日本書紀|第二十一代 雄略天皇⑰|官軍、新羅に惨敗。将軍たち次々と戦死。

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官軍、新羅へ進攻する

この時、紀小弓宿禰きのおゆみのすくねは、心配事を天皇に伝えてもらうよう大伴室屋大連おほとものむろやのおほむらじに、

「私は微力ではありますが、謹んで勅を承ります。ただ、私は妻を亡くしたばかりなので、身の回りの世話をしてくれる者がいません。きみ、このことを、天皇に申し上げて欲しいのです」

とお願いしました。

それを聞いた天皇は、悲しみ嘆いて、吉備上道采女大海きびのかみつみちのうねめ おほあまを紀小弓宿禰に与えて、身の回りの世話をさせました。

そうして遂に、送りだされました。

紀小弓宿禰きのおゆみのすくねらは、新羅に入り、行く先々の郡を切り従え、次々と撃破していきました。新羅王は、夜に四面から皇軍の打つ太鼓の音を聞いて、喙地とくのちが占領されたことを知って、数百騎と共に逃走し、新羅の大敗となりました。

 原 文

於是 紀小弓宿禰 使大伴室屋大連憂陳於天皇曰「臣 雖拙弱 敬奉勅矣 但今 臣婦命過之際 莫能視養臣者 公 冀將此事具陳天皇 」於是 大伴室屋大連具爲陳之 天皇聞悲頽歎 以吉備上道采女大海 賜於紀小弓宿禰 爲隨身視養 遂推轂以遣焉 紀小弓宿禰等 卽入新羅 行屠傍郡 行屠 並行並擊 新羅王 夜聞官軍四面鼓聲 知盡得喙地 與數百騎亂走 是以 大敗

 ひとことメモ

まずは、初戦は勝ったということでしょう。

喙地とくのち

喙地とくのちは、神功皇后が新羅征伐された時に帰順させた7国のひとつ「喙国」でしょうか。であれば、新羅と任那の境目で、今の慶尚北道慶山あたりとなります。

でなければ、新羅の王宮「月城」があった慶州盆地のことを指すのかもしれないです。

慶州盆地には、喙部、沙喙部、牟梁部、本彼部、習比部、漢岐部と称する6地域がありました。それぞれ自律的な政治集団を形成しながらも、対外的には王京人として結束するというような連合体で、その中でも喙部、沙喙部は突出して大きな力を持っていたということです。

「新羅に入り、行く先々の郡を撃破して進み、新羅王は喙地とくのちが占領されたと思った」という記述に当てはまるのは、後者でしょうか。

喙地とくのち=都と解釈してもよさそうです。

 

将軍の死

紀小弓宿禰きのおゆみのすくねは、敵将を陣中まで追って斬り、喙地とくのちを悉く平定しましたが、残兵は降服しませんでした。紀小弓宿禰きのおゆみのすくねは、兵を収め、大伴談連おほとものかたりのむらじと合流し、また残兵と戦いました。

この夕方、大伴談連おほとものかたりのむらじ と 紀岡前来目連きのおかざきのくめのむらじ は、力の限り闘って死にました。

談連かたりのむらじの従者の津麻呂つのまろが、後になって陣中にやってきて、その主人を探したが見つからなかったので

「我が主人の大伴公おおとものきみは、どちらにおいででしょうか」

と言うと、ある人が、

「お前の主人は、案の定、敵の手にかかって殺されたぞ」

と教えて、屍の所を指さしました。

津麻呂つのまろは、これを聞いて地団駄を踏んで

「主人がすでに死なれたとなれば、何で独り生きられようか!」

と言って、また敵中に斬り込んで共に死にました。

しばらくすると、残兵は自然と退却し、皇軍もまた同じく退却しました。

大将軍の紀小弓宿禰きのおゆみのすくねは、病によって身罷りました。

 原 文

小弓宿禰 追斬敵將陣中 喙地悉定 遣衆不下 紀小弓宿禰 亦收兵 與大伴談連等會 兵復大振 與遣衆戰 是夕 大伴談連及紀岡前來目連 皆力鬪而死 談連從人同姓津麻呂 後入軍中 尋覓其主 從軍不見出問曰「吾主大伴公 何處在也 」人告之曰「汝主等 果爲敵手所殺」指示屍處 津麻呂聞之 踏叱曰「主既已陷 何用獨全 」因復赴敵 同時殞命 有頃 遣衆自退 官軍亦隨而却 大將軍紀小弓宿禰 値病而薨

 ひとことメモ

初戦は勝利したものの、残兵がなおも抵抗し、結局は、大伴談連おほとものかたりのむらじと、紀岡前来目連きのおかざきのくめのむらじが戦死しました。最強軍団である大伴・久米の連合軍が負けたということですね。

戦場の描写

この場面の描写は、かなりサラッと書かれているように見えますが、よく見ると様々な情報が込められています。

たとえば、

大伴談の従者が、主人を探していたときの会話で、「汝主等 爲敵手所殺」というのがあります。「果たして敵の手の爲に殺されき」と読むのでしょう。

果たして=結末が予期していた通りであるさま

ですから、どのあたりから負けを予期していたのかはわかりませんが、少なくともこの時点では、皇軍の兵は負けを予期していたのでしょう。これでは士気は上がりません。

他にも、従者が主人が殺されたことを知らなかったのは、戦場の混乱ぶりが、

さらに、殺されたことを告げた「ある人」が、自分よりもかなり上位であろう中将軍の遺体の方を指さして、死んだことを告げたというのも、指示命令系統の崩壊を表現していると感じました。

戦いの結果

戦いのあと、大将軍の紀小弓宿禰きのおゆみのすくねも病死してしまいます。病死とありますが、おそらくは矢傷を負っての病死でしょう。

このように、大将軍と中将軍が命を落とす激戦でした。一時は占領した喙地とくのちも、おそらくは奪還されたと思われます。

これは、どう見ても敗戦ですね。

神託の通りでした。天皇がいかなくてよかったです。もし今回の征伐が、天皇による親征だったとしたら、今の日本はなかったかも、、、

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