日本書紀|第二十三代 顕宗天皇⑥|山部連の誕生・韓帒と倭帒の明暗

2021年10月25日

弘計天皇 -おけのすめらみこと-
第二十三代  顕宗天皇 -けんぞうてんのう-

続き、、、

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山部連の誕生

三月上巳(かみのみのひ=三日) 後苑みそので曲水宴を催しました。

四月十一日 天皇が詔して、

「およそ、王が民を励ます方法は、官職を授けることであり。国を盛んにする方法は、論功行賞を行うことである。

前の播磨國司はりまのくにのみこともち の来目部小楯くめべのをだて  亦の名、磐楯いはたて  、朕を見つけて迎えを求めてくれた。この功績は大きい。願いがあれば何でも申せ」

とおっしゃいました。

小楯は御礼を申し上げて、

山官やまのつかさ が願うところでございます」

と申し上げました。

そこで、山官「1」を拝し、姓を改めて山部連やまべのむらじ の うじ 」とし、吉備臣きびのおみ を副官として、山守部やまもりべ を 部民 としました。

善を褒めて功を明らかにし、恩に報いて厚く応え、寵愛は殊の外、富は並ぶ者がありませんでした。

 原 文

三月上巳、幸後苑、曲水宴。夏四月丁酉朔丁未、詔曰「凡人主之所以勸民者、惟授官也。國之所以興者、惟賞功也。夫前播磨國司來目部小楯更名磐楯、求迎舉朕、厥功茂焉。所志願、勿難言。」小楯謝曰「山官、宿所願。」

乃拜山官、改賜姓山部連氏、以吉備臣爲副、以山守部爲民。裒善顯功、酬恩答厚、寵愛殊絶、富莫能儔。

 

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狭狭城山君ささにやまのきみ

五月 狭狭城山君ささにやまのきみ韓帒宿禰からのふくろのすくね 「2」は、皇子 押磐おしは の殺害を助けた罪で、誅殺されることになりましたが、頭を叩きつけて言ったことばが哀れでした。

天皇は殺すのも可哀想だと思い、陵戸と山守「3」を命じ、官職から除籍し山部連の奴隷としました。

ただ、倭帒宿禰やまとのふくろのすくね  「2」だけは、妹の置目の功績により、元の狭狭城山君の氏を賜りました。

六月 避暑殿にお出ましになられ、歌舞の会を開かれ、群臣を呼ばれて、酒食の席を設けられました。

この年は太歳乙丑きのとのうしです。

 原 文

五月、狹々城山君韓帒宿禰、事連謀殺皇子押磐、臨誅叩頭、言詞極哀。天皇、不忍加戮、充陵戸兼守山、削除籍帳、隸山部連。惟倭帒宿禰、因妹置目之功、仍賜本姓狹々城山君氏。

六月、幸避暑殿、奏樂、會群臣、設以酒食。是年也、太歲乙丑。

 

ひとことメモ

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山官やまのつかさ

山部やまべとは、朝廷直轄の山林の管理や、山林から生産される産物を貢納する職業部です。農民でありながら軍事的な役割も果たすようになります。

山部おびと・山部あたい・山部きみなどが、部民を管理監督する地方役職。

山官やまのつかさは、これら山部首や山部直などを管掌する伴造です。

小楯は山部のトップになったということでので、山部連は大きな勢力を持つようになります。

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韓帒宿禰からのふくろのすくね倭帒宿禰やまとのふくろのすくね

韓帒宿禰からのふくろのすくねは、雄略天皇の即位前の「市辺押磐皇子を狩りに誘って射殺した事件」で、誘い出す役を担った人です。その罪で誅殺されそうになったんです。

一方、倭帒宿禰やまとのふくろのすくねは置目の兄。

この段を読む限り、一族郎党連帯責任すなわち狭狭城山君ささにやまのきみ一族全員が罰せられることになったが、置目の功績により、置目おの兄の倭帒宿禰やまとのふくろのすくねだけは罪を免れて狭狭城山君ささにやまのきみの氏が復活したというような理解が出来そうです。

韓帒宿禰からのふくろのすくね倭帒宿禰やまとのふくろのすくねは、創作した名前のように感じます。悪と善の表現として韓と倭を使ったのでしょうか。日本書紀編纂当時の世相が反映されているように思えます。

日本書紀|第二十一代 雄略天皇③|市辺押磐皇子・御馬皇子も。政敵一掃作戦の総仕上げ

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陵戸と山守

陵戸は、天皇・皇后・皇室の御陵の守衛にあてられた戸で、死者は忌むべきもののため賤民の扱いとなりました。

山守を守戸のことだとすると、陵戸を助けて御陵の清掃に従事する近隣の農民のことです。こちらは賤民ではなく良民に属します。

いずれも、課税や労役は免除されたようですよ。

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