日本書紀|第二十一代 雄略天皇⑮|高麗に騙された新羅を日本が助ける。

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高麗にだまされた新羅

雄略8年 甲辰きのえのたつ 464

二月 身狭村主靑むさのすぐり あお檜隈民使博徳ひのくまのたみのつかひ はかとこ呉国くれのくにに遣わせました。

 

天皇が即位されてからこのかた、この年まで、新羅国は偽り背いて貢物を献上せず、八年も経ちました。しかも、中国なかつくに(天皇)の心を恐れて、高麗こまと友好関係となりました。そのため、高麗王は精兵百人を派遣して、新羅を守らせました。

暫くしてから、高麗の一人の兵士が休暇を取って帰国することになりました。その時、新羅人を典馬うまかいとしたのですが、兵士はその典馬うまかいに、

「おまえの国は我が国に破られるぞ。そう遠いことではないな」

とつぶやいた。

ある本では、「おまえの国は我が領土となるぞ。そう遠いことではないな」と伝わります。

典馬うまかいは、これを聞いて、腹が痛いフリをして遅れて歩き、やっとのことで新羅に逃げ帰り、その言葉を報告しました。

新羅王は、高麗の守りがウソだったこと知り、急使を走らせて、国民に告げました。

「皆の者、家の中で飼っている雄鶏おんどりを殺せ

国民はその意味を理解して、国内の高麗人を悉く殺しましたが、脱出に成功した高麗人が一人だけいて、国に戻って顛末を報告しました。

高麗王は、すぐに出兵させて筑足流城つくそくるのさし ある本では、都久斯岐城つくしのさしと伝わります に集めて、歌や踊りで大騒ぎをさせました。

新羅王は、夜に高麗軍の歌を四方に聞き、敵が新羅地に入っていることを知りました。そこで、任那王みまなのこしきに使者を送り、

「高麗王が我国を征伐しにきました。今、国の危機的状況は、つなぎ合わせた旗のようで、積み上げた卵よりもあやうく、いつまでもつかわかりません。日本府の将軍らの救援を、伏してお願い申し上げます。」

と言いました。

 原 文

八年春二月 遣身狹村主靑 檜隈民使博德、使於吳國 自天皇卽位至于是歲 新羅國背誕 苞苴不入於今八年 而大懼中國之心 脩好於高麗 由是、高麗王 遣精兵一百人守新羅 有頃、高麗軍士一人 取假歸國 時以新羅人爲典馬 典馬 此云于麻柯毗 而顧謂之曰「汝國爲吾國所破、非久矣 」一本云「汝國果成吾士、非久矣 」其典馬 聞之 陽患其腹退而在後 遂逃入國 說其所語

於是、新羅王 乃知高麗僞守 遣使馳、告國人曰「人 殺家內所養鶏之雄者 」國人知意、盡殺國內所有高麗人 惟有遣高麗一人 乘間得脱 逃入其國 皆具爲說之 高麗王 卽發軍兵 屯聚筑足流城 或本云 都久斯岐城 遂歌儛興樂 於是、新羅王 夜聞高麗軍四面歌儛 知賊盡入新羅地 乃使人於任那王曰「高麗王征伐我國 當此之時 若綴旒然 國之危殆 過於累卵 命之脩短 太所不計 伏請救於日本府行軍元帥等 」

 ひとことメモ

身狭村主靑むさのすぐり あお檜隈民使博徳ひのくまのたみのつかひ はかとこ

この二人は、雄略天皇が唯一寵愛した臣下として、前述されていましたよね。

そのお気に入りの二人が、呉国に派遣されました。目的は記載されていませんが、おそらく技術者の招聘でしょう。もしくは留学か。

この雄略8年の条の冒頭に記述されていますが、このあと両名が登場するのは雄略10年です。ですから、この一文は、そこから始まる新羅と高麗の話とは別と捉えてくださいませ。

雄鶏と高麗

「雄鶏を殺せ」と言えば、新羅の人たちは皆が「高麗人を殺せ」と理解したとのことですから、雄鶏と高麗には特別な関係がありそうです。

サムゲタンという料理があります。鶏肉に高麗人参、もち米などを入れて煮込んだスープです。おいしいです。出ました。鶏肉と高麗人参です。特別な関係を発見しました!というのは冗談です。

明日香村に都塚古墳という方墳があります。築造年代は6世紀後半で、一般的には蘇我稲目の墳墓ではないかとされています。

この古墳、墳丘が階段状に垂直に石積みされたピラミッド型。この形態は高麗の古墳に多いらしいです。ですから高麗からの渡来人が被葬者である可能性があるとのこと。

そして、この古墳で金の鶏が鳴いたという伝承から、この古墳は「金鶏塚」ともいうのです。

どうですか。サムゲタン説よりかは、マシでしょ。

 

新羅に援軍を出す

そこで、任那王は、膳臣斑鳩かしはでのおみ いかるが吉備臣小梨きびのおみ おなし難波吉士赤目子なにはのきし あかめこを、新羅を救いに行かせました。膳臣かしわでのおみらは、途中で宿営して止まっていましたが、高麗の諸将は膳臣斑鳩かしはでのおみ いかるがらと戦う前から、みな恐れていました。

膳臣かしわでのおみらは全軍に急襲の準備をさせて、高麗軍と対峙すること十日余り、夜のうちに地下道を掘って、すべての荷駄隊を通して、奇兵隊を編成しました。

夜が明けると、高麗軍は膳臣かしわでのおみらが居なくなったので、全軍で追撃しようとしました。そこに奇兵隊が突撃して、奇兵隊と騎馬隊とで挟み撃ちにして、大破せしめました。

二国のうらみは、このときから始まりました。二国とは、高麗と新羅です

膳臣かしわでのおみらは、新羅に

「お前の国はとても弱いくせに、とても強い国と戦おうとして。もし、官軍やまとのつわものが救わなかったならば、ここは他国の領土となっていたであろう。今後は決して天朝みかどに逆らってはならぬぞ」

と言いました。

 原 文

由是 任那王 勸膳臣斑鳩 斑鳩 此云伊柯屢餓・吉備臣小梨・難波吉士赤目子 往救新羅 膳臣等 未至營止 高麗諸將 未與膳臣等相戰 皆怖 膳臣等 乃自力勞軍 令軍中 促爲攻具急進攻之 與高麗相守十餘日 乃夜鑿險 爲地道 悉過輜車 設奇兵 會明 高麗 謂膳臣等爲遁也 悉軍來追 乃縱奇兵 步騎夾攻 大破之 二國之怨 自此而生 言二國者 高麗新羅也 膳臣等謂新羅曰「汝 以至弱當至强 官軍不救必爲所乘 將成人地殆於此役 自今以後 豈背天朝也 」

 ひとことメモ

特にございません。

 

 

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