日本書紀|第十二代 景行天皇⑥|筑紫国巡幸

2020年10月29日

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筑紫国巡幸

景行18年(88年)

三月 京に向かおうとして、筑紫国を巡幸されました。はじめ夷守(ひなもり)に着いた時、石瀬の川辺に人々が集まっているのを遠くからご覧になり、近習に詔して

「あのように集まっているのは何者だ。もしや賊ではあるまいか。」

とおっしゃいました。そして、兄夷守(えひなもり)と弟夷守(おとひなもり)の二人を偵察にだされました。

弟夷守が帰ってきて

「諸縣君泉媛(もろかたのきみいづみひめ)が御食事を献上しようとして集まった一族の者たちです。」

と報告しました。

 

四月三日 熊縣(くまのあがた)に到着しました。そこに熊津彦(くまつひこ)という二人の兄弟がいました。

天皇は、まずは兄熊に使いを出して呼び出しましたところ、すぐに使者に従って参上しました。弟熊も呼び出しましたが、弟熊(おとくま)は参上しませんでした。そこで、兵を差し向けて誅しました。

 

同月十一日 海路を行き、葦北(あしきた)の小嶋(こじま)に停泊し、そこで食事をされました。

この時、山部阿弭古(やまべのあびこ)の祖の小左(をひだり)に冷たい水を献上させました。しかしこの時、この嶋には水がなく、どうしようもありませんでした。

そこで、天神地祗を仰ぎ祈ったところ、突然に崖の傍から寒泉が湧きだしたので、それを汲んで天皇に献上しました。これ故に、この嶋を水嶋といい、その泉は今も水嶋の崖にあります。

 

 原 文

十八年春三月、天皇將向京、以巡狩筑紫國。始到夷守、是時、於石瀬河邊人衆聚集、於是天皇遙望之、詔左右曰「其集者何人也、若賊乎。」乃遣兄夷守・弟夷守二人令覩。乃弟夷守、還來而諮之曰「諸縣君泉媛、依獻大御食而其族會之。」

夏四月壬戌朔甲子、到熊縣。其處有熊津彥者、兄弟二人。天皇、先使徵兄熊、則從使詣之。因徵弟熊、而不來、故遣兵誅之。

壬申、自海路泊於葦北小嶋而進食、時召山部阿弭古之祖小左、令進冷水。適是時、嶋中無水、不知所爲、則仰之祈于天神地祗、忽寒泉從崖傍涌出、乃酌以獻焉。故號其嶋曰水嶋也、其泉猶今在水嶋崖也。

 ひとことメモ

夷守・石瀬河

そもそも夷守とは、邪馬台国が国境の守備のために設置した防衛軍の長官のことを指すようです。魏志倭人伝に「卑奴母離」と記されています。

で、この諸縣の夷守はというと、今、宮崎県小林市細野夷守という地名として残っています。

そして、この盆地を岩瀬川が流れています。これが石瀬河なのですね。

ちなみに、「夷守に着いて、、、」「兄夷守と弟夷守を使いに出して、、、」とあります。ここには戦闘の臭いはありませんので、ヤマト王権勢力範囲内だったのでしょう。

水嶋

水嶋は、球磨川河口の堤防にくっつくように浮かぶ小島として残っています。景行天皇が訪れた当時は、もっと岸から離れていて、もっと大きな島だったことでしょう。

なんと、なんと、その湧水、1955年頃まではあったようですよ。工業用水として地下水が汲み上げられたために枯れてしまったとか。もったいないです。

 

火国の由来

五月一日 葦北から出港し火国(ひのくに)に到着しました。この時すでに日没で、暗くて岸がよく見えませんでした。

やがて、遥かに火の光が見えたので、天皇が船頭に、

「あの火の方向を目指せ。」

とおっしゃいました。

それで、火に向かって進んで行くと、岸に着きました。

天皇は、その火が光ったところを尋ねて

「何という邑なのか。」

とおっしゃいました。土地の者が

「八代縣(やつしろのあがた)の豊村(とよむら)です。」

と答えました。

さらに天皇が、

「あの火は誰の火なのか。」

と尋ねられました。しかし、誰も答えることが出来ず、人の火ではないとわかりました。それで、この国を火国というのです。

 原 文

五月壬辰朔、從葦北發船到火國。於是日沒也、夜冥不知著岸。遙視火光、天皇詔挾杪者曰「直指火處。」因指火往之、卽得著岸。天皇問其火光之處曰「何謂邑也。」國人對曰「是八代縣豐村。」亦尋其火「是誰人之火也。」然不得主、茲知非人火。故名其國曰火國也。

火の国

「”火の国”熊本」のキャッチフレーズを聞くにつけ、活火山の阿蘇山を想像し、火山のある国だから火の国なんだと思ってました。

ちがうんですね。「不知火」から「火の国」だったんですね。

だから、不知火・有明に接する長崎県も「肥の国」なのか。。。。なるほど。

 

阿蘇国の由来

六月三日 高来縣(たかくらのあがた)から玉杵名邑(たまきなのむら)に渡られた時、その地の土蜘蛛の津頬(つつら)を誅殺しました。

同月十六日 阿蘇国に到着しました。そこは野原が広々と遠くまでひらけ、人家が見えませんでした。

そこで天皇が、

「この国には人はいるのか。」

とおっしゃいました。

実はこのとき二柱の神がいました。阿蘇都彦(あそつひこ)と阿蘇都媛(あそつひめ)とおっしゃいます。

この神々が、たちまち人に化身して、

「ここに我々がおるではないか。なんで無人なのじゃ。」

とおっしゃいました。それで、その国を阿蘇というのです。

 原 文

六月辛酉朔癸亥、自高來縣、渡玉杵名邑、時殺其處之土蜘蛛津頰焉。丙子、到阿蘇國、其國也郊原曠遠、不見人居、天皇曰「是國有人乎。」時有二神、曰阿蘇都彥・阿蘇都媛、忽化人以遊詣之曰「吾二人在、何無人耶。」故號其國曰阿蘇。

 ひとことメモ

地名について

  • 葦北・・・前項によると葦北(水嶋)は、球磨川河口と思います。
  • 豊村・・・宇城氏の豊福あたりかと。
  • 高来県・・・長崎県諫早市に高来という地名があります。
  • 玉杵名邑・・・熊本県玉名市あたりとされています。玉名大神宮に津頬征伐伝承あり。
  • 阿蘇国・・・旧阿蘇郡だと思われます。今の阿蘇市と南阿蘇村と高森町あたりでしょうか。

阿蘇都彦・阿蘇都媛

阿蘇都彦命、亦の名を健磐龍命(たけいわたつ の みこと)といいます。

このお方は、神八井耳命(神武天皇の子で綏靖天皇の兄。多氏の始祖となる。)の御子とも、4世孫とも5世孫とも。

阿蘇神社に、一の神殿に筆頭(一宮)として祀られています。

阿蘇都媛命は、二の神殿の筆頭(二宮)として祀られています。

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