日本書紀|第十六代 仁徳天皇⑭|雌鳥皇女・隼別皇子、誅殺される

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伊勢へ逃げる

皇子は雌鳥皇女めとりのひめみこを連れて、伊勢神宮に入ろうと急ぎました。天皇は隼別皇子はやぶさわけのみこが逃走したと聞いて、吉備品遅部雄鯽きびのほむちべ おふな播磨佐伯直阿俄能胡はりまのさへきのあたひ あがのこを遣わして、

「追いついて捉え、すぐに殺せ!」

と命じられました。

皇后が、

「雌鳥皇女も、まこと重罪に当たります。でも、殺す時に、皇女の体を露(あらわ)にすることは望みません。」

と申し上げると、天皇は雄鯽らに勅して、

「皇女が付けている足玉・手玉を取ってはならぬ。」

と命じられました。

雄鯽おふならは、菟田うだ素珥山そにのやままで追い迫りました。その時、二人は草叢くさむらに隠れて、かろうじて免れることが出来ました。

急いで山を越えた時に、皇子が詠まれた歌

はしたての さがしきやまも わぎもこと ふたりこゆれば やすむしろかも

梯子の 険しき山も 我妹子と 二人越ゆれば 安蓆かも

梯子を立てたような 険しい山も、我が妻と 二人で越えれば、安らかなむしろに座っているようなものさ

雄鯽おふならは逃げられたことを知り、急いで追いかけて伊勢の蒋代野このしろのので二人を殺ました。この時、雄鯽おふなは皇女の玉を探して自分の懐に入れ、二人を廬杵河いおきのかわのほとりに埋葬して、復命しました。

この時、皇后が雄鯽おふならに

「まさか皇女の玉を見てないでしょうね。」

とお尋ねになると、

「見ませんでした」

雄鯽おふならは答えました。

 原 文

時皇子率雌鳥皇女、欲納伊勢神宮而馳。於是、天皇聞隼別皇子逃走、卽遣吉備品遲部雄鯽・播磨佐伯直阿俄能胡曰「追之所逮卽殺。」爰皇后奏言「雌鳥皇女、寔當重罪。然其殺之日、不欲露皇女身。」乃因勅雄鯽等「莫取皇女所齎之足玉手玉。」雄鯽等、追之至菟田、迫於素珥山。時隱草中僅得兔。急走而越山、於是、皇子歌曰、

破始多氐能 佐餓始枳揶摩茂 和藝毛古等 赴駄利古喩例麼 揶須武志呂箇茂

爰雄鯽等知兔、以急追及于伊勢蔣代野而殺之。時雄鯽等、探皇女之玉、自裳中得之、乃以二王屍埋于廬杵河邊而復命。皇后令問雄鯽等曰「若見皇女之玉乎。」對言「不見也。」

 ひとことメモ

吉備品遅部雄鯽

吉備品遅部雄鯽きびのほむちべのおふなは、吉備品治国きびのほむちのくに(現:福山市あたり)の国造です。

ちなみに品遅部ほむちべとは、しゃべることが出来なかった垂仁天皇の皇子「誉津別命ほむつわけのみこと」が話せるようになったことを喜んで設置した部民です。

播磨佐伯直阿俄能胡

播磨佐伯直阿俄能胡はりまのさえきのあたい あがのこは、播磨国の佐伯直さえきのあたい阿俄能胡あがのこさんです。佐伯直は、佐伯部を管理する伴造とものみやつこ。あまり上級の役人ではないようです。

そもそも佐伯部は、日本武尊の東征によって捕虜となった蝦夷・毛人の人々。

伊勢神宮に収監したが騒ぐため、三輪山周辺に移したが、山の木を勝手に切ったり勝手放題をしたため畿外へと出され、播磨国・讃岐国・伊予国・安芸国・阿波国に分散して住まわせた。

そんなこんなで、当時は差別的な扱いをされていたと考えられます。

 

素珥山・蒋代野・廬杵河

素珥山そにやまは、今の曽爾高原そにこうげんあたりでしょう。具体的な山名は不明です。

蒋代野このしろののも場所は特定されていません。蒋代野このしろののの「蒋」は「まこも」とも読むそうです。
さて、三重県に菰野こものという地名があり、真菰まこもという野菜が特産だといいます。さらには、伊勢神宮の神領地だったとも。なんか、つながりますね。

廬杵(いおき)は、家城(いえき)だという説がありました。となると、三重県一志郡家城町、今の三重県津市白山町です。ここを流れる川、すなわち雲出川が廬杵河となります。

 

 

玉代たまての由来

この年、の新嘗にいなえの月の宴会の日に、酒を内外の命婦らに賜りました。

この席で、近江山君稚守山おうみのやまのきみ わかもりやまの妻と、釆女うねめ磐坂媛いわさかのひめの、二人の女性の手に、良珠が巻かれていました。

皇后がその珠ご覧になり、雌鳥皇女ひなとりのひめみこの珠に似ていると思い、疑いました。

役人に命じて取り調べさせたところ

佐伯直阿俄能胡さえきのあたいのあがのこの妻の玉です。」

と答えました。そこで、阿俄能胡あがのこを尋問すると、

「皇女を殺したとき、探り取ったものです。」

と白状しましたので、すぐに阿俄能胡あがのこを誅殺しようとしました。

すると阿俄能胡あがのこは、自分の土地を献上することで、死罪を免れたいと願い出ました。その土地を納めて死罪は許されました。そこで、その土地を玉代たまてと呼ぶのです。

 原 文

是歲、當新嘗之月、以宴會日、賜酒於內外命婦等。於是、近江山君稚守山妻與采女磐坂媛、二女之手有纏良珠。皇后見其珠、既似雌鳥皇女之珠、則疑之、命有司推問其玉所得之由。對言「佐伯直阿俄能胡妻之玉也。」仍推鞫阿俄能胡、對曰「誅皇女之日、探而取之。」卽將殺阿俄能胡。

於是阿俄能胡、乃獻己之私地、請贖死。故納其地赦死罪、是以、號其地曰玉代。

 ひとことメモ

阿俄能胡あがのこの妻の持ち物

雌鳥皇女ひなとりのひめみこの珠を取ったのは吉備品遅部雄鯽きびのほむちべ おふなでしたが、持っていたのが播磨佐伯直阿俄能胡はりまのさへきのあたひ あがのこの妻だったとのこと。

何故でしょう。いろいろを想像できますが、わかりませんです。

玉代

珠をとった罪の代わりに献上された土地だから玉代たまてと呼ばれたとこのと。

玉代の場所は不明です。

玉代あるいは玉手という地名を探すと、玉手山公園がある大阪府柏原市玉手町とか、孝安天皇陵の玉手丘上陵がある奈良県御所市大字玉手とか、大歳神社のある姫路市玉手とかが見つかります。

阿俄能胡あがのこは播磨国佐伯直ですから、播磨の姫路市玉手が最も似つかわしいと思います

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