日本書紀|第十四代 仲哀天皇④|橿日宮の造営・神功皇后の神懸り

スポンサーリンク

筑紫の伊都国

筑紫(つくし)の伊覩縣主(いとのあがたぬし)の祖の五十迹手(いとて)は、天皇がお越しになると聞いて、五百枝の賢木を抜き取り、船の舳と艫に立てて、上の枝には八尺瓊を掛け、中の枝には白銅鏡を掛け、下の枝には十握剣を掛け、穴門の引嶋(ひけしま)までお出迎えに来て、これらを献上し奏上して、

「わたくしめが、敢えてこれらを献上いたしますのは、この八尺瓊が美しく曲がっているように、曲妙(たくみに)にご統治なされ、また、この白銅鏡の様にはっきりと山川海原をご覧になり、更に、十握剣で天下を平定されますようにとの思いからでございます。」

と申し上げました。天皇は五十迹手をお褒めになられ、

「伊蘇志(いそし)。」

と仰せられたので、時の人は五十迹手(いとて)の本国を伊蘇国(いそのくに)と呼びました。今、伊都(いと)というのはそれが訛ったものなのです。

同月二十一日 儺縣(ながのあがた)にお着きになり、橿日宮(かしのひのみや)にお入りになられました。

 原 文

又筑紫伊覩縣主祖五十迹手、聞天皇之行、拔取五百枝賢木、立于船之舳艫、上枝掛八尺瓊、中枝掛白銅鏡、下枝掛十握劒、參迎于穴門引嶋而獻之、因以奏言「臣敢所以獻是物者、天皇、如八尺瓊之勾以曲妙御宇、且如白銅鏡以分明看行山川海原、乃提是十握劒平天下矣。」天皇卽美五十迹手、曰「伊蘇志。」故、時人號五十迹手之本土曰伊蘇國、今謂伊覩者訛也。己亥、到儺縣、因以居橿日宮。

 ひとことメモ

天皇を迎える船の正装

今までに何度か登場した「天皇を船で迎える」場面には、必ず同じような飾り付けが施されています。これが正装らしいです。

  • 神夏磯媛の場合・・・上枝に八握劒、中枝に八咫鏡、下枝に八尺瓊
  • 熊鰐の場合・・・上枝に白銅鏡、中枝に十握劒、下枝には八尺瓊
  • 五十迹手の場合・・・上枝に八尺瓊、中枝に白銅鏡、下枝に十握剣

原則、三種の神器と同じ、鏡・剣・瓊の三種類を掛けてます。微妙に掛ける位置が違いますが。

そして鏡・剣・瓊を付ける理由を五十迹手さんが解説してくれました。ありがとうと言いたいです。

伊都県

伊蘇が伊都と訛ったとあります。この伊都国というか伊都縣は、今の糸島だとされています。

橿日宮

福岡市東区香椎に、仲哀天皇と神功皇后を祀る「香椎宮」があります。香椎宮が鎮座する小山の裏手(北側)の丘に橿日宮跡があります。

丘の麓には仲哀天皇を入れた棺を立てかけたら、なんとも異香(くしきかおり)を放ったという椎の木が、瑞垣に囲まれた中にひっそりと立っていました。

椎の木の花の匂いってご存知でしょうか。同じ仲間の栗の花と同じで、一言で言うと精液の匂い。結構きつく匂ってきます。

この異香(くしきかおり)で、死臭を消した?

丘の頂上が、「大本営跡地」の石碑が立つ橿日宮跡なんですが、薄暗くて少し怖い雰囲気がありましたよ。

あっ。これはもう少しあとの話でした。。。

 

神功皇后の神懸り

九月五日 群臣に詔して熊襲征伐の討議をされました。その時神がおられ、皇后に乗り移つられて神託を下ろし、

「天皇は、どうして熊襲が服従しないことを、そんなにも憂うのか。どうせ熊襲の地は荒れて痩せた土地なのに。どうしてわざわざ兵を挙げて討つ必要があるだろうか。

その熊襲の国よりすばらしい宝の国、たとえば処女の画き眉のように、日本の津に向かう国がある。輝くばかりの金・銀・宝石が、その国にはたくさんあるのだ。これを栲衾新羅國(たくぶすましらきのくに)という。

もし、私をよく祭るならば、刃を血で塗らすことなく、その国は必ず服従するであろう。また、熊襲も服従してくるであろう。

その祭りには、天皇の御船と、穴門直の踐立(ほむたち)が献上した大田という水田をば、幣物として差し出しなさい。」

とおっしゃられました。

天皇は神の言葉をお聞きになりましたが、疑いの心を持ち、高い山に登って大海をご覧になりましたが、はるか遠くにも国は見えませんでした。

なので、天皇は神に対して、

「朕、周囲を望んだが、海はあれども国などなかった。まさか大空にその国があるというのか?いったい何という神が朕を騙そうとしているのだ。

我が皇祖であるところの諸天皇は、ことごとく天神地祇をお祭りしてきた。どうしてお祭りしていない神がおられようか。」

と申されました。その時、神がまた皇后に乗り移られて神託を下ろして、

「天つ水に映る影のように、天上から押し伏せて私が見ている国を、どうして国がないなどと言って、私の言葉を誹謗するのか。

天皇よ。私の言葉を最後まで信じないのなら、汝はその国を得ることはできないだろう。ただ今、皇后は初めて身籠まれた。その子がこの国を得ることになるであろう。」

とおっしゃられました。しかし、天皇はなおも信じられずに、熊襲征伐を強行されましたが、勝つことが出来ずに戻られました。

 原 文

秋九月乙亥朔己卯、詔群臣以議討熊襲。時有神、託皇后而誨曰「天皇、何憂熊襲之不服。是膂宍之空國也、豈足舉兵伐乎。愈茲國而有寶國、譬如處女之睩、有向津國睩、此云麻用弭枳、眼炎之金・銀・彩色、多在其國、是謂衾新羅國焉。若能祭吾者、則曾不血刃、其國必自服矣、復熊襲爲服。其祭之、以天皇之御船、及穴門直踐立所獻之水田、名大田、是等物爲幣也。」

天皇聞神言、有疑之情、便登高岳、遙望之大海、曠遠而不見國。於是、天皇對神曰「朕周望之、有海無國、豈於大虛有國乎。誰神徒誘朕。復我皇祖諸天皇等、盡祭神祇、豈有遺神耶。」時神亦託皇后曰「如天津水影、押伏而我所見國、何謂無國、以誹謗我言。其汝王之、如此言而遂不信者、汝不得其國。唯今皇后始之有胎、其子有獲焉。」然天皇猶不信、以强擊熊襲、不得勝而還之。

 ひとことメモ

神の言葉

神は「熊襲なんかほっといて新羅を討て」と言ってます。

新羅と熊襲のラインを断てば、熊襲は自ずと落ちるだろうと見抜いていたのです。さすがは神様。

スポンサーリンク