日本書紀|第十六代 仁徳天皇⑤|大鷦鷯皇子の命名説話

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大鷦鷯皇子と命名

これより前のこと、天皇がお生まれになった日に、木菟みみづくが産殿に入ってきました。

明朝、応神天皇が大臣の武内宿禰をお呼びになられて、

「これは何のしるしだろうか?」

とお尋ねになると、

「これは吉兆です。実は、昨日、私の妻が出産の時、鷦鷯さざき(ミソサザイ)が産屋に入ってきました。これまた不思議なことでございますな。」

とお答えしました。天皇は、

「私の子と大臣の子は同じ日に生まれ、共にしるしがあった。これは天のしるしであるからして、その鳥の名を互いに交換して、子供の名とし、後の世のしるしとしよう。」

とおっしゃいました。そこで、鷦鷯の名をとって太子を名付けて大鷦鷯皇子おおさざきのみことし、木菟の名とって大臣の子を名付けて木菟宿禰つくのすくねとしました。これが平群臣へぐりのおみの始祖です。

この年の太歳は癸酉みづのとのとりです。

 原 文

初天皇生日、木菟入于産殿、明旦、譽田天皇喚大臣武內宿禰語之曰「是何瑞也。」大臣對言「吉祥也。復、當昨日臣妻産時、鷦鷯入于産屋、是亦異焉。」爰天皇曰「今朕之子與大臣之子、同日共産、並有瑞。是天之表焉、以爲、取其鳥名各相易名子、爲後葉之契也。」則取鷦鷯名以名太子曰大鷦鷯皇子、取木菟名號大臣之子曰木菟宿禰、是平群臣之始祖也。是年也、太歲癸酉。

 ひとことメモ

「共にしるし、天のしるし、後の世のしるしとは、うまいこと言いますね。ラップのような韻の踏みようですね。

それはさておき、

神の鳥

この説話は、仁徳天皇と武内宿禰の君臣の絆の強さを現したものと言われていますが、、、

ミソサザイは、スズメの仲間。スズメよりも少し小さく丸っこい感じ。いつも尾を立てて震わせています。ヨーロッパでは、ミソサザイを「鳥の王」とか「神の雌鳥」とか言われるそうです。

邪悪の象徴

一方、ミミズクはというと、人間のような顔をしているので「英知」の象徴とされるかたわら、夜行性なので「夜・暗」→「邪悪」の象徴ともされます。

さあ、英知と邪悪という二面性を持つミミズクが、仁徳天皇の産屋に飛び込み、鳥の王であるミソサザイが武内宿禰の子の産屋に飛び込んだということになりますよね。

仁徳天皇は、ずる賢くて邪悪?

このような説話を挿入することで、日本書記編纂者は、仁徳天皇の本当の姿を書き残しておいたのではないかと、またもや、勘繰ってしまいます。

 

后妃と皇子・皇女たち

仁徳2年 甲戌(きのえのいぬ) 314

三月八日 磐之媛命いわのひめを立てて皇后とされました。

皇后は、

  • 大兄去来穂別天皇おほえのいざほわけのすめらみこと(履中天皇)
  • 住吉仲皇子すみのえのなかつみこ
  • 瑞齒別天皇みつはわけのすめらみこと(反正天皇)
  • 雄朝津間稚子宿禰天皇をあさづまわくごのすくねのすめらみこと(允恭天皇)

をお生みになりました。

また、妃の日向髪長媛ひむかのかみながひめは、

  • 大草香皇子おほくさかのみこ
  • 幡梭皇女はたびのひめみこ

をお生みになりました。

 原 文

二年春三月辛未朔戊寅、立磐之媛命爲皇后。皇后生大兄去來穗別天皇・住吉仲皇子・瑞齒別天皇・雄朝津間稚子宿禰天皇。又妃日向髮長媛、生大草香皇子・幡梭皇女。

 ひとことメモ

磐之媛命

磐之媛いわのひめ命は、葛城襲津彦かつらぎのそつひこの娘で、武内宿禰たけのうちのすくねの孫にあたります。すなわち、葛城一族の出身です。今までの天皇の皇后は神の子か、皇族の出身でしたから、皇族以外の初の皇后となります。

このあと、磐之媛命が葛城の出身であることが強調される場面があります。これは葛城出身であることを強調したかったからでしょう。えっ?強調したかったから強調したって、あたりまえじゃん。と思いますよね。

この姫はヤキモチ焼きとして描かれます。このあと、天皇が彼女のヤキモチに苦労したお話がいくつか登場します。私は、日本の正式な史書に、皇后のヤキモチぶりを記述する必要は無いんじゃないの?と思うのです。

すなわち、ヤキモチ焼きのお話に、他の別の歴史的な何かを隠しているのでは?と思うわけです。

それはまた、後ほど。。。

4人の皇子

磐之媛いわのひめ命が産んだ4人の皇子の内、3人が天皇となっています。いかに葛城の磐之媛いわのひめ命の権力が強かったかが伺えるのですが、問題は、第二子の住吉仲皇子だけが天皇になっていないということです。

この件は、履中天皇紀でお話したいと思います。

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