日本書紀|第二十一代 雄略天皇に㉓|私、失敗しませんから!韋那部眞根

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失敗しない木工 ”韋那部眞根いなべのまね

九月 木工の韋那部眞根いなべのまねは、石を台にして、斧を振るって木材を削っていました。一日中削っていても、斧を傷つけることはありませんでした。

天皇がそこにお出ましになられ、これを不思議に思って、

「失敗して、斧が石に当たることはないのか」

とお尋ねになられました。眞根は

「決して失敗しません」

とお答え申し上げました。

失敗させたい天皇

そこで、天皇は、采女たちを集めて、服を脱がせ、犢鼻たふさぎ(=ふんどし)一つにして、よく見える場所で相撲を取らせました。

眞根は、暫く手を停めて、それから仰ぎ見ながら削りました。そして不覚にも誤って斧を傷つけてしまいました。

そこで、天皇は

「どこのどいつだ。朕を畏れず、不貞の心の者が、みだりに軽々しく答えやがって」

とお怒りになられ、物部に渡して、野で処刑するようにお命じになられました。その時に、同僚の木工が、眞根まねを惜しみ、嘆き悲しんで詠んだ歌。

あたらしき ゐなべのたくみ かけしすみなは しがなけば たれかかけむよ あたらすみなは

惜しき 韋那部の匠 架けし墨縄 其が無けば 誰か架むよ あたら墨縄

なんと惜しいことだ 韋那部の匠が 掛けた墨縄は素晴らしい それが無くなれば、誰が掛けるというのか なんとも惜しい墨縄よ

天皇はこの歌をお聞きになり、後悔されて嘆いて、

「もう少しで、(価値ある)人を失うところであった」

とおっしゃられ、赦免の使者を甲斐黒駒かいのくろこまに乗せて、急ぎ刑場まで走らせ、刑の執行を止めて赦して、印を解きました。そこで、また歌を作って

ぬばたまの かひのくろこま くらきせば いのちしなまし かひのくろこま
あるふみ いのちしなましといふにかへて いしかずあらましといふ

ぬばたまの 甲斐の黑駒 鞍着せば 命死なまし 甲斐の黑駒
一本では「命死なまし」というのを換えて「い及かずあらまし」という

甲斐の黒駒に 鞍を置いたりしていたら 命は無かっただろうよ 甲斐の黒駒よ
ある書では、「命は無かっただろうよ」というところを「間に合わなかっただろうよ」に換えています

 原 文

秋九月 木工韋那部眞根 以石爲質 揮斧斲材 終日斲之 不誤傷刃 天皇 遊詣其所而怪問曰「恆不誤中石耶 」眞根答曰「竟不誤矣 」乃喚集采女 使脱衣裙而著犢鼻 露所相撲 於是眞根 暫停 仰視而斲 不覺手誤傷刃 天皇因嘖讓曰「何處奴 不畏朕 用不貞心 妄輙輕答 」仍付物部 使刑於野 爰有同伴巧者 歎惜眞根而作歌曰

婀拕羅斯枳 偉儺謎能陀倶彌 柯該志須彌儺皤 旨我那稽麼 拕例柯々該武預 婀拕羅須彌儺皤

天皇聞是歌 反生悔惜 喟然頽歎曰「幾失人哉 」乃以赦使 乘於甲斐黑駒 馳詣刑所 止而赦之 用解徽纒 復作歌曰

農播拕磨能 柯彼能矩盧古磨 矩羅枳制播 伊能致志儺磨志 柯彼能倶盧古磨
一本「換伊能致志儺磨志 而云伊志歌孺阿羅麻志也 」

 ひとことメモ

韋那部眞根いなべのまね

韋那部いなべは、猪名部と同じです。猪名部は木工技術でもって朝廷に仕えた職業部の一つで、もともとは摂津国の猪名県が発祥といわれています。

伊勢国員弁いなべ郡に住まいした猪名部は、当地の神社である猪名部神社の社伝によると、猪名部氏は、摂津国の猪名川周辺から、伊賀国を経て、当地に移住してきたといいます。

釆女に裸で相撲をとらせる

いやいや、それは想定外でしょう。そんなことされたら、男なら間違いなく見てしまいますよね。なんとも子供じみたことをする天皇でしょう。

墨縄

墨縄とは、墨壺を通した糸をピンと張って、指で弾くことで木材に直線を引く、木工に欠かせない行程です。

眞根まねは、その技術に優れているのです。

丸太から材木を切り出したり、ホゾやホゾアナを作ったり、相かき、組手などの細かい加工まで、墨縄の通りに加工します。このように大工仕事の根幹となる重要な工程ですから、その天才を失うということは、猪名部の心臓をえぐり取られるようなぐらいのことだと想像します。

 

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