第十代 崇神天皇③|大物主神と大田田根子

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大田田根子の探索

同年(前91)

秋 八月七日 倭迹速神浅茅原目妙姫(やまととはやかむあさぢはらまくはしひめ)、穂積臣遠祖の大水口宿禰(おほみくちのすくね)、伊勢麻績君(いせのをみのきみ)は、三人とも同じ夢を見て、

「昨晩の夢に一人の貴人が現れて教えるに、『大田田根子命を大物主大神の祭主とし、市磯長尾市(いちしのながをち)を倭大國魂神(やまとのおほくにたまのかみ)の祭主として祀れば、必ずや天下太平となるであろう!』とのことでした。」

と奉上しました。

天皇は、その夢のお告げ聞き、ますますお喜びになり、天下に手配して大田田根子を探し求めとところ、茅渟懸の陶邑で見つけました。

天皇が、すぐさま神浅茅原に臨幸し、すべての王族、卿、部族を集められて、大田田根子に

「そのほうは、誰の子か。」

と訊ねると、

「父は大物主大神、母は活玉依媛で陶津耳(すゑつみみ)の娘です」
亦云「奇日方天日方武茅渟祗(くしひかたあまつひか たけちぬつみ)の娘です」

と申し上げました。

天皇は、

「朕はこれでやっと栄えていくことが出来る。」

とおっしゃいました。

そこで、物部連の祖の伊香色雄を神班物者に任命することについて占いましたところ、吉と出ました。また、他の神もお祭りすることについて占うと、これは不吉と出ました。

冬 十一月十三日 神班物者になった伊香色雄に命じて、物部に沢山の平瓮などの祭具を作らせました。そして、大田田根子を大物主大神を祭る神主とし、長尾市を倭大國魂神を祭る神主とされました。

そうしたのちに、他の神もお祭りしても良いかと占ったところ、今度は「吉」と出ました。

そこで、八十萬の神々を祭り、天社(あまつやしろ)・国社(くにつやしろ)・神地(かむどころ)・神戸(かんべ)を定められました。

こうして疫病の流行は終息し、国内は次第に鎮静していきました。そして五穀豊穣となり、民は豊かになっていきました。

 原文

秋八月癸卯朔己酉、倭迹速神淺茅原目妙姬・穗積臣遠祖大水口宿禰・伊勢麻績君、三人共同夢而奏言「昨夜夢之、有一貴人誨曰『以大田々根子命爲祭大物主大神之主、亦以市磯長尾市爲祭倭大國魂神主、必天下太平矣。』」天皇、得夢辭、益歡於心、布告天下、求大田々根子、卽於茅渟縣陶邑得大田々根子而貢之。天皇、卽親臨于神淺茅原、會諸王卿及八十諸部、而問大田々根子曰「汝其誰子。」對曰「父曰大物主大神、母曰活玉依媛。陶津耳之女。」亦云「奇日方天日方武茅渟祇之女也。」天皇曰「朕當榮樂。」乃卜使物部連祖伊香色雄爲神班物者、吉之。又卜便祭他神、不吉。

十一月丁卯朔己卯、命伊香色雄而以物部八十平瓮作祭神之物。卽以大田々根子爲祭大物主大神之主、又以長尾市爲祭倭大國魂神之主。然後、卜祭他神、吉焉。便別祭八十萬群神。仍定天社・國社及神地・神戸。於是、疫病始息、國內漸謐、五穀既成、百姓饒之。

 かんたん解説

同じ夢を見た

天皇と同じような夢を、3人が同時に見たといいます。どのような人たちなんでしょうか。

倭迹速神淺茅原目妙姬

倭迹迹日百襲姫命と同一とされています。倭迹迹日百襲姫命は、孝霊天皇の皇女で孝元天皇や吉備津彦とは兄弟の間柄。

その名のうちの「ととび」は「鳥飛」を意味していて、脱魂型の巫女を表すという説があります。

はじめに神懸りして「我を祭れば疫病や災害は治まる」と大物主神の言葉を伝えたのが倭迹迹日百襲姫命でしたから、今回の夢を見るのも頷けます。

大水口宿禰

穂積臣の遠祖とされます。饒速日尊の4世孫とか6世孫とか7世孫とか系譜には諸説ありあますが、いずれも饒速日尊の直系であることを示唆しています。

日本書記の垂仁天皇記に、「大水口宿禰に倭大神(倭大国魂神)が乗り移って、、、」とあることから、この大水口宿禰も審神者(さにわ)であったことが伺えます。

伊勢麻績君

この人は、なかなか謎の人です。あまり資料がありません。

古語拾遺に、次のような内容の記述があります。

本来、神祇官の役職は神代の職を踏襲すべきである。つまり、中臣・斎部・猿女・鏡作・玉作・盾作・神服・倭文・麻績等の氏で有るべきである。

これらの氏族名は、岩戸隠れで初めて行われた祭祀を司った神々の末裔なのですね。

  • 中臣=天児屋根神
  • 齋部=天太玉神
  • 猿女=天鈿女神
  • 鏡作=石凝姥神
  • 玉作=玉祖神
  • 盾作=彦佐知神
  • 神服=天棚機姫神
  • 倭文=天羽槌雄神
  • 麻績=長白羽神

麻績=長白羽神は、岩戸隠れ祭祀の時、麻で青和幣(あおにぎて)を作ったとされます。

要するに、伊勢麻積君は神代から祭祀を司る氏族の一つの出自であるということが言えるわけです。

そして、伊勢に居たということは、何かの伏線のような気がします。。。ね。

市磯長尾市

倭直(倭氏)の遠祖です。遡ると、神武天皇から倭国造に任命された「椎根津彦」に辿り着きます。さらに遡ること3世代で、海神「豊玉彦命」にまでたどり着きます。

海神の血筋ということになりますね。

大物主神と大田田根子の関係は祖先と子孫の関係でした。そして「自分の子孫でないといやだ!」と。

同様の理屈で考えると、倭大國魂神と市磯長尾市の関係も祖先と子孫の関係と考えてもいいでしょう?となれば、倭大國魂神は豊玉彦命?椎根津彦?

少なくとも大国主命ではなさそうな気配がします。素人の邪推です。

茅渟懸の陶邑

茅渟縣(ちぬのあがた)は、今で言うところの和泉国です。今じゃないか。

でも、堺から南って今でも独立国「和泉国」って感じがしますし、淀川以南の山側は今でも「河内国」って感じがしますもんね。

で、陶邑とは、堺市中区の陶器北とか上之とか辻之とか田園とか、つまり泉北ニュータウンの北あたりです。その上之に、大田田根子がいらっしゃった大田の森、今「陶荒田神社」があります。

 

大物主大神の酒

崇神8年(前90)

夏 四月十六日 高橋邑の住人の活日(いくひ)を大物主大神の掌酒に任命しました。

冬 十二月二十日 大田田根子に大物主大神をお祭りさせました。

この日に、活日は天皇に神酒を献上して、

この神酒は、私の醸した神酒ではありません。倭の国をお造りになった大物主大神がお造りになった神酒です。幾世までも久しく栄えませ 幾世までも久しく栄えませ

と歌を詠んで、神宮で酒宴を開きました。

宴会が終わると、家臣たちが返歌を詠みました。

三輪の神殿で夜通し飲み明かして、戸が開く朝になってから、その三輪の戸を通って帰っていこう

天皇も歌を詠まれて、

三輪の神殿で夜通し飲み明かして、戸を開く朝になってから、三輪の戸を押し開いてくれよ

そうして、三輪の神宮の戸を開いて、お帰りになられました。

大田田根子は、三輪君等の始祖です。

 

崇神9年(前8)

春 三月十五日 天皇は、夢の中で神が

「赤盾を八枚、赤矛を八竿、墨坂神(すみさかのかみ)に奉りなさい。また、黑盾を八枚と黑矛を八竿、大坂神に奉りなさい。」

と教えられる夢を見られました。

夏 四月十六日 夢の教えに従って、墨坂神・大坂神をお祭りしました。

 原文

八年夏四月庚子朔乙卯、以高橋邑人活日、爲大神之掌酒。掌酒、此云佐介弭苔。冬十二月丙申朔乙卯、天皇、以大田々根子令祭大神。是日、活日、自舉神酒、獻天皇。仍歌之曰、

許能瀰枳破 和餓瀰枳那羅孺 椰磨等那殊 於朋望能農之能 介瀰之瀰枳 伊句臂佐 伊久臂佐

如此歌之、宴于神宮。卽宴竟之、諸大夫等歌之曰、

宇磨佐開 瀰和能等能々 阿佐妬珥毛 伊弟氐由介那 瀰和能等能渡塢

於茲、天皇歌之曰、

宇磨佐階 瀰和能等能々 阿佐妬珥毛 於辭寐羅箇禰 瀰和能等能渡烏

卽開神宮門而幸行之。所謂大田々根子、今三輪君等之始祖也。

九年春三月甲子朔戊寅、天皇、夢有神人誨之曰「以赤盾八枚・赤矛八竿、祠墨坂神。亦以黑盾八枚・黑矛八竿、祠大坂神。」四月甲午朔己酉、依夢之教、祭墨坂神・大坂神。

 かんたん解説

高橋邑の活日

大物主大神を祀る大神神社の摂社に活日神社があります。高橋の活日命を祀る神社です。

その神社にある醸酒由来記によると、

「活日命は大和国添上郡高橋村の人。酒造りが抜群に上手だったため、大神へ捧げる神酒の醸造人として任命された。」

とあります。

日本一の技術を誇る杜氏さんだったということでしょう。そんなことで、活日命は杜氏の祖神として全国の酒造家や杜氏さんからの信仰を集めています。

もちろん、活日命だけでなく、大神神社のご祭神「大物主神」「少彦名神」も酒の神として信仰を集めます。

今でも、新酒が搾られる季節になると、三輪山の神霊宿る杉の葉から造られた大きな玉「しるしの杉玉」が酒蔵の軒先に吊るされますね。

添上郡高橋村とは、今の奈良県奈良市八条あたりらしいです。ここに高橋神社があり、全国の高橋さんの発祥の地だといわれたりしていますよ。

墨坂神・大坂神

墨坂は、倭の東の入り口です。一般的に宇陀市榛原萩原あたりとされていて、ここから東は大和国ではないという、いわゆる境界線という認識がなされていたのでしょう。

一方、大坂は、倭の西の入り口です。奈良県香芝市穴虫、二上山の麓にある大坂山口神社あたりとされています。

この2か所で神祀りを行ったということは、かなり重要な神として認識されていたのでしょうね。

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