日本書紀|第二十一代 雄略天皇①|安康天皇が、后の連れ子に殺された!

大泊瀬幼武天皇 -おほはつせのわかたけのすめらみこと-
第二十一代 雄略天皇 -ゆうりゃくてんのう-

 

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雄略天皇のひととなり

大泊瀬幼武天皇おおはつせのわかたけのすめらみこと(雄略天皇)は雄朝津間稚子宿禰天皇おあさつまわくごのすくねのすめらみこと(允恭天皇)の第五子である。

天皇がお生まれになったとき、神々しい光が産屋に満ち溢れました。成人となられてからは、その逞しさは並ぶものがいませんでした。

安康天皇、仇討ちにあう

安康三年

八月に、安康天皇は、沐浴をしようと思い、山宮やまのみやに行かれ、楼に登って景色をご覧になりました。そして天皇の命により宴会が催されました。だんだんと心地よくなり、楽しさが極まり、いろんな話をしました。

そして、皇后に

皇后とは、履中天皇の娘で中蒂姫皇女なかしひめのみこといい、あるいは長田大娘皇女ながたのおほいらつめのみこともいう。仁徳天皇の皇子の大草香皇子おほくさかのみこ長田皇女ながたのひめみこを娶り、眉輪王まよわのきみを生んだ。後に、安康天皇が根臣ねのおみの讒言により大草香皇子おほくさかのみこを殺し、中蒂姫皇女なかしひめのみこを皇后とされた。事の次第は安康天皇紀に書かれている 

吾妹わぎもよ 妻を妹と呼ぶのはいにしへの呼び名か、お前と朕とは睦まじいとは言えど、朕は眉輪王が怖いのじゃ」

とおっしゃいました。眉輪王は、幼くて、楼の下で遊んでいましたが、この話をすべて聞いていました。

しばらくして、安康天皇は皇后の膝枕で、酔っぱらって昼寝をされました。そこで、眉輪王は安康天皇が熟睡していることを伺って刺し殺しました。

 原 文

大泊瀬幼武天皇、雄朝嬬稚子宿禰天皇第五子也。天皇、産而神光滿殿、長而伉健過人。

三年八月 穴穗天皇 意將沐浴 幸于山宮 遂登樓兮遊目 因命酒兮肆宴 爾乃情盤樂極 間以言談 顧謂皇后 去來穗別天皇女曰中蒂姬皇女 更名長田大娘皇女也 大鷦鷯天皇子大草香皇子 娶長田皇女 生眉輪王也 於後 穴穗天皇 用根臣讒 殺大草香皇子而立中蒂姬皇女爲皇后 語在穴穗天皇紀也曰 

「吾妹 稱妻爲妹 蓋古之俗乎 汝雖親眤 朕畏眉輪王 」眉輪王 幼年遊戲樓下 悉聞所談 既而穴穗天皇 枕皇后膝 晝醉眠臥 於是眉輪王 伺其熟睡而刺殺之

 ひとことメモ

山宮で沐浴

山宮の場所の特定はできませんが、都が石上穴穂宮(天理市)ですから、石上神宮の奥の山々のどこかではないかと、勝手に想像します。

沐浴は、単に水で体を洗うという意味もありますが、宗教的な儀式としての意味もあるようです。神道において水で体を洗うということは「禊」でしょう。

眉輪王の変

この仇討は「眉輪王の変」と呼ばれます。

天皇が殺されたと明確に記された事件としては、これが最初です。

個人的には、仁徳天皇と皇位を譲り合って自殺したという菟道稚郎子、応神天皇に反逆した忍熊皇子も、実は殺された天皇だと思ってますが。

それはさておき、安康天皇が皇太子を立てる前に暗殺されました。よって、これから、皇位の継承を巡って、血なまぐさい事件が多発します。

皇位継承者の候補

さて、この時点で、皇位継承者として候補と考えられる人物は、、、以下の通りです。

安康天皇の兄弟たち、すなわち先帝である「允恭天皇」の皇子たち

  • 第一皇子 木梨軽皇子きなしのかるのみこ(すでに死亡)
  • 第二皇子 境黒彦皇子さかいのくろひこのみこ
  • 第三皇子 安康あんこう天皇(今しがた暗殺された)
  • 第四皇子 八釣白彦皇子やつりのしらひこのみこ
  • 第五皇子 大泊瀬稚武皇子おおはつせわかたけるのみこ(雄略天皇)

くわえて、仁徳天皇の皇子たちの子孫から、

  • 市辺押磐皇子いちのへのおしはのみこ(履中天皇の第一皇子)
  • 御馬皇子みまのみこ(履中天皇の第二皇子)
  • 眉輪王まよわおう(大草香皇子の子)

あたりでしょうか。

▼緑色の皇子が、その対象者です。

 

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