日本書紀|第二十一代 雄略天皇㉒|歯田根命の乱、文石小麻呂の乱

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小嶋子のためなら馬八頭など惜しくはないぜ!

雄略13年 己酉つちのとのとり 469

三月 狹穂彦さほびこの玄孫の歯田根命はたねのみことが、采女の山邊小嶋子やまのべのこしまこを、密かにおかしました。天皇はこれを聞かれて、歯田根命はたねのみこと物部目大連もののべのめのおほむらじに引き渡して、責めました。歯田根命は、馬八匹・大刀八口でその罪を祓い、詠んだ歌。

やまのべの こしまこゆゑに ひとねらふ うまのやつぎは をしけくもなし

山邊 小嶋子故に 人ねらふ 馬の八匹は 惜しけくもなし

山邊小嶋子の為ならば、人々が狙っている馬の八頭など 惜しくも無いよ

これを聞いた目大連めのおほむらじは、天皇に申し上げました。天皇は歯田根命に資財たからのものを露わにして餌香市えかのいちかたわらの橘の根元に置くように命じて、その餌香えか長野邑ながののむらを物部目大連に授けられました。

 原 文

十三年春三月 狹穗彥玄孫齒田根命 竊姧采女山邊小嶋子 天皇聞 以齒田根命 收付於物部目大連而使責讓 齒田根命 以馬八匹・大刀八口 秡除罪過 既而歌曰

耶麼能謎能 故思麼古喩衞爾 比登涅羅賦 宇麼能耶都擬播 鳴思稽矩謀那欺

目大連 聞而奏之 天皇使齒田根命資財露置於餌香市邊橘本之土 遂以餌香長野邑賜物部目大連

 ひとことメモ

歯田根命はたねのみこと

歯田根命はたねのみことは、狹穂彦さほびこの子孫だそうですね。狭穂彦王さほびこのみこは9代開化天皇の孫で、11代垂仁天皇の御代に謀反を起こして死んだ皇族です。

9代開化天皇は、何らかの事変によって没落し、10代崇神天皇が立ったと考えられるそうです。その説では、9代までが葛城王朝で、10代以降がヤマト朝廷と位置付けています。

狭穂彦王さほびこのみこの反乱は、葛城王朝の復活を目指したクーデターだったということです。

歯田根命はたねのみことは反乱を起こしたわけではないですが、山邊小嶋子やまのべのこしまこが皇女だったとしたら、反乱の兆しと判断されたかもしれないですね。天皇になるためには、皇女を妃にしないといけないという規則があったようですから。

 

播磨の文石小麻呂あやしのおまろの反乱

八月 播磨国の御井隈みいくまの人であるところの文石小麻呂あやいしのをまろは、力が強くて、自分勝手でした。乱暴、残虐の限りを尽くしていました。

街道では略奪し、通行を妨害し、海上では商船を止めて、積荷を奪いました。また、国の法に背いて租税は納めませんでした。

そこで天皇は、春日小野臣大樹かすがのおののおみ おおきを遣わして、命知らずの兵士100人を並べて松明を持たせ、家を包囲して焼かせました。すると、火炎の中から白狗しろいぬが暴れ出てきて、大樹臣おおきのおみに向かってきました。その大きさは馬のようでした。しかし、大樹臣おおきのおみは顔色一つ変えないで、刀を抜いて斬りました。すると、それは文石小麻呂あやいしのをまろになりました。

 原 文

秋八月 播磨國御井隈人 文石小麻呂 有力强心肆行暴虐 路中抄劫不使通行 又斷商客艖䑧悉以奪取 兼違國法不輸租賦 於是天皇 遣春日小野臣大樹 領敢死士一百並持火炬 圍宅而燒 時 自火炎中 白狗暴出 逐大樹臣 其大如馬 大樹臣 神色不變 拔刀斬之 卽化爲文石小麻呂

 ひとことメモ

播磨国の御井隈

播磨国の御井隈は、今の姫路市青山あたりとされます。今は青山団地と青山ゴルフクラブの10番ホールになってますが、1977年まで小丸山という小高い丘がありました。

そこに小麻呂が住まいしていたらしいです。小麻呂の山だから小丸山なんでしょうね。西国街道が通り、海にも近い立地ですから、本文の記述にも合致します。

室町時代、播磨国守護となった山名宗全やまなそうぜんは、小丸山の山頂に屋敷を構えて、播磨国の統括拠点としたと伝わります。

また、戦国時代には、黒田軍と赤松軍の戦がこの一帯で繰り広げられました。その時、赤松軍が陣どったのが小丸山で、黒田軍は、夢前川を挟んで2.5kmほど東の土器山に陣取ったと記録されています。

このように、御井隈は統治戦略上、優れた立地だったと思われます。

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