日本書紀|第十六代 仁徳天皇③|大山守皇子の反乱

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大山守皇子の反乱

その後のこと。大山守皇子は常日頃から、先帝から排されて皇太子に立てなかったことを恨んでいましたが、この一件でさらに恨みが増して、遂に謀略を企てて、

「太子(菟道稚郎子)を殺して、天皇になるぞ。」

と言いました。

大鷦鷯尊は、あらかじめその謀略を聞いていて、秘かに、太子に告げて、兵を整えて守らせました。そこで、太子は兵を設えて待ち構えました。

大山守皇子は、その兵の備えがあることを知らず、一人で数百の兵を率いて、夜半に出発しました。明け方に菟道うじに到着し、河を渡ろうとしました。

そのとき、太子は粗末な衣服を着て棹を持ち、度子わたしもりの中に混じって、大山守皇子を船に乗せて、河を渡りました。

河の中程に差し掛かった時、太子は度子に頼んで、船を転覆させました。大山守皇子は河に落ち、浮いて流れていきながら詠んだ歌、

ちはやひと うぢのわたりに さをとりに はやけむひとし わがもこにこむ

ちはや人 菟道の渡りに 棹取りに 速けむ人し 我が元に(面こに)来む

宇治の渡りの上手な船頭さんよ、私を助けに来てください

しかし、多くの伏兵が居たので、岸に泳ぎ着くことができずに沈んで死にました。

遺体を捜させたところ、考羅濟かわらのわたりで浮いていました。その時、菟道稚郎子が、その遺体を見られて詠まれた歌、

ちはやひと うぢのわたりに わたりでに たてる あづさゆみまゆみ いきらむと こころはもへど いとらむと こころはもへど もとへは きみをおもひで すゑへは いもをおもひで いらなけく そこにおもひ かなしけく ここにおもひ いきらずそくる あづさゆみまゆみ

ちはや人 菟道の渡りに 渡り手に 立てる 梓弓檀 い伐らむと 心は思へど い取らむと 心は思へど 本へは 君を思ひ出 末辺は 妹を思ひ出 苛なけく そこに思ひ 愛しけく ここに思ひ い伐らずそ来る 梓弓檀

宇治の渡し場で、渡し場の後ろに立っている弓を作る檀の木よ。それを伐り倒そうと心では思うが、それを取ろうと心では思うが、木の根元を見れば君を思い出し、枝先を見れば妻を思い出し、つらいことをそちらで思い出し、愛しいことをこちらで思い出して、伐り倒さないで来てしまった。弓を作る檀の木よ。

そして、大山守皇子は那羅山ならやまに葬られました。

 原 文

然後、大山守皇子、毎恨先帝廢之非立而重有是怨、則謀之曰「我殺太子、遂登帝位。」爰大鷦鷯尊、預聞其謀、密告太子備兵令守、時太子設兵待之。大山守皇子、不知其備兵、獨領數百兵士、夜半發而行之。會明、詣菟道將渡河、時太子服布袍取檝櫓、密接度子、以載大山守皇子而濟、至于河中、誂度子蹈船而傾。於是大山守皇子、墮河而沒、更浮流之歌曰、

知破揶臂苔 于旎能和多利珥 佐烏刀利珥 破揶鶏務臂苔辭 和餓毛胡珥虛務

然伏兵多起、不得著岸、遂沈而死焉。令求其屍、泛於考羅濟。時太子視其屍、歌之曰、

智破揶臂等 于旎能和多利珥 和多利涅珥 多氐屢 阿豆瑳由瀰摩由彌 伊枳羅牟苔 虛々呂破望閉耐 伊斗羅牟苔 虛々呂破望閉耐 望苔弊破 枳瀰烏於望臂涅 須慧弊破 伊暮烏於望比涅 伊羅那鶏區 曾虛珥於望比 伽那志鶏區 虛々珥於望臂 伊枳羅儒層區屢 阿豆瑳由瀰摩由瀰

乃葬于那羅山。

 ひとことメモ

菟道(宇治)

菟道稚郎子が宮を構えていたから「菟道(宇治)」という地名になったのか、菟道に宮を構えたから菟道稚郎子と称されたのか、定かではありませんが、いずれにしても宇治の地に宮を構えたのは間違いないのだろうと思います。

その場所は、宇治神社とも宇治上神社とも。宇治川を挟んだ眼下には、鳳凰堂で有名な平等院があります。

ですから大山守皇子は平等院あたりから宇治川を渡ろうとしたのでしょう。

考羅濟

「かわらのわたり」と読みます。

現在の京田辺市河原(京田辺駅東側一帯)だと言われていますが、そこは木津川沿岸で、それもなかなかの上流部に位置しますから、宇治川を流れた遺骸が、巨椋池を経由して木津川に入ったとしても、かなりの距離を上流に向かって遡ったことになります。

実は、崇神天皇の御代に反乱を起こした武埴安彦軍が討伐され際に、逃げ惑う兵士たちが兜を取って命乞いをしたという場所も伽和羅(かわら)と呼び、この二つの「かわら」は同じ場所だといわれています。

ですから「かわら」は、木津川と宇治川の合流地点あたりにあって欲しいのです。そこで探してみると、まさに宇治川と木津川が合流する地点、石清水八幡宮が鎮座する男山の東麓に、河原崎という地名があるではありませんか!

那羅山

那羅山ならやま平城山ならやま、すなわち大和国と山城国の境に横たわる平城丘陵のことでしょう。この丘陵のどこかに埋葬されたということですね。現在は佐保山にある境目谷古墳に治定されています。

宮内庁管轄の古墳となりますから、応神天皇に謀反した忍熊皇子の墓に比べると、かなり立派です。

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