日本書紀|第二十一代 雄略天皇⑩|命拾いした舎人 / 百済の軍君が来朝

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猪と舎人

雄略5年 辛丑かのとのうし 461

二月 葛城山で狩りをされていたとき、霊鳥が突然飛んできました。霊鳥は雀ほどの大きさで、尾は長がく地に引きずり、「ゆめ、ゆめ」と鳴きました。

突然に、草むらから興奮した猪が飛び出してきて、人を追いかけてきました。狩人たちは樹によじ登った大変恐れていました。天皇は舍人とねり

「猛獣でも、人に出会うと止まる。待ち構えて射止めよ」

と命令されました。

しかし、舍人は臆病な性格だったので、樹に登って顔色を失い、失神してしまいました。

猪はまっすぐに向かってきて、天皇に噛み付こうとしたので、天皇は弓で射て止めて、足を挙げて踏み殺されました。

狩り終わり、天皇は舍人を斬ろうとしました。その刑に臨んで舎人が詠んだ歌、

やすみしし わがおほきみの あそばしし ししの うたきかしこみ わがにげのぼりし ありをのうへの はりがえだ あせを

やすみすし 我が大君の 遊ばしし 猪の うたき(唸鳴き)畏み 我が逃げ登りし あり丘の 榛が枝 吾兄を

我が天皇が狩りをした猪の唸り声に恐れて、私が逃げ登った 丘にあった榛の木の枝よ。ああ、助かったよ。

皇后は、これを聞かれ、心動かされて、天皇をお止めになりました。

すると、天皇は、

「皇后は天皇のことよりも、舎人を心配するのか」

とおっしゃいました。皇后がお答えして、

「民は皆、陛下は狩りをされて、獣を好まれると言うでしょう。これは良いことではありません。今、陛下が猪のことで舎人をお斬りあそばせば、陛下は狼と変わらなくなります」

と申し上げた。天皇は、皇后と一緒に車に乗って戻られた。天皇は萬歳と叫んで言われるに、

「なんとも嬉しいことよ!人は皆、狩りでは禽獣を狩るが、朕は狩りをして善言を得て帰るぞ!」

とおっしゃいました。

 原 文

五年春二月 天皇 狡獵于葛城山 靈鳥忽來 其大如雀 尾長曳地而且嗚曰 努力々々 俄而 見逐嗔猪 從草中暴出 逐人 獵徒 緣樹大懼 天皇詔舍人曰「猛獸 逢人則止 宜逆射而且刺 」舍人 性懦弱 緣樹失色 五情無主 嗔猪直來 欲噬天皇 天皇用弓刺止 舉脚踏殺 於是田罷 欲斬舍人 舍人臨刑而作歌曰

野須瀰斯志 倭我飫裒枳瀰能 阿蘇麼斯志 斯斯能 宇拕枳舸斯固瀰 倭我尼㝵能裒利志 阿理嗚能宇倍能 婆利我曳陀 阿西嗚

皇后聞悲 興感止之 詔曰「皇后 不與天皇而顧舍人 」對曰「國人皆謂 陛下安野而好獸 無乃不可乎 今陛下 以嗔猪故而斬舍人 陛下譬無異於豺狼也 」天皇 乃與皇后上車歸 呼萬歲曰「樂哉 人皆獵禽獸 朕獵得善言而歸 」

 ひとことメモ

なんと、皇后が今まさに斬り殺そうとしている天皇を止めたではありませんか!

激情型の天皇を、止めることができる皇后は、とても強い人ですね。もしかしたら、自分が斬られるかもしれないのに。

これも天皇のことを心から心配しているからこそできること。また逆に天皇も、日ごろから皇后のそういう所を感じていたんでしょうね。だから止まった。

いい話です。

といいますか、天皇も丸くなってきた?

 

軍君こにきの来朝

四月 百済の加須利君かすりのきみ 蓋歯王こうろおう は、池津媛いけつひめ 適稽女郎ちゃくけい おみな が焼き殺されたことを人伝えに聞き、協議の結果、

「昔、天皇に女人おみなを献上して釆女としたが無礼を働いて、我が国の名を辱めた。今より後は、女を献上してはならない」

と言い、弟の軍君こにき 崑攴こにき に、

「お前が日本に行き、天皇にお仕え申せ」

と言いました。軍君こにきは、

上君きみの命に違うことはできません。できれば、君のみめを賜ってから、派遣してください」

と答えました。加須利君かすりのきみは、既に妊娠していたみめ軍君こにきに娶らせて、

「私のみめは、今、臨月であるから、もし、途中で生まれたならば、子とみめを同じ船に乗せて、どこからでも速やかに帰国させよ」

と命じました。

六月一日 身籠ったみめは筑紫の各羅嶋かからのしまで出産しました。よって、その子を嶋君しまおう(セキマシ)と呼びました。

そこで軍君こにきは、すぐにみめと子とを同じ船で国に送り返しました。この子が武寧王むねいおうです。百済人はこの嶋を主嶋おうのしま(ニリムセマ)と呼びました。

七月 軍君こにきみやこに入った。すでに五人の子がありました。

百済新撰くだらしんせんには、「辛丑年かのとのうしのとしに、蓋歯王こうろおうが弟の昆攴君こにきを遣わせて、大倭に向かわせて、天皇にお仕えさせた。そして、先王のよしみを修めさせた」と書かれています。

 原 文

夏四月 百濟加須利君蓋鹵王也 飛聞池津媛之所燔殺適稽女郎也而籌議曰「昔貢女人爲采女而既無禮 失我國名 自今以後 不合貢女 」乃告其弟軍君崑支君也曰「汝宜往日本 以事天皇 」軍君對曰「上君之命 不可奉違 願賜君婦而後奉遺 」加須利君 則以孕婦嫁與軍君曰「我之孕婦 既當産月 若於路産 冀載一船 隨至何處 速令送國 」遂與辭訣 奉遣於朝 六月丙戌朔 孕婦果如加須利君言 於筑紫各羅嶋産兒 仍名此兒曰嶋君 於是軍君 卽以一船送嶋君於國 是爲武寧王 百濟人 呼此嶋曰主嶋也 秋七月 軍君入京 既而有五子 百濟新撰云「辛丑年 蓋鹵王 遣弟昆支君向大倭侍天王 以脩兄王之好也 」

 ひとことメモ

特にございません。

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