日本書紀|第十代 崇神天皇⑦|出雲の神宝

2020年10月29日

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出雲の神宝

崇神60年(前38)

秋 七月十四日 天皇が群臣に詔して

武日照命(たけひなてるのみこと)ある話では、武夷鳥(たけひなとり)とも云う、亦ある話では、天夷鳥(あめひなとり)というが天上から持ってきた神宝が、出雲大神(いづものおほかみ)の宮に納められているという。それを見てみたいのじゃが。」

とおっしゃいました。

そこで、矢田部造の遠祖の武諸隅(たけもろすみ)ある書には、亦の名を大母隅(おほもすみ)というを遣わして、神寶を献上させた。

この時、出雲臣の遠祖の出雲振根(いづものふるね)が神宝を管理していましたが、武諸隅が出雲に着いたときには、出雲振根は筑紫国に出掛けていたので会えませんでした。

そのため、出雲振根の弟の飯入根(いひいりね)が天皇の命令を受け、弟の甘美韓日狭(うましからひさ)とその子の鸕濡渟(うかづくぬ)とに神宝を持たせて献上しました。

出雲振根が筑紫国から帰還したところ、神宝を朝廷に献上したことを知り、弟の飯入根を責めて

「数日待つべきだった。なんでそんなに恐れて、簡単に神寶を渡してしまったのか。」

といいました。

 原文

六十年秋七月丙申朔己酉、詔群臣曰「武日照命一云武夷鳥、又云天夷鳥從天將來神寶、藏于出雲大神宮。是欲見焉。」則遣矢田部造遠祖武諸隅一書云、一名大母隅也而使獻。當是時、出雲臣之遠祖出雲振根、主于神寶、是往筑紫國而不遇矣。其弟飯入根、則被皇命、以神寶付弟甘美韓日狹與子鸕濡渟而貢上。既而出雲振根、從筑紫還來之、聞神寶獻于朝廷、責其弟飯入根曰「數日當待。何恐之乎、輙許神寶。」

 かんたん解説

武日照命

古事記では天之菩卑能命。日本書紀の大背飯三熊之大人・武三熊之大人も同じとされます。

古事記の天照大御神と須佐之男命の誓約の段には、、、

天之菩卑能命の子が建比良鳥命であり、出雲国造・无邪志国造・上菟上国造・下菟上国造・伊自牟国造・津島県直・遠江国造等の祖神である

と記されています。

日本書記の葦原中国の平定の段には、、、

大背飯三熊之大人(武三熊之大人ともいう)が父の天穂日命に次いで葦原中国に派遣されたが、父と同様に何も報告して来なかった

と記されています。

一方、出雲国造神賀詞では、、、

天夷鳥命に布都怒志命を副へて天降し

と述べられています。

このように、日本書記では役立たずな人と言われていますが、出雲国造神賀詞では国譲りの主人公となっています。どっちなんでしょうね。

 

弟を殺害

それから何年たっても怒りは治まらず、弟を殺そう思いました。

そこで弟に、

「止屋(やむや)の淵にたくさんの菨が生えているらしい。一緒に見に行こう。」

と騙していいました。弟はすぐについていきました。

事前に、こっそりと兄は真剣そっくりの木刀を作っていました。兄はその木刀を差して、弟は真剣を差して出掛けていったのです。

淵の岸辺に着くと、兄は

「淵の水は綺麗だぞ。一緒に水浴びをしよう。」

といいました。弟はこれに従い、二人とも差していた刀を外して淵の縁に置いて、水に入りました。

兄は、先に淵から上がって、弟の真剣を取り上げて差しました。弟は驚いて兄の木刀を取り、お互いに撃ちあいましたが、弟は木刀では抜くこともできず、兄は弟の飯入根を殺してしまいました。

時の人はこの事を歌いて曰はく

出雲タケルが佩いている太刀は、葛をたくさん巻いてはいるが、中身が無くて、何ともあわれなことよ

このようなことですから、甘美韓日狭と鸕濡渟とが、朝廷に参向して、その状況を奏上しました。天皇は、すぐさま吉備津彦(きびつひこ )と武渟川別(たけぬなかわわけ)とを遣わして、出雲振根を誅殺させました。

すると、出雲臣等はこのことに恐れをなして、しばらく出雲大神をお祀りしなくなりました。

 原文

是以、既經年月、猶懷恨忿、有殺弟之志、仍欺弟曰「頃者、於止屋淵多生菨。願共行欲見。」則隨兄而往之。先是、兄竊作木刀、形似眞刀。當時自佩之、弟佩眞刀、共到淵頭、兄謂弟曰「淵水淸冷、願欲共游沐。」弟從兄言、各解佩刀、置淵邊、沐於水中。乃兄先上陸、取弟眞刀自佩、後弟驚而取兄木刀、共相擊矣、弟不得拔木刀、兄擊弟飯入根而殺之。故時人歌之曰、

椰句毛多菟 伊頭毛多鶏流餓 波鶏流多知 菟頭邏佐波磨枳 佐微那辭珥 阿波禮

於是、甘美韓日狹・鸕濡渟、參向朝廷、曲奏其狀。則遣吉備津彦與武渟河別、以誅出雲振根。故出雲臣等、畏是事、不祭大神而有間。

 かんたん解説

木刀で騙す

ここで出てきました、木刀を仕込んで相手を謀殺する手法は、古事記では、12代景行天皇の段で倭建命(日本武尊)が出雲建を誅殺した時に使った手法と同じです。また、同じような歌も詠われています。

 

神託

時に、丹波の氷上の氷香戸邊(ひかとべ)と云う者が、皇太子の活目尊に、

「私には幼い子がおりまして、その子が、

玉のような美しい石が水の中に沈んでいる。それは出雲の人々が祈り祀る、本物の素晴しい鏡です。水の底に沈んでいる力強く活力溢れる立派な御神である鏡、その宝の本体です。山河の水の底の神様。靜かに掛けて祭るべき立派な神様の鏡。水底にある宝、これが、その宝の本体です。

と、言いました。とても幼子の言葉とは思えません。おそらくは神憑りしての言葉かもしれません。」

と申し上げました。

さっそくに皇太子が奏上すると、天皇は出雲大神をお祀りする詔を出されました。

 原文

時、丹波氷上人名氷香戸邊、啓于皇太子活目尊曰「己子有小兒、而自然言之『玉菨鎭石。出雲人祭、眞種之甘美鏡。押羽振、甘美御神、底寶御寶主。山河之水泳御魂。靜挂甘美御神、底寶御寶主也。菨、此云毛。』是非似小兒之言。若有託言乎。」於是、皇太子奏于天皇。則勅之使祭。

 かんたん解説

幼児の神託

とってもややこしくて難解な言葉です。原文のまま発したとなれば、なおさらです。

大意としては、、、

水の底に出雲大神の御神体の鏡が沈んでいる。引き上げてお祭りしないといけないよ。

といったところでしょうか。

出雲大神とは大国主神でしょう。そして、鏡がその御神体だと言ってます。

鏡は太陽の象徴にして、天照大御神の象徴でもあるはず。大国主神の御神体にはそぐわないと思いませんか?

さりとて、宮司すら見たことがないらしく、本当に鏡かどうかはわかりません。

最終的に、この幼児の神託を聞いた天皇は、出雲大神の祭神の再開を勅りします。取り寄せた神宝を出雲国造に返却して祭りを再開させたと考えるのが妥当かと思います。

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