日本書紀|第十六代 仁徳天皇⑱|闘鶏の氷室・飛騨の宿儺

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闘鶏の氷室

この年、 額田大中彦皇子ぬかたのおほなかつひこのみこ闘鶏つげで狩りをされていた時、皇子が山上から見渡すと、野中に何かあるのを見つけられました。それはいおりのような形をしていました。使者を遣わして調べてさせると

むろです。」

と言いました。

そこで、闘鶏つげ稲置いなき大山主おおやまぬしを呼び出して、

「野中にあるあれは、なんの窟じゃ?」

と尋ねると、

氷室ひむろです。」

答えました。

皇子が

「そこに入れるのはいかなるものか、またそれは何に使うのか。」

と尋ねると、

「土を一丈ほど掘り、草でその上を覆い、下には茅荻かやすすきを厚く敷いて、その上に氷を置きます。すると、夏月を越しても溶けません。使い方はといいますと、暑い月に、水や酒に漬して使います。」

と答えました。

皇子はすぐにその氷をもって、献上したところ、天皇は大変喜ばれました。

これ以降、毎年師走に氷を貯蔵して、春分になるとその氷を配りました。

 原 文

是歲、額田大中彥皇子、獵于鬪鶏、時皇子自山上望之、瞻野中、有物、其形如廬。乃遣使者令視、還來之曰、「窟也。」因喚鬪鶏稻置大山主、問之曰「有其野中者、何窨矣。」啓之曰「氷室也。」皇子曰「其藏如何。亦奚用焉。」曰「掘土丈餘、以草蓋其上、敦敷茅荻、取氷以置其上。既經夏月而不泮。其用之、卽當熱月、漬水酒以用也。」

皇子則將來其氷、獻于御所、天皇歡之。自是以後、毎當季冬、必藏氷、至于春分、始散氷也。

 ひとことメモ

額田大中彦皇子

額田大中彦皇子ぬかたのおほなかつひこのみこは、仁徳天皇の異母兄です。応神天皇の第一子です。

上古の大王家では第一子は国家祭祀を行う聖人、第二子が政治を行う天皇、という分業体制だったのではないかという説があります。

しかし、聖人は穢れてはいけませんから狩りなどするはずもありません。すでにこの時代ではそのようなルールも無くなりつつあったのでしょう。

ちなみに、吾子籠あごこが久々に登場したあとで、因縁の相手である額田大中彦皇子ぬかたのおほなかつひこのみこが久々に登場しました。この二話を続きで記述したのには、何かわけがあるのでしょうかね。

闘鶏

闘鶏つげは、今の天理市福住あたりです。福住には「闘鶏の氷室跡」とか、「復元氷室」なんかもあります。

この「闘鶏の氷室」の氷は、藤原京から平城京に遷都されるまで、毎年、宮中で配布されたそうです。

平城京に遷都されてから長岡京に遷都されるまでの間は、春日山の北の山中に造られた「吉城氷室」の氷が配られるようになったとか。

ちなみに、これらの氷室に祀られた氷室神社は、今、奈良の東大寺の傍にある氷室神社に祀られています。祭神は、闘鶏つげ稲置いなき大山主おおやまぬし、仁徳天皇、額田大中彦皇子ぬかたのおほなかつひこのみこの3柱です。

天理市福住の復元氷室

 

飛騨の宿儺

仁徳65年 丁丑(ひのとのうし) 377

飛騨ひだ国に宿儺すくなという人がいました。

その人は、一つの体に二つの顔がありました。顔はそれぞれ反対側を向いていて、頭の上は一つになっていて首筋はありませんでした。

それぞれに手足がありました。膝はありますが、ひかがみ(膝の裏にできるエクボみたいな窪み)とかかとがありませんでした。

力が強く、敏捷で、左右に剣を佩き、四つの手で弓矢を同時に使いました。

そして、皇命に従わず、人々を略奪することを楽しみとしていました。

そこで、和珥臣わにのおみの祖の難波根子武振熊なにわのねこたけふるくまを遣わして、これを誅殺させました。

 原 文

六十五年、飛騨國有一人、曰宿儺。其爲人、壹體有兩面、面各相背、頂合無項、各有手足、其有膝而無膕踵。力多以輕捷、左右佩劒、四手並用弓矢。是以、不隨皇命、掠略人民爲樂。於是、遣和珥臣祖難波根子武振熊而誅之。

 ひとことメモ

宿儺

飛騨の宿儺すくなは飛騨国の豪族。ヤマト朝廷に従わなかった一族だったため、土蜘蛛とおなじく蔑視的に異形の人として描写がなされたということでしょう。

岐阜に残る伝承では、地元の英雄だったことが垣間見えるようです。

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