日本書紀|第十六代 仁徳天皇⑮|酒君と鷹匠・日本で雁が子を産んだ?

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酒君さけのきみの無礼

仁徳41年 癸丑(みずのとのうし) 353

三月 紀角宿禰きのつのすくねを百済へ遣わし、初めて国郡の境界を分けて、郷土の産物を記録させました。この時、百済王の一族の酒君さけのきみが無礼だったので、紀角宿禰きのつのすくねが百済王を叱責しました。すると百済王これを畏れて、酒君を鉄鎖で縛って襲津彦そつひこに従わせて進上しました。

このようにして来朝した酒君は、石川錦織首許呂斯いしかはのにしきおりのおびと ころしの家に逃げて隠れました。

そして、

「天皇は既に私の罪をお許しくださいました。あなたに預けて生かしてくださいました。」

と嘘を言いました。

久しくしてから、天皇は酒君の罪をお許しになりました。

 原 文

卌一年春三月、遣紀角宿禰於百濟、始分國郡壃場、具錄鄕土所出。是時、百濟王之族酒君无禮、由是、紀角宿禰訶責百濟王。時百濟王悚之、以鐵鎖縛酒君、附襲津彥而進上。

爰酒君來之、則迅匿于石川錦織首許呂斯之家、則欺之曰「天皇既赦臣罪、故寄汝而活焉。」久之、天皇遂赦其罪。

 ひとことメモ

紀角宿禰きのつのすくねが百済に乗り込んで、国境を確定させ、産物を細かに記録したとあります。これは、ヤマト朝廷が百済の統治体制を整理したということになります。すなわち、ヤマト朝廷の方が百済よりも上位だったということですね。文化・技術面はともかくとして、国力は断然上だったのでしょう。

 

鷹甘部を定める

仁徳43年 乙卯(きのとのう) 355

九月一日 依網屯倉よさみのみやけ阿弭古あびこが、珍しい鳥を捕まえて、天皇に献上して、

「私は、いつも網を張って鳥を捕えますが、このような鳥は捕まえたことはありません。珍しいので献上いたします。」

と申し上げました。

そこで、天皇は酒君を呼んで、

「この鳥はなんじゃ」

と尋ねましたところ、酒君は、

「この鳥は、百済にたくさんいます。馴らせば、人の指示に従い、素早く飛んで、いろんな鳥を捕まえます。百済ではこの鳥を倶知くちと呼んでいます。」

と申し上げました。これは今の鷹です。

そこで、その鳥を酒君に授けて馴らさせましたところ、幾日も経たずに馴れました。

酒君は、おしかわ(なめし皮)のあしお(紐)をその足に巻きつけ、小鈴をその尾に付け、腕の上に乗せて、天皇に献上しました。

この日に、百舌鳥野もずのにお出ましになり、狩りをなさいました。雌雉めきぎしがたくさん飛びあがったので、鷹を放って捕らえさせたところ、あっというまに数十の雉を獲りました。

この月 初めて鷹甘部たかかいべを定めました。なので時の人は、その鷹を飼う所を鷹甘邑たかかいのむらと呼びました。

 原 文

卌三年秋九月庚子朔、依網屯倉阿弭古、捕異鳥、獻於天皇曰「臣、毎張網捕鳥、未曾得是鳥之類。故奇而獻之。」天皇召酒君、示鳥曰「是何鳥矣。」酒君對言「此鳥之類、多在百濟。得馴而能從人、亦捷飛之掠諸鳥。百濟俗號此鳥曰倶知。」是今時鷹也。乃授酒君令養馴、未幾時而得馴。酒君則、以韋緡著其足、以小鈴著其尾、居腕上、獻于天皇。是日、幸百舌鳥野而遊獵。時雌雉多起、乃放鷹令捕、忽獲數十雉。是月、甫定鷹甘部、故時人號其養鷹之處、曰鷹甘邑也。

 ひとことメモ

依網屯倉阿弭古よさみのみやけのあびこ

依網屯倉よさみのみやけは、依網池の造営に伴い設置された朝廷直轄地で、大阪市住吉区我孫子町・庭井町あたりから、松原市天善町・三宅あたりまで広がる広大なものだったといわれています。

阿弭古あびこは、古代のかばね。部長とか課長というような地位を示す称号です。ですから、依網屯倉阿弭古あびこは、依網の屯倉の長官というぐらいのイメージです。

 

 

倭国で雁が子を産んだ?

仁徳50年 壬戌(みずのえのいぬ) 362

三月五日 河内の人が申し上げて言うに、

茨田堤まったのつつみが子を産みました。」

とのことでした。

天皇は使者を遣わして見に行かせましたところ、

「本当のことでした」

とのことでした。

天皇は、武内宿禰たけのうちのすくねに歌で尋ねました。

たまきはる うちのあそ なこそは よのとほひと なこそは くにのながひと あきづしま やまとのくにに かりこむと なはきかすや

たまきはる 内の朝臣 汝こそは 世の遠人 汝こそは 国の長人 秋津嶋 倭の国に 雁産むと 汝は聞かすや

武内朝臣よ あなたこそ 遠い昔から生きておられる人 あなたこそ 国で一番の長寿の人 だからこそ聞くが、倭の国で雁が子を産んだということを、あなたは聞いたことがありますか

武内宿禰が歌でお答えしました

やすみしし わがおほきみは うべなうべな われをとはすな あきづしま やまとのくにに かりこむと われはきかず

やすみしし 我が大君は 宜な宜な 我を問はすな 秋津嶋 倭の国に 雁産むと 我は聞かず

我が大君が、私にお聞きになられるのは、ごもっともなことです 倭の国で雁が子を産むということなど、私は聞いたことがありません

 原 文

五十年春三月壬辰朔丙申、河內人奏言「於茨田堤、鴈産之。」卽日、遣使令視、曰「既實也。」天皇於是、歌以問武內宿禰曰、

多莽耆破屢 宇知能阿曾 儺虛曾破 豫能等保臂等 儺虛曾波 區珥能那餓臂等 阿耆豆辭莽 揶莽等能區珥々 箇利古武等 儺波企箇輸揶

武內宿禰答歌曰、

夜輸瀰始之 和我於朋枳瀰波 于陪儺于陪儺 和例烏斗波輸儺 阿企菟辭摩 揶莽等能倶珥々 箇利古武等 和例破枳箇儒

 ひとことメモ

雁(ガン・カリガネ)のことです。

ガンは秋口ぐらいから日本にやってきて越冬し、初夏の5月になると北へと飛び去ります。シベリアなどの北極圏まで移動するらしいです。

そして、北極圏で産卵し子育て。秋になると、子供を連れて日本にやってくる。

ですから、日本でガンが卵を産むのは、とんでもなく珍しいことなのです。

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