日本書紀|第二十三代 顕宗天皇⑤|近江の置目が遺骨の在処を知っている

2021年10月25日

弘計天皇 -おけのすめらみこと-
第二十三代  顕宗天皇 -けんぞうてんのう-

続き、、、

スポンサーリンク

近江国の置目

二月五日 天皇が、

「先王は災難に遭われて、荒野で亡くなられました。朕は未だ幼かったので、災難から逃げて身を隠したが、強いて求められて、皇位に就いた。父の遺骨を探しようにも、それを知る者がいない」

とおっしゃられ、皇太子となった億計皇子と号泣し、自制が効かないほどでした。

是月 老人を召し集めて、天皇自ら順番にお尋ねになられました。

すると、一人の老婆がいて、

置目おきめは御骨を埋めたところを知っておりまする。お示し致したく思います」

と進み出ました。

置目おきめ とは老婆の名である。近江國の狭狭城山君ささきのやまのきみ のおや の倭帒宿禰やまとのふくろのすくね  の妹で、名を置目という。

そこで、天皇と億計おけ皇太子は、老婆を連れて近江國の 來田絮くたわた の 蚊屋野かやの 「1」にお出ましになり、掘り起こしてご覧になると、老婆の言う通りでした。

 原 文

二月戊戌朔壬寅、詔曰「先王、遭離多難、殞命荒郊。朕在幼年、亡逃自匿、猥遇求迎、升纂大業。廣求御骨、莫能知者。」詔畢、與皇太子億計泣哭憤惋、不能自勝。

是月、召聚耆宿、天皇親歷問、有一老嫗進曰「置目知御骨埋處、請以奉示。」置目、老嫗名也。近江國狹々城山君祖倭帒宿禰妹、名曰置目、見下文。於是天皇、與皇太子億計、將老嫗婦、幸于近江國來田絮蚊屋野中、掘出而見、果如婦語。

 

父の遺骨を埋葬するのだが、、、

穴に向かって号泣され、嘆き悼まれました。

古から今まで、こんな酷いことがあったでしょうか。父と 仲子なかちこ との遺骨が混じっていて、分けることができませんでした。

そこに 押磐皇子おしいわれのみこ の乳母がいて、

仲子なかちこ は、上の歯が抜け落ちていましたので、それで見分けることができます」

と申し上げました。

乳母のこの言葉によって、頭蓋骨は分けられましたが、手足、その他の遺骨は分けられませんでした。

このため、蚊屋野に 山陵みささぎ を二つ「2」、同じように造り、葬儀も同じように行いました。

これにより、この老婆置目に詔して、宮の近くに住まわせて、敬い気にかけて、不自由のない暮らしをさせました。

是月 天皇は詔して

「老婆は、体が弱っていて、歩くのも不便なようだから、宮まで縄を張るので、それを助けに出入りするがよい。縄の端に鐘を懸けておくから、取次の者を通さずとも、その鐘を鳴らして入れば、朕は汝が来たことが判るようにしよう」

とおっしゃいました。

老婆は詔を奉り、鐘を鳴らして入り、天皇は遠くの鐘の音を聞かれて、詠まれました歌。

あさぢはら をそねをすぎ ももづたふ ぬてゆらくもよ おきめくらしも

浅茅原 をそねを過ぎ 百伝ふ 鐸ゆらくもよ 置目来らしも

浅茅原から 痩せ地を遠く伝わってくる 鐘の音が聞こえてくる 置目がやってくるようだ

 原 文

臨穴哀號、言深更慟、自古以來、莫如斯酷。仲子之尸、交横御骨、莫能別者、爰有磐坂皇子之乳母、奏曰「仲子者上齒墮落、以斯可別。」於是、雖由乳母相別髑髏、而竟難別四支諸骨。由是、仍於蚊屋野中、造起雙陵、相似如一、葬儀無異。詔老嫗置目、居于宮傍近處、優崇賜䘏、使無乏少。是月、詔曰「老嫗、伶俜羸弱、不便行步、宜張繩引絚扶而出入。繩端懸鐸、無勞謁者、入則鳴之、朕知汝到。」於是、老嫗奉詔、嗚鐸而進、天皇遙聞鐸聲、歌曰、

阿佐膩簸囉 嗚贈禰嗚須擬 謨謀逗拕甫 奴底喩羅倶慕與 於岐毎倶羅之慕

ひとことメモ

kz-5-1

來田絮くたわた の 蚊屋野かやの

滋賀県蒲生郡日野町鎌掛に蚊屋野の森という小さな森があり、中に祠が祀られています。來田絮くたわた の 蚊屋野かやのは、このあたり一帯のことを指すのだろうと思われます。

本文に戻る

kz-5-2

山陵みささぎ を二つ

賀県東近江市市辺町にある市辺古墳が市辺押磐皇子の山陵に治定されています。

同じような御陵を二つ作ったとあります。円周50mのものと円周25mのものですから、多きさは異なります。

これらの円墳が、皇子と仲子の墓であるとするならば、大きい方に市辺押磐皇子の頭蓋骨が埋葬されたのでしょうね。

本文に戻る

スポンサーリンク