日本書紀|日本武尊⑤|伊吹山での失敗

2020年10月29日

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信濃坂

次に、日本武尊は信濃(しなの)に進まれました。

この国は、山は高く谷は深く、嶺は青く重なり合っていて、人は杖を使っても登るのが難しく、岩は険しく石坂が曲がりくねり、高い峰が千々に重なり、馬も怯んで進まないような所です。

しかし、日本武尊は霞を押し分け、霧をしのいで、遥か大山を真っすぐに進みました。やがて峯に着き、お腹が空いたので、山中で食事をとられました。

その時、山の神がを苦しめようとして、白鹿に化身しての前に立ちました。は不思議に思い、一つの蒜(ひる)で白鹿を弾いたところ、眼に当たって死んでしまいました。

すると、突然、は道に迷い、出口が判らなくなってしまいました。時に白い犬がやってきて、王を導くような動きをしましたので、その犬についていくと、美濃に出ることが出来ました。

吉備武彦も越国から出てきて、ここで合流しました。

いままで、信濃坂を越える者は、神の邪気に当たり、病み臥せる者が多かったのです。しかし、白鹿討伐の一件以降、この山を越えていく者は、体や牛馬に噛み砕いた蒜を塗ることで、神の邪気に当たることもなくなりました。

 原 文

則日本武尊、進入信濃。是國也、山高谷幽、翠嶺萬重、人倚杖難升、巖嶮磴紆、長峯數千、馬頓轡而不進。然日本武尊、披烟凌霧、遙俓大山。既逮于峯而飢之、食於山中。山神、令苦王、以化白鹿、立於王前。王異之、以一箇蒜彈白鹿、則中眼而殺之。爰王忽失道、不知所出。時白狗自來、有導王之狀、隨狗而行之、得出美濃。吉備武彥、自越出而遇之。先是、度信濃坂者、多得神氣、以瘼臥。但從殺白鹿之後、踰是山者、嚼蒜塗人及牛馬、自不中神氣也。

 ひとことメモ

信濃坂

古東山道が信濃と美濃の境を通過する地点「神坂峠」のことと言われてます。

神坂峠はなんと標高1595mもあります。古東山道で最も危険な場所だったらしいです。その道は険しく急こう配。怪我や滑落もあったことでしょう。

夏の熱中症や、秋冬の低体温症などもあったでしょう。

麓の「昼神温泉」から峠を越えて「中津川神坂」の集落まで、高低差が1000mもあります。高低差による低酸素症などもあったのではないでしょうか。

古代の人は、このような症状が起こるメカニズムを知りませんから、神の毒気に当たったとの表現になるのです。

このように、当時は死者が出ることも少なくなく、安全に峠を越えるための祭祀が行われていたようです。祭祀場跡が発見されています。

蒜(ひる)

野蒜(のびる)かニンニクのことでしょう。ご存知の通り、臭いがきつく、生で食べると辛いです。

ドラキュラ退治にはニンニクがツキモノ。古代人も、おそらく強烈な臭いに魔除けの力があると信じていたことでしょう。

それはともかく、ニンニクには滋養強壮の効果があるとされますし、抗菌作用があります。体に塗ると虫刺されにも効きますし、保温効果もあるとか。

古代の人が山深い路に入る前に、ニンニクをそのように使ったというのは、とても理に適っていると言えますね。

 

伊吹山の神

日本武尊は尾張に戻られて、尾張氏の娘の宮簀媛(みやすひめ)を娶られ、月を越えて久しく滞在しました。

その時に、近江の五十葺山(いぶきやま)に荒ぶる神がおられると聞かれて、剣をはずして宮簀媛の家に置き、素手のままで行かれました。

膽吹山(いぶきやま)に着かれた時、山の神が大蛇に化身して道を塞ぎました。日本武尊は、主神が蛇に化けていることを知らずに、

「この大蛇は荒ぶる神の使いであろう。主の神を殺せば、使いなどとるに足らぬわ。」

とおっしゃられて、大蛇を跨いで行かれました。

時に山神は、雲を起してヒョウを降らせたので、峯は霧深く谷は暗く、行く道がわからくなり、進退定まらず、越える山・渡る川もわからなくなってしまいました。

霧を押し分けて強行し、ようやく出口を見つけることが出来ましたが、酒に酔ったように正気を失ったままでした。

そこで、山の下の泉のそばに座り、その水を飲み、ようやく覚醒しました。ゆえに、この水を称して、居醒泉(いさめがい)というのです。

 原 文

日本武尊、更還於尾張、卽娶尾張氏之女宮簀媛、而淹留踰月。於是、聞近江五十葺山有荒神、卽解劒置於宮簀媛家、而徒行之。至膽吹山、山神、化大蛇當道。爰日本武尊、不知主神化蛇之謂「是大蛇必荒神之使也。既得殺主神、其使者豈足求乎。」因跨蛇猶行。時山神之興雲零氷、峯霧谷曀、無復可行之路、乃捷遑不知其所跋渉。然凌霧强行、方僅得出、猶失意如醉。因居山下之泉側、乃飲其水而醒之、故號其泉、曰居醒泉也。

 ひとことメモ

日本武尊の油断と慢心

ここにきて、倭姫命が心配した「油断」「慢心」が出てしまいます。

一つは、草薙剣を置いていったこと。「伊吹山の荒ぶる神なんて素手でも勝てる。」と思ったんですね。「今までの活躍は草薙剣の霊威があったから。自分の力だけで勝てなかったかも。」という謙虚さがあれば、、、

もう一つは、大蛇を神の使いと勘違いして失礼な言動をとったことです。

以前にも「こんな小さな海、飛んで渡れるぜ」と言ったことで海神を怒らせて、愛する妻が身代わりに海に身を投げたといったことがありました。

「学べよ!タケル!」と言いたくなります。

五十葺山(いぶきやま)

滋賀県の伊吹山のことです。昔から神が宿る山として信仰されてきました。

この山は大昔は海底にあったサンゴ礁由来の石灰石の山です。今も、西側の中腹から麓にかけて、断層活動の影響で崩落していて、石灰石の白い山肌がむき出しになっているところがあります。

ですから、伊吹山から木や草を取り除くと、実は純白の山なのかもしれませんよ。

居醒泉

候補地は2つ。

一つは、米原市醒井にある加茂神社の境内にある「居醒の清水」です。1日およそ1.5万トンの湧出量があり、勢いよく湧出る様を見ると、心が洗われます。

もう一つは、岐阜県不破郡関ケ原町にある「玉倉部の清水」です。「関ケ原鍾乳洞」の入り口前にあります。

本文に「山の下の泉」と記されている点と、このあと「尾張へ向かう」ということから、立地条件としては玉倉部の清水の方が優位なように思えます。

尾津の浜

日本武尊はここで、病気にかかったと知りましたが、なんとか起き上がり尾張に帰ってこられました。しかし、宮簀媛(みやすひめ)の家には寄らずに、伊勢に移動して尾津(おつ)に着かれました。

以前、日本武尊が東方に向かわれた年に、尾津浜で食事をされました。その際、一振りの剣をはずして松の下に置き、そのまま忘れて行ってしまわれました。

今、ここに戻ってみると、その剣がなおもそこにありましたので、歌を詠まれました。

尾張(をはり)に 直(ただ)に向(むか)へる 一つ松あはれ 一つ松 人にありせば 衣(きぬ)著(き)せましを 太刀(たち)佩(は)けましを
尾張にまっすぐに向いている一本松よ かわいそうなことよ。一つ松よ お前が人であったならば着物を着せてあげるのに、太刀を佩かせてあげるのに

 原 文

日本武尊於是、始有痛身、然稍起之、還於尾張。爰不入宮簀媛之家、便移伊勢而到尾津。

昔日本武尊向東之歲、停尾津濱而進食。是時、解一劒置於松下、遂忘而去。今至於此、是劒猶存、故歌曰、

烏波利珥 多陀珥霧伽幣流 比苔菟麻菟阿波例 比等菟麻菟 比苔珥阿利勢麼 岐農岐勢摩之塢 多知波開摩之塢

 ひとことメモ

尾津浜

その松が生えていた尾津浜の候補地は3つ

  • 桑名市多度町御衣野 草薙神社
  • 桑名市多度町小山 尾津神社
  • 桑名市多度町戸津 尾津神社

今の地形で言うと、3つとも多度川と揖斐川の合流地点あたりとなります。おそらく古代であれば、伊勢湾に面した海岸だったのでしょう。東征への行きしなは、ここから船で熱田方面に渡っていったんですね。

ちなみに、桑名市は「草薙神社」を「日本武尊尾津前御遺跡」に指定しています。

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