日本書紀|第十七代 履中天皇④|瑞歯別皇子が住吉仲皇子を討つ

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お前も信じられん!

太子は石上振神宮いそのかみのふるのかむのみやにおいでになりました。瑞歯別皇子みつはわけのみこは、太子が宮に居られないことを知り、尋ねて追ってこられました。しかし、太子は弟王いろどのみこの心を疑って、呼び入れませんでした。

そこで、瑞歯別皇子みつはわけのみこは人を介して、

「私には邪心などありません。ただただ太子が居られないことが心配で、やってきただけです」

と申し上げました。太子は、使いを通じて弟王に、

「私は仲皇子なかつみこの反逆を恐れて、一人ここに逃れてきた。何でお前は疑わしくないと言えようか。仲皇子なかつみこがいることが、私を病気にするのだ。もし、お前に邪心がないのなら、難波に引き返して仲皇子なかつみこを殺してこい。それから、会おう」

とおっしゃいました。

 

瑞歯別皇子みつはわけのみこは、太子に申し上げました。

「あなたは何をそんなに心配しているんですか。今、仲皇子なかつみこには道義がなく、群臣や人民も共に憎んでいます。また、子飼いの家臣ですら彼に背いて敵となっていますから、孤独で相談できる相手もありません。

私は、その反逆を知りましたが、太子の命令を受けておりませんので、一人で憤慨していました。今、命令を受けましたので、仲皇子なかつみこを誅殺するなど簡単なことです。

ただ、ひとつ私が恐れるのは、仲皇子なかつみこを誅殺したのちも、まだ私をお疑いになられるのではないかということです。願わくば、心正しい人をお目付け役として、私が欺かないことを証明してもらいたいと思います。」

そこで、太子は木莵宿禰つくのすくねを副えて遣わしました。

 原 文

太子便居於石上振神宮。於是、瑞齒別皇子、知太子不在、尋之追詣。然太子疑弟王之心而不喚、時瑞齒別皇子令謁曰「僕無黑心、唯愁太子不在而參赴耳。」爰太子傳告弟王曰「我、畏仲皇子之逆、獨避至於此、何且非疑汝耶。其仲皇子在之、獨猶爲我病。遂欲除、故汝寔勿異心、更返難波而殺仲皇子。然後、乃見焉。」

瑞齒別皇子啓太子曰「大人何憂之甚也。今仲皇子無道、群臣及百姓共惡怨之、復其門下人皆叛爲賊、獨居之無與誰議。臣、雖知其逆、未受太子命之、故獨慷慨之耳。今既被命、豈難於殺仲皇子乎。唯獨懼之、既殺仲皇子、猶且疑臣歟。冀見得忠直者、欲明臣之不欺。」太子則副木菟宿禰而遣焉。

 ひとことメモ

石上振神宮

石上神宮のことです。

ここには各氏族が朝廷への服従の証として献上した神宝が収められており、その神宝の管理を司っていたのが、後に国家祭祀と軍事を司ることとなる物部氏です。

太子は、物部氏を頼って石上神宮に退避したと見るのが自然だと思います。

瑞歯別皇子

瑞歯別皇子みつはわけのみこは、仁徳天皇の第三皇子です。次の反正天皇となる人です。

瑞歯別皇子みつはわけのみこからすると、太子も住吉仲皇子すみのえのなかつみこも、血を分けたお兄さんですから、この状況は辛いでしょうね。

木菟宿禰

木菟宿禰は、瑞歯別皇子みつはわけのみこの母親である磐之媛いわのひめの父親である葛城襲津彦かつらぎのそつひこのお兄さんです。

そして、仁徳天皇と同じ生年月日だといいますから、相当な爺さんですね。

 

家臣に殺される住吉仲皇子

瑞歯別皇子みつはわけのみこは嘆きました。

「太子と仲皇子なかつみこは、共に私の兄である。どちらに従い、どちらにに背くべきだろう。しかし、道義の無いものを滅ぼし、道義あるものに従えば、誰が私を疑おうか。」

難波に至り、仲皇子の様子を窺いました。

 

仲皇子なかつみこは、太子が逃げられたので、備えをしていませんでした。この時、仲皇子なかつみこの近習に隼人がいました。名を刺領巾さしひれといいます。

瑞歯別皇子みつはわけのみこは、刺領巾さしひれを密かに呼んで、騙して

「私のために皇子を殺せば、必ず厚く報いるぞ」

と勧誘し、錦の衣服と袴を脱いで、これを与えました。刺領巾さしひれは、その言葉を信じて、一人で矛を取り仲皇子なかつみこかわやに入るところを伺って刺殺し、瑞歯別皇子に報告しました。

その時、木莵宿禰つくのすくね瑞歯別皇子みつはわけのみこ

刺領巾さしひれは人の為に自分の君を殺しました。これは、我らには大きな功ありと言えども、自分の君に対する慈悲の無いこと甚だしいです。どうして生かしておけましょうや」

と申し上げ、刺領巾さしひれを刺殺しました。

その日のうちに、倭に向い、夜中に石上に着いて復命しました。太子は弟王を呼び入れて厚くもてなされました。そして村合屯倉むらあわせのみやけをお与えになられました。また、この日に、阿曇連浜子あづみのむらじ はまこを捕らえました。

 原 文

爰瑞齒別皇子歎之曰「今太子與仲皇子、並兄也。誰從矣、誰乖矣。然、亡無道就有道、其誰疑我。」則詣于難波、伺仲皇子之消息。

仲皇子、思太子巳逃亡而無備。時有近習隼人、曰刺領巾。瑞齒別皇子、陰喚刺領巾而誂之曰「爲我殺皇子、吾必敦報汝。」乃脱錦衣褌、與之。刺領巾、恃其誂言、獨執矛、以伺仲皇子入厠而刺殺、卽隸于瑞齒別皇子。於是木菟宿禰、啓於瑞齒別皇子曰「刺領巾、爲人殺己君。其爲我雖有大功、於己君無慈之甚矣。豈得生乎。」乃殺刺領巾。卽日向倭也、夜半臻於石上而復命。於是、喚弟王以敦寵、仍賜村合屯倉。是日、捉阿曇連濱子。

 ひとことメモ

刺領巾

住吉仲皇子に仕えていた隼人の刺領巾さしひれは、古事記では曽婆訶理そばかりという名で登場します。

隼人とは南九州を本拠とする一族で、ヤマト朝廷に征服されて以降は、その優れた武術や呪術で宮廷の警護や、有力氏族の私的な家来として雇われたようです。

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