日本書紀|第二十六代 継体天皇④|皇后と8人の妃たち

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皇后を迎える

三月一日みことのりして、

「天神地祇を祀るには、神主かんぬしがなくてはならず、宇宙(天下)を治めるには君主がなくてはならない。天は人民を生み、元首を打ち立てて助け養うように司り、その生を全うさせる。

大連おおむらじは朕に子のないことを心配し、国家のために真心をもって、代々にわたって忠誠を尽している。どうして朕の世のためだけといえようか。

礼儀を整えて手白香皇女たしらかのひめみこをお迎えするのじゃ」

と言われました。

五日、手白香皇女たしらかのひめみこを立てて皇后とし、後宮に関することを教え、遂に一人の男子をお生みになりました。

これが  天国排開広庭尊あめくにおしはらきひろにわのみこと欽明天皇きんめいてんのう)となるお方です。この嫡子(嫡妻の子)はまだ幼かったので、二人の兄が政を治められた後に、天下を治められました。「14」
二人の兄とは、広国排武金日尊ひろくにおしたけかなひのみこと(安閑天皇)と武小広国押盾尊たけおひろくにおしたてのみこと(宣化天皇)です。以下の文に見えます。

 原 文

三月庚申朔、詔曰「神祗不可乏主、宇宙不可無君。天生黎庶、樹以元首、使司助養、令全性命。大連、憂朕無息、被誠款以國家、世々盡忠、豈唯朕日歟。宜備禮儀奉迎手白香皇女。」甲子、立皇后手白香皇女、修教于內、遂生一男、是爲天國排開廣庭尊。開、此云波羅企。是嫡子而幼年、於二兄治後、有其天下。二兄者、廣國排武金日尊與武小廣國押盾尊也、見下文。

男は農耕、女は養蚕

九日、みことのりして、

「朕が聞くところによると、男が耕作しないと、天下はそのために飢えることがあり、女が紡がないと、天下は寒さに凍えることがある。

だから帝王は自ら耕して農業を勧め、皇妃は自ら養蚕ようさんをして、桑の葉やりに勉める。ましてや、百官ひゃっかんから万人に至るまで、農業や養蚕を怠っては、富み栄えることなどない。役人たちは私の思うところを天下に発して布告せよ」

と言われました。

 原 文

戊辰、詔曰

「朕聞、土有當年而不耕者則天下或受其飢矣、女有當年而不績者天下或受其寒矣、故、帝王躬耕而勸農業、后妃親蠶而勉桑序。況厥百寮曁于萬族、廢棄農績而至殷富者乎。有司、普告天下令識朕懷。」

 

八人の妃と皇子女たち

十四日、八人の妃を召し入れられました。「15」

八人の妃の召し入れには後先あとさき がありましたが、十四日の日に召し入れたとするのは、即位をされ、良い日を選んで、初めて後宮を定められたのでここに記録しました。(他も皆これに倣う)

元からの妃の 尾張連草香おわりのむらじくさかの娘を目子媛めのこひめ「16」またの名を色部しこぶとおっしゃます。は、二人の子をお生みになり、 皆、天下を治められました。

  • その第一が 勾大兄皇子まがりのおおえのみこ で、これが広国排武金日尊ひろくにおしたけかなひのみこと安閑天皇あんかんてんのう)です。
  • 二番目が 桧隈高田皇子ひのくまのたかたのみこ で、これが武小広国排盾尊たけおひろくにおしたてのみこと宣化天皇せんかてんのう)です。

次の妃で 三尾角折君 みおのつのおりのきみの妹は 稚子媛わかこひめ とおっしゃり、

  • 大郎皇子おおいらつのみこ
  • 出雲皇女いずものひめみこ

お生みになりました。

次は、坂田大跨王さかたのおおまたのおおきみの娘で広媛ひろひめとおっしゃり、三人の女子を生み、

  • 姉を神前皇女かむさきのひめみこ
  • 中を茨田皇女まむたのひめみこ
  • 末娘を馬来田皇女うまくたのひめみこ

とおっしゃいます。

次に、息長真手王おきながのまでのおおきみの娘の 麻績娘子おみのいらつめ は、

  • 竞角皇女ささげのひめみこをお生みになりました。

この皇女は伊勢皇大神宮いせこうたいじんぐう斎宮いわいのみやをなさいました。

次に茨田連小望まむたのむらじこもちの娘 あるいは妹 関媛せきひめは、三人の女をお生みになりました。

  • 姉を茨田大郎皇女まむたのおおきらつめのみこ
  • 中を白坂活日姫皇女しらさかいくひひめのみこ
  • 末娘を小野稚郎皇女おののわかいらつめのひめみこ亦の名を長石姫

とおっしゃいます。

次に、三尾君堅械みおのきみかたひの娘の 倭媛やまとひめ は、二男二女をお生みになりました。

  • その一人を大娘子皇女おおいらつめのひめみこ
  • 二番目を椀子皇子まろこのみこ三国公みくにのきみの先祖です。)
  • 三番目を耳皇子みみのみこといい、
  • 四番目を赤姫皇女あかひめのひめみこ

とおっしゃいます。

次に、和珥臣河内わにのおみかわちの娘の荑媛はえひめといい、一男二女をお生みになりました。

  • その第一を稚綾姫皇女わかやひめのみこといい、
  • 次を円娘皇女つぶらいらつめのみこといい、
  • 三番目を厚皇子あつのみこという。

次に、根王ねのおおきみの娘の広媛ひろひめは、二男をお生みになりました。

  • 長子を兎皇子うさぎのみこ酒人公さかひとのきみの先祖です)
  • 弟を中皇子なかつみこ坂田公さかたのきみの先祖です)

とおっしゃいます。

この年、太歳丁亥さいたいひのとい

 原 文

癸酉、納八妃。納八妃、雖有先後而此曰癸酉納者、據卽天位、占擇良日初拜後宮、爲文。他皆效此。

元妃、尾張連草香女曰目子媛 更名色部、生二子、皆有天下、其一曰勾大兄皇子是爲廣國排武金日尊、其二曰檜隈高田皇子是爲武小廣國排盾尊。

次妃、三尾角折君妹曰稚子媛、生大郎皇子與出雲皇女。

次、坂田大跨王女曰廣媛、生三女、長曰神前皇女、仲曰茨田皇女、少曰馬來田皇女。

次、息長眞手王女曰麻績娘子、生荳角皇女 荳角、此云娑佐礙、是侍伊勢大神祠。

次、茨田連小望女 或曰妹 曰關媛、生三女、長曰茨田大娘皇女、仲曰白坂活日姬皇女、少曰小野稚郎皇女 更名長石姬

次、三尾君堅楲女曰倭媛、生二男二女、其一曰大娘子皇女、其二曰椀子皇子、是三國公之先也、其三曰耳皇子、其四曰赤姬皇女。

次、和珥臣河內女曰荑媛、生一男二女、其一曰稚綾姬皇女、其二曰圓娘皇女、其三曰厚皇子。

次、根王女曰廣媛、生二男、長曰兔皇子、是酒人公之先也、少曰中皇子、是坂田公之先也。

是年也、太歲丁亥。

 

ひとことメモ

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欽明天皇・安閑天皇・宣化天皇

皇后の生んだ子の欽明天皇はまだ幼いので、安閑天皇と宣化天皇が中継ぎしました。

中継ぎだからとは言え、天皇に即位したら天皇です。自分の子を天皇にしたいと思うでしょう。結果として中継ぎのように見えますが、もしかしたらそんなことを画策したかも。。。というか、それが自然ですよね。

それをさせなかったのが、継体天皇の皇后である手白香皇女たしらかのひめみこだったのではないかと思います。

妹の春日山田皇女を安閑天皇の皇后に、同母妹の橘仲皇女を宣化天皇の皇后にして、欽明天皇の立場を守ったんじゃないかと。

継体天皇は老齢ですので、実権は手白香皇女たしらかのひめみこが握っていたような気がします。

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后妃の出自

継体天皇の妃の出自はとても特徴的です。近江・越前の豪族からの妃が多いのです。

古事記で記載されている順番に並べ替えますと、

  1. 稚子媛 三尾角折君の女・・・越前国
  2. 目子媛 尾張連草香の女・・・尾張国・美濃国
  3. 手白香皇女 仁賢天皇の皇女で母方が春日和珥氏・・・大和国北部から木津川・宇治川沿岸
  4. 麻績娘子 息長真手王の女・・・近江国湖東
  5. 広媛 坂田大跨王の女・・・近江国湖東
  6. (関媛 茨田連小望の女あるいは妹・・・河内国北部)
  7. 倭媛 三尾君堅楲の女・・・越前国北部
  8. 荑媛 和珥臣河内の女・・・大和国北部、山城国南部、近江国湖西
  9. (広媛 根王の女・・・?酒人公・坂田君の祖なので近江国か?)

(6と9は古事記に見えず。9は5との重複か?)

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尾張連草香の娘の目子媛めのこひめ

古事記で列記されている順番から塑像するに、継体天皇が越前にいる頃の2番目の妃でしょう。中継ぎとはいえ、二人の天皇の母となりました。

子供たちの中でも年長の部類だったということもありましょうが、豪族たちの思惑も絡む皇位継承ですから、尾張連の実力に依るところが大きかったんじゃないかと思います。

名古屋市熱田区、熱田神宮からほど近いところに「断夫山古墳」という前方後円墳があります。長さ150mで愛知県最大の古墳です。

目子媛、あるいは尾張連草香の墳墓ではないかと言われているそうですよ。

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継体天皇の勢力範囲

突然に天皇となった継体ですが、后妃の出身地がすべて協力者となったと考えて、そこに、継体天皇の両親の出身地

  • 父・・・近江国高島郡
  • 母・・・越前国三国郡
  • 祖母・・・加賀国江沼郡
  • 三尾氏と同祖・・・能登国羽咋郡

などを加えると、、、

能登・加賀・越前・近江・美濃・尾張・山城南部・大和北部・河内北部という広大な勢力範囲が浮かび上がってきます。

この勢力をもってすれば、多少の抵抗勢力が大和国内にあったとしても、風に靡くが如くだと思います。

当面の敵国は、雄略天皇崩御後に反乱を起こした吉備国だったのだと考えます。

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