日本書紀|第十七代 履中天皇⑦|宗像三女神の祟りで皇妃が薨去す!

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黒媛の急死

同月十九日 風の音のような声が、大空から呼んで、

「(劒刀つるぎたち:枕詞)太子王ひつぎのみこよ」

といいました。また呼んで、

「(鳥往来かよう:枕詞)羽田はた汝妹なにもは、羽狭はさで亡くなった」

と言いました。更に、

狭名來田蒋津之命さなくたこもつのみこと羽狭はさで亡くなった」

と言いました。

突然、にわかに使者が来て、

「皇妃が薨去こうきょされました」

天皇は大変驚かれて、馬に乗って急いでお帰りになられました。

同月二十二日 淡路から宮に戻られた。

 原 文

癸卯、有如風之聲、呼於大虛曰「劒刀太子王也。」亦呼之曰「鳥往來羽田之汝妹者、羽狹丹葬立往。」汝妹、此云儺邇毛。亦曰「狹名來田蔣津之命、羽狹丹葬立往也。」俄而使者忽來曰「皇妃薨。」天皇大驚之、便命駕而歸焉。丙午、自淡路至。

 ひとことメモ

羽田の汝妹

これは、「羽田のお前の愛する妻」という意味です。

羽田は「羽田矢代宿禰はたのやしろのすくねの娘」という意味ですから、履中天皇が愛する妻は羽田矢代宿禰はたのやしろのすくねの娘だということになります。

皇妃となった黒媛は葦田宿禰あしたのすくねの娘と紹介されてたのに。。。葦田宿禰あしたのすくねは誤記だった?

いずれにしても、羽田矢代宿禰はたのやしろのすくね葦田宿禰あしたのすくねも、武内宿禰の子あるいは孫ですから、葛城一族には違いなく、前述の私の妄想にも、なんら影響はないので安心なのです???

 

狭名來田蒋津之命

これまたややこしい名前が出て来ました。とりあえずは、亡くなった黒媛のことを指します。

狭名来田は、日本書紀巻2の一書の(2)で、神吾田鹿葦津姫(木花咲耶姫命)が占いで場所を決めた「狭名田」と同じく、”神田” をさすものと考えられます。

こもは、こもマコモのことで、イネ科の植物です。正月に鏡開きをする ”菰樽” に巻かれている藁を編んだようなヤツが菰です。

種子は穀物として食用されていました。また黒穂菌くろぼきんが寄生した新芽は肥大化して真菰筍まこもだけと呼ばれる食材になります。万葉集にも登場します。

出雲大社では、神がおわす場所には必ずマコモを置きます。神様は地上を歩くことはないが、マコモの上だけは歩くことが出来るとも。

このように名前を分解すると、黒媛は神への捧げものとして亡くなったと考えることが出来ます。すなわち、祟りなのです。

 

車持君の仕業だった

十月十一日 皇妃を埋葬しました。 神の祟りを治めなかったために皇妃を亡くしたことを後悔され、その咎の原因を調査されました。

ある者が、

「車持君が筑紫国に行って、車持部を悉く調査して、充神者までも同時に奪ってしまいました。きっとこれが罪でしょう」

と言いました。

天皇は車持君を呼び出して尋問すると、それは事実でした。 そこで、

「お前は車持君ではあるが、天子の百姓を勝手に検校したことが第一の罪。すでに、神様に分配した車持部を奪い取ったのが第二の罪である」

とおっしゃられて、悪解除あしはらへ善解除よしはらへを負わせて、長渚崎ながすのさきで禊をさせた。 そして詔して、

「今より後は、筑紫の車持部を掌握してはならない」

とおっしゃり、すべて取り戻して、三神に奉りました。

 原 文

冬十月甲寅朔甲子、葬皇妃。既而天皇、悔之不治神崇而亡皇妃、更求其咎、或者曰「車持君、行於筑紫國而悉校車持部、兼取充神者。必是罪矣。」

天皇則喚車持君、以推問之、事既得實焉。因以、數之曰「爾雖車持君、縱檢校天子之百姓、罪一也。既分寄于神車持部、兼奪取之、罪二也。」則負惡解除・善解除而出於長渚崎令秡禊。既而詔之曰「自今以後、不得掌筑紫之車持部。」乃悉收以更分之、奉於三神。

 ひとことメモ

車持君

車持君は、天皇の乗輿を作り、管理することを職業とする部民「車持部」を管理監督する氏族でした。

そして、筑紫の車持部を検校し、宗像三女神に仕える車持部も奪ってしまったのです。だから宗像三女神が怒って、代わりに黒媛の命を奪ったということですね。

実際のところは、この説話は、宗像氏を代表とする筑紫の海人族の反乱が起こしたということを神話的に表現しているのではないかと想像します。

悪解除・善解除

  • 善解除よしはらへ=善祓。吉事を招くために祓物を出して行なう禊祓
  • 悪解除あしはらへ=悪祓。やけがれのある者にそれをはらわせる禊祓

長渚崎は、現在の兵庫県尼崎市長洲付近、すなわちJR尼崎駅の南にあった海岸のこととのこと。

皇妃が亡くなった原因を作ったわりには軽微な罰ですね。

履中天皇の裁きは、全体的に甘いです。甘くならざるを得なかった?と思えます。

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