第十代 崇神天皇②|天照大御神と倭大国魂神

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疫病の流行

崇神5年(前93)

疫病(えやみ)が蔓延し、死者は人口の半数に及びました。

崇神6年(前92)

百姓(おほみたから)は土地を離れ、なかには背く者まででてきました。その勢いは天皇の徳を持ってしても治めることが難しものとなりました。

そこで、天皇は、朝早くから夜遅くまで政務に励まれ、天神地祇をお祀りして謝罪されました。

これまで、天照大神と倭大國魂神(やまとのおほくにたまのかみ)の二神を天皇の宮殿で並べてお祀りしていました。しかし、その神威を畏れて、共に住まわれるのを不安に思うようになりました。

そこで、天照大神を豊鍬入姫命に託して倭の笠縫邑(かさぬいのむら)にお祭りし、堅固な神籬(ひもろき)を築きました。

また、日本大國魂神は渟名城入姫命に託して祭らせました。

しかし、渟名城入姫命は髪が抜け落ち体は痩せ細り、祭ることができませんでした。

 原文

五年、國內多疾疫、民有死亡者、且大半矣。

六年、百姓流離、或有背叛、其勢難以德治之。是以、晨興夕惕、請罪神祇。先是、天照大神・倭大國魂二神、並祭於天皇大殿之內。然畏其神勢、共住不安。故、以天照大神、託豊鍬入姬命、祭於倭笠縫邑、仍立磯堅城神籬。神籬、此云比莽呂岐。亦以日本大國魂神、託渟名城入姬命令祭、然渟名城入姬、髮落體痩而不能祭。

 かんたん解説

倭大國魂神

日本大国魂神とも書きます。奈良県天理市の大和神社の祭神として有名ですね。しかし、この倭大国魂神、その出自は明らかにされていません。

大和国の地主神、大己貴神の荒魂、大年神の御子神など、いくつかの説はあるものの、いずれにしても倭大国魂神は国津神の大神で、天津神の天照大御神とは両極をなす神だと思われます。

だから、二神並べて祭っていることに不安を覚えたんでしょう。

倭の笠縫邑

崇神天皇の瑞籬宮から出された天照大御神のご神体(八咫鏡)は、笠縫邑に祀られたとあります。

この笠縫邑の場所が、これまた特定されていません。

檜原神社が有力な候補となっていますが、多神社、多神社摂社の姫皇子神社、笠縫神社などなど、候補地は枚挙に暇がないといった感じです。

多神社や姫皇子神社は、三輪山の真東にあります。

春分の日の朝日が三輪山から昇るまけですから、まさに春日の地、まさに日神を祀るに相応しい場所だと感じるのは、私だけではなさそうですね。

ちなみに、宮中から笠縫邑に出た天照大御神のご神霊は、このあと各地を巡幸して、およそ90年後に伊勢の地に落ち着くことになります。それが伊勢の皇大神宮です。

渟名城入姫命

この姫が大国魂神を祭ると髪が抜け痩せ細り、結局はお祭りすることが出来なかったとあります。

この後に登場する大物主大神をお祭りする段と重ね合わせたとき、大国魂神は渟名城入姫命による祭祀を拒否したのだろうということがわかります。

渟名城入姫命は皇女ですから。

大物主大神

崇神7年(前91)

春 二月十五日 天皇は詔して

「昔、我が皇祖は、大いに皇位の礎を築かれた。その後、聖の業は益々高く、天皇の徳の風もいよいよ盛んであった。

しかし今、思いがけず、我が世になってから、しばしば災害に見舞われるようになった。これは、朝廷に善政がないことに対する、天神地祇のお咎めでなのではないか思う。

そうだ、神亀の占いを行って、災害の原因を突き止めてみようか。」

とおっしゃり、神浅茅原(かむあさぢはら)に行幸され、八十萬の神々を招いて占われました。

この時、神が倭迹迹比百襲姫命(やまとととびももそひめのみこと)に乗り移り、

「天皇よ、何故に国が治まらないことを憂いているのだ。もし、よく私を敬い祭るならば、必ずや天下は平かになるであろうぞ。」

と仰られました。

天皇が

「このように教えて下さるのは、どちらの神様でしょうか。」

と尋ねると、神は、

「我は、倭国の内に居る神で、名は大物主神という。」

と仰られました。

 原文

七年春二月丁丑朔辛卯、詔曰「昔我皇祖、大啓鴻基。其後、聖業逾高、王風轉盛。不意今當朕世數有災害、恐朝無善政、取咎於神祇耶、蓋命神龜以極致災之所由也。」於是、天皇乃幸于神淺茅原、而會八十萬神、以卜問之。是時、神明憑倭迹々日百襲姬命曰「天皇、何憂國之不治也。若能敬祭我者、必當自平矣。」天皇問曰「教如此者誰神也。」答曰「我是倭國域內所居神、名爲大物主神。」

 かんたん解説

神浅茅原

大物主神を祀る大神神社の鳥居前から北へ750mほどの所、大神神社の摂社「神御前神社」があります。祭神は倭迹々日百襲姬命。

ここが神浅茅原ではないかと言われています。

 

大物主神の祟り

神のお言葉を得て、天皇は教えの通りに奉りました。しかし、それでも効験はありませんでした。天皇は沐浴をし飲食を戒めて身を清め、さらに宮殿を清めて祈り、

「わたしの祈りは十分ではないのでしょうか。どうして、これほどまでに享受いただけないのでしょうか。願わくば、もう一度夢の中でご教示ください。神の恩をお与えください。」

とおっしゃいました。

すると、その晩の夢に、一人の高貴な人が現れました。宮殿の入戸に向かって立って、自ら大物主神と名乗り、

「天皇よ、もう憂うのはやめなさい。国が治まらぬは、これが我が意思であるからだ。もし、我が子の大田々根子(おおたたねこ)に私を祭らせたならば、たちまち国は平穏になるだろう。また海外の国があっても、自ずと帰服するであろう。」

とおっしゃいました。

 原文

時、得神語隨教祭祀、然猶於事無驗。天皇、乃沐浴齋戒、潔淨殿內而祈之曰「朕、禮神尚未盡耶、何不享之甚也。冀亦夢裏教之、以畢神恩。」是夜夢、有一貴人、對立殿戸、自稱大物主神曰「天皇、勿復爲愁。國之不治、是吾意也。若以吾兒大田々根子令祭吾者、則立平矣。亦有海外之國、自當歸伏。」

 かんたん解説

大田々根子

大物主神が「我が子」と言っているので、大物主神あるいは事代主神の子ともとれますが、大物主神の7世孫ともいわれています。ですので、我が子=子孫・我が血脈という意味なのでしょう。

つまり、大物主神には「天皇(天津神)には祀られたくない、我が血脈(国津神)に祀られたい。」という意思があったということですね。

 

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