日本書紀|第二十六代 継体天皇③|継体天皇の即位

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継体天皇の即位

二月四日、大伴金村大連おおとものかなむらのおおむらじひざまづき、天子の鏡剣みかがみみはかし璽符みしるし「10」を奉って再拝しました。

男大迹天皇をおどのすめらみことは辞退して、

「民を我が子として国を治めることは重き仕事である。私は才なく、天子を称するには不足である。もっと熟慮して、真の賢者を選びなさい。私なんぞに敢えて当てるな」

と言われました。

大伴大連おおとものおおむらじは地に伏して固くお願いしましたが、

男大迹天皇をおどのすめらみこと西に向って譲ること三度、南に向って譲ること二度に及びました。「11」

大伴大連らはロをそろえて、

「私どもは伏して、貴方様を計っておりました。大王おおきみ男大迹天皇)は、民を我が子とし国を治めるに、最もふさわしいお方です。

私たちは、国家のためであれば、敢えて貴方様を計ることも軽々しい事ではないと思っております。幸いにも民衆の願いに依り、どうかお聞き入れ下さいませ」

とお願いしました。

男大迹天皇をおどのすめらみことは、

大臣おおきみ大連おおむらじ将相まえつきみ諸臣くんしんの全員が私を推すのであれば、私も敢えて逆らうことはない」「12」

と言われました。

そして、天子の璽符みしるしを受けられて、この日、天皇の位に就かれました。

大伴金村大連おおとものかなむらのおおむらじ大連おおむらじとし、許勢男人大臣こせのおひとのおおおみ大臣おおおみとし、物部麁鹿火大連もののべのあらかいのおおむらじ大連おおむらじとしました。これは今までと同じです。これをもって、大臣や大連らはそれぞれの職位のままとなりました。

 原 文

二月辛卯朔甲午、大伴金村大連、乃跪、上天子鏡劒璽符、再拜。男大迹天皇謝曰「子民治國、重事也。寡人不才不足以稱。願請、慮擇賢者。寡人不敢當。」大伴大連、伏地固請。男大迹天皇、西向讓者三、南向讓者再。大伴大連等皆曰「臣伏計之、大王、子民治國、最宜稱。臣等、爲宗廟社稷、計不敢忽。幸藉衆願、乞垂聽納。」

男大迹天皇曰「大臣・大連・將相・諸臣、咸推寡人、寡人敢不乖。」乃受璽符、是日、卽天皇位。以大伴金村大連爲大連、許勢男人大臣爲大臣、物部麁鹿火大連爲大連、並如故。是以、大臣大連等各依職位焉。

 

世継ぎを固めることが大切

十日、大伴大連おおとものおおむらじが、

「前の王(武烈天皇)は世を治めましたが、たしかな維城(世継ぎ)が固まらず、天地を鎮めることはできませんでした。後宮に寵愛する妃がいなかったので、その子孫が継ぐことはありませんでした。

清寧天皇せいねいてんのうは、跡嗣あとつぎがなかったので、私の祖父の 大伴大連室屋おおとものおおむらじむろや を遣わして、国ごとに三種の白髪部しらがべを置かせ  (三種というのは、一に白髪部舎人しらかべのとねり、二に白髪部供膳しらかべのかしわで、三に白髪部靱負しらかべのゆげいです)、後世に自分の名を残そうとされました。

何とも、痛ましいことです。

願わくば 手白香皇女たしらかのひめみこ「13」を立てて皇后とし、神祇伯かむつかさのかみ らを遣わして、天神地祇てんじんちぎ を敬い祭ってし、天皇のご子息を求めて、民の望みに答えて下さい」

と奏請しました。

天皇は、

「よし」

と言われました。

 原 文

庚子、大伴大連奏請曰「臣聞、前王之宰世也、非維城之固、無以鎭其乾坤。非掖庭之親、無以繼其趺萼。是故、白髮天皇、無嗣、遣臣祖父大伴大連室屋毎州安置三種白髮部 言三種者、一白髮部舍人、二白髮部供膳、三白髮部靫負也、以留後世之名。嗟夫、可不愴歟。請、立手白香皇女、納爲皇后、遣神祗伯等、敬祭神祗、求天皇息、允答民望。」

天皇曰、可矣。

ひとことメモ

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鏡・剣みかがみみはかし璽符みしるし

剣・鏡・璽符の3つを皇位継承のしるしとしました。璽符は天皇の印鑑とも、勾玉とも言われてますが、勾玉だとすれば、私達が知っている「三種の神器」ですね。

日本書記において、三種の神器が揃って継承されるのは継体天皇即位が初めて。ここまでは璽符のみの継承でした。

次に三つ揃って継承されるシーンは持統天皇即位の時。そして、この2回きりなんです。

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何度も辞退する

譲ること、西に向かって3度、南に向かって2度。どういうことでしょう。

譲るジェスチャーというか儀礼みたいなものがあり、西を向いて、南を向いて、その儀礼を行ったのかな?と思ったり、

西の国にいる皇位継承権を持つ人、南の国にいる皇位継承権を持つ人に対して、代わりに天皇になりませんか?と打診したということなのかな?と思ったり。

私は二つの見方をしてます。

一つは、日本書紀お決まりの「何度も辞退したけど、請われて即位した」という履歴を残したかっただけの記述。儒教を意識した記述と言えましょうか。

二つ目は、即位後を見据えて、自らの勢力基盤を確保するために各方面に支援・同盟を求める交渉を行ったことを示唆する記述。

おそらくは、前者なんでしょうけど、この後出てくる「8人の妃」の出自を見ると、後者のような活動を行ったようにも思えてきます。

 

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推挙されて立つ

応神天皇の5世孫であること、何度も辞退したということ、そして重臣全員から推挙されたこと。

これが、立太子を経ない形で皇位に就く正統性の根拠としたということでしょう。

立太子を経ていない天皇の即位には、それなりに即位する根拠を示さないといけないんですね。

立太子を経ていない天皇は、他にも仁徳天皇、允恭天皇、雄略天皇がおられます。

  • 仁徳天皇は、皇太子だった菟道稚郎子と皇位を譲り合ったのち、菟道稚郎子と自殺したため即位。
  • 允恭天皇は、前天皇である反正天皇が皇太子を定める前に崩御したため推挙され、再三辞退しましたが、最終的に即位。
  • 雄略天皇は、力ずくで皇位を奪った天皇です。

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手白香皇女たしらかのひめみこ

手白香皇女たしらかのひめみことは誰でしょう。仁賢天皇と春日大娘皇女との間に生まれた女子で、武烈天皇の姉にあたります。春日大娘皇女は春日和珥氏系です。

皇族の血統としては継体天皇より手白香皇女たしらかのひめみこの方が上位とも言えますから、手白香皇女たしらかのひめみこを皇后にすることは、継体天皇の正統性をより強固にするものなのでしょう。

さて、継体天皇を担ぎ出して手白香皇女たしらかのひめみこ を皇后とするという一連の活動は、大伴金村大連の主導で行われました。

一般的に皇位継承の裏には豪族の権力争いがくっついてることが多いので、もしかしたら裏側に大伴大連VS物部大連の構図があったのかも知れません。

継体天皇と大伴大連が、和珥氏を中心とする近江西部勢力、自身の出身の越前及び近江東部勢力、(もしかしたら丹波の勢力もあったかも)を男山に集結させて、大和の物部と勢力争いを行った?

近視眼的には、これも葛葉で即位した理由の一つかも知れませんが、物部氏はすぐに従ったはずです。

いといろと想像を掻き立てられます。

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