第六代 孝安天皇|

日本足彥国押人天皇(やまとたらしひこくにおしひとのすめらみこと)
第六代 孝安(こうあん)天皇

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即位前

日本足彥国押人天皇(=孝安天皇)は観松彥香殖稲天皇(=孝昭天皇)の第二皇子です。。母は世襲足媛(よそたらしひめ)で、尾張連の遠祖の瀛津世襲(おきつよそ)の妹です。

孝昭六十八年(前408)

春正月に、皇太子となられました。

孝昭八十三年(前393)

秋八月に孝昭天皇が崩御されました。

 原文

日本足彥國押人天皇 觀松彥香殖稻天皇第二子也 母曰世襲足媛 尾張連遠祖瀛津世襲之妹也 天皇 以觀松彥香殖稻天皇六十八年春正月 立爲皇太子 八十三年秋八月 觀松彥香殖稻天皇崩

即位と宮

孝安元年 (前392)

正月二十七日 皇太子が天皇に即位なさいました。

この年は太歳己丑(つちのとのうし)です。

孝安2年(前391)

十月 都を室(むろ)の地に遷しました。これを秋津嶋宮(あきづしまのみや)といいます。

 原文

元年春正月乙酉朔辛卯 皇太子卽天皇位 秋八月辛巳朔 尊皇后曰皇太后 是年也 太歲己丑
二年冬十月 遷都於室地 是謂秋津嶋宮

 かんたん解説

室の秋津嶋宮

御所市大字室。京奈和自動車道「御所南インター」から西へ500mほどの八幡神社境内に秋津嶋宮跡の石碑が立ってます。

宮跡の背後に「宮山古墳」があります。このあたりでは最大規模の古墳で、武内宿禰の墳墓ではないかと囁かれていますが、確証はないとのこと。

皇后

孝安26年(前367)

二月十四日 姪(みめ)の押媛(おしひめ)を皇后とされました。

ある話では、磯城縣主(しきのあがたぬし)葉江(はえ)の娘で長媛(ながひめ)とも伝わります。
或いは、十市縣主(とをちのあがたぬし)五十坂彥( いさかひこ)の娘の五十媛(いさかひめ)とも伝わります。

皇后は大日本根子彥太瓊天皇(おほやまとねこひこふとにのすめらみこと)をお生みになりました。

 原文

廿六年春二月己丑朔壬寅 立姪押媛爲皇后一云 磯城縣主葉江女長媛 一云 十市縣主五十坂彥女五十坂媛也 后生大日本根子彥太瓊天皇

 かんたん解説

3人の皇后伝承

またもや、3人の皇后伝承が伝わっているようです。いい加減、飽きてきました。

押媛

押媛は天皇の姪とあります。結構な近親結婚ですね。

押媛の父は、孝安天皇の弟の「天足彥國押人命」で、母は饒速日命6世孫の建田背命の妹「宇那比媛命」。なかなかに格式高い血筋のお嬢さんです。

折角なので、2代~7代の皇后リストを作成してみました。

  • 2代綏靖天皇・・・事代主神の娘の五十鈴依媛
  • 3代安寧天皇・・・事代主神の孫の鴨王の娘の渟名底仲媛命
  • 4代懿徳天皇・・・安寧天皇の第一皇子の息石耳命の娘の天豐津媛命
  • 5代孝昭天皇・・・葛城国造剣根命の孫の世襲足媛
  • 6代孝安天皇・・・孝安天皇の姪の押媛
  • 7代孝霊天皇・・・磯城縣主大目の娘の細媛命

長媛

またもや、磯城県主葉江の娘です。

前の記事にも掲載している、磯城県主から妃として入った姫様リストです。

  • 2代綏靖天皇・・・磯城県主黒速の娘で川派媛・・・大典侍
  • 3代安寧天皇・・・磯城縣主葉江の娘で川津媛・・・典侍
  • 4代懿徳天皇・・・磯城縣主葉江の弟の猪手の娘で泉媛・・・典侍
  • 4代懿徳天皇・・・磯城縣主太眞和稚彦の娘の飯日媛・・・長橋
  • 5代孝昭天皇・・・磯城縣主葉江の娘で渟名城津媛・・・典侍
  • 6代孝安天皇・・・磯城縣主葉江の娘で長媛・・・大典侍
  • 7代孝霊天皇・・・磯城縣主大目の娘で細媛命・・・☆☆皇后☆☆

4代には二人も入れていますね。

そして、3代~6代まで、続けざまに葉江の娘が妃になってます。葉江って何歳まで子作りしたの?ってな感じです。BC550年頃~BC370年として180年間ですよ。あり得ない。

こんなことだから、欠史8代の実在性が、、、なんて言われてしまうのです。

五十坂媛

さあ今度は、十市県主である五十坂彦の娘です。

十市県主も皇室に近い存在のようで、改名前の春日県主時代から数えると、6人の妃を入れています。

リストにしておきます。

  • 2代綏靖天皇・・・春日県主大日諸の娘の糸織媛・・・勾当→典侍
  • 4代懿徳天皇・・・なし
  • 3代安寧天皇・・・春日県主大日諸の妹の渟名底仲媛・・・☆☆皇后☆☆
  • 3代安寧天皇・・・春日県主大間宿禰の娘の糸井媛・・・長橋→大典侍
  • 4代懿徳天皇・・・なし
  • 5代孝昭天皇・・・春日県主の娘で大井媛・・・長橋
  • 6代孝安天皇・・・十市県主五十坂彦の娘で五十坂媛・・・勾当
  • 7代孝霊天皇・・・十市県主大日彦の娘で倭眞舌媛・・・勾当

先帝の御陵

孝安38年(前355)

八月十四日 孝昭天皇を掖上博多山上陵(わきかみのはかたのやまのかみのみささぎ)に埋葬申し上げました。

 原文

卅八年秋八月丙子朔己丑 葬觀松彥香殖稻天皇于掖上博多山上陵

 かんたん解説

掖上博多山上陵

奈良県御所市大字三室にある自然丘に治定されています。すぐ近くに鴨都波神社がありますので、鴨氏拠点のど真ん中ですね。

宮内庁管轄で学術的な調査は行われていないため、どのような構造になっているのかなどわからなことが多いみたいです。

本文によると、崩御してから38年後に葬ったことになりますので、これはおそらく改葬なのではないかと思います。

小山の東の麓に「孝昭宮」という神社があります。これは、この小山の上にあったものを遷座したものらしいです。拝殿内には古いものから新しいものまで、たくさんの白馬が描かれた絵馬が奉納されています。一見の価値ありです。

立太子

孝安76年(前317)

正月五日 大日本根子彥太瓊尊を皇太子に立てられました。皇太子は御年26歳でした。

 原文

七十六年春正月己巳朔癸酉 立大日本根子彥太瓊尊 爲皇太子 年廿六

 

崩御

孝安102年(前291)

正月九日 孝安天皇が崩御されました。

 原文

百二年春正月戊戌朔丙午 天皇崩

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