稚足彦天皇と五百城入彦皇子とを除いた、七十余の子は国や郡の管理者として、赴任させられました。

それ故、今の時に当たって、諸国にある別(わけ)というのは、これら別王(わけのみこ)の子孫なのです。

 原 文

天皇聽之、仍喚八坂入媛爲妃。生七男六女、第一曰稚足彥天皇、第二曰五百城入彥皇子、第三曰忍之別皇子、第四曰稚倭根子皇子、第五曰大酢別皇子、第六曰渟熨斗皇女、第七曰渟名城皇女、第八曰五百城入姬皇女、第九曰麛依姬皇女、第十曰五十狹城入彥皇子、第十一曰吉備兄彥皇子、第十二曰高城入姬皇女、第十三曰弟姬皇女。

又妃三尾氏磐城別之妹水齒郎媛、生五百野皇女。次妃五十河媛、生神櫛皇子・稻背入彥皇子、其兄神櫛皇子、是讚岐國造之始祖也、弟稻背入彥皇子、是播磨別之始祖也。次妃阿倍氏木事之女高田媛、生武國凝別皇子、是伊豫國御村別之始祖也。次妃日向髮長大田根、生日向襲津彥皇子、是阿牟君之始祖也。次妃襲武媛、生國乳別皇子與國背別皇子一云宮道別皇子・豐戸別皇子、其兄國乳別皇子、是水沼別之始祖也、弟豐戸別皇子、是火國別之始祖也。

夫天皇之男女、前後幷八十子。然除日本武尊・稚足彥天皇・五百城入彥皇子外、七十餘子、皆封國郡、各如其國。故、當今時謂諸國之別者、卽其別王之苗裔焉。

 ひとことメモ

八坂入媛・稚足彦尊

八坂入媛は、当たり前ですが、妹の弟媛と同じく崇神天皇の孫です。

たくさんの子を生みましたね。

その長男「稚足彦尊」が13代成務天皇となる人です。がしかし、八坂入媛は皇后ではなく妃ですから、この時点では、稚足彦は皇位継承者ではなかったと思われます。

その後、皇后が亡くなったため八坂入媛が後后となります。そして前皇后の皇子で、おそらくは皇位継承者とされていたであろう「小碓尊」すなわち「日本武尊」が若くして亡くなった。

これらが重なって、稚足彦は13代天皇になったと想像します。

日本武尊・稚足彦天皇・五百城入彦皇子

この3人を除いた70余名の子供たちを、諸国に派遣して管理させたとあります。

この3名のうち、日本武尊は皇太子になるべき人だったから宮に留め置いていた、稚足彦尊は日本武尊が遠征中に無くなったため次の皇太子候補として宮に留め置かれた。

では五百城入彦皇子は?

おそらく、稚足彦尊に何かあったときの皇太子候補だったのでしょう。今でいう皇位継承第二位ということになりましょう。

こうして見ていくと、皇位継承権の第一位は「皇后の第一子」、第二子が「皇后の第二位」となっています。

今まで、末子継承を基本としていた古代の慣習が、儒教の影響を受けて崩れ始めてきたということでしょうか。

不埒な大碓命

是月 天皇は、美濃国造(みののくにのみやつこ)の神骨(かむほね)の娘の、兄遠子(えとほこ)と弟遠子(おととほこ)の姉妹はとても美人だとお聞きになり、大碓命を遣わせて、姉妹の容姿を確認させました。

すると大碓命は、姉妹と密通して復命しませんでした。その為、天皇は、大碓命を大層お恨みになりました。

 

冬 十一月一日 天皇は、美濃よりお帰りになられました。そして、さらに纒向に都を造られました。これを日代宮(ひしろのみや)といいます。

 原 文

是月、天皇、聞美濃國造名神骨之女、兄名兄遠子・弟名弟遠子、並有國色、則遣大碓命、使察其婦女之容姿。時大碓命、便密通而不復命。由是、恨大碓命。冬十一月庚辰朔、乘輿自美濃還。則更都於纏向。是謂日代宮。

 ひとことメモ

神骨

開化天皇の子の日子坐王の子です。垂仁天皇の皇后「狭穂姫命」や謀叛した「狭穂彦」の弟です。

全くの余談になりますが、、、

脊髄の下の方にある骨で、骨盤と連結している「仙骨」は大昔は「神骨」と言われていたそうです。

仙骨をラテン語でいうと「os sacrum」。osは「骨」で、 sacrumは「聖なる」という意味。それを江戸時代の重訂解体新書で「護神骨」と訳したのが始まりだとか。

この仙骨は常に微振動していて、その微振動が脊髄を伝わって、脳の中にある蝶形骨に伝わることで、蝶形骨も微振動するしかけになっているらしいです。

仙骨と蝶形骨の微振動が、体と精神の安定に大きく寄与しているらしく、特に女性は仙骨と子宮が靭帯で繋がっているので、女性ホルモンとも深く関わっているらしいです。

仙骨を鍛えることが、健康への近道なのかもしれませんね。

纏向の日代宮

奈良県桜井市大字穴師に、纏向日代宮跡があります。穴師の相撲神社へ向かう道路の左側に「景行天皇纒向日代宮跡」の石碑が建っています。

一般的には、即位するとすぐに新しい宮を建てるのですが、景行天皇は即位4年で都を造りました。

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