日本書紀|第二十一代 雄略天皇⑲|月夜の赤馬

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月夜の赤馬

七月一日 河内国から、

飛鳥戸郡あすかべのこほり田辺史伯孫たなべのふひと はくそんの娘は、古市郡ふるいちのこほり書首加竜ふみのおびとかりゅうの妻です。伯孫はくそんは娘が出産したと聞いて、婿の家にお祝いに行き、月夜に帰りました。蓬蔂丘いちびこのおか誉田陵ほむたのみささぎの下で、赤駿あかうまに乗った者と出会いました。その馬は、時には龍や尺取虫の如くうねるように飛び上がり、またおおとりが驚いたときのように聳え立ち、その異体は霊的なものから生まれたようで、特別な相をしていて秀逸さを発していました。

伯孫はくそんは、その馬が欲しくなり、自分が乗っている葦毛の馬に鞭を入れ、頭を同じくして轡を並べると、赤駿あかうまは土煙を立ち上げて抜け出し、とんでもない速さで駆けて行って見えなくなりました。

葦毛馬は遅れて、もう追いくことができませんでした。その駿に乗った人は、伯孫はくそんが馬を欲しがっていることを知ると、馬を停めて交換してお互いに挨拶をして別れました。

伯孫はくそんは、駿を手に入れることができたのでとても喜び、厩に入れ、鞍を下ろして飼葉をやって寝ました。

その翌日の朝、赤駿は土馬はにまに変わっていました。伯孫はくそんは不思議に思って、引き返して誉田陵で探しました。すると葦毛馬が土馬はにうまの間にいるのを見つけました。馬を取って、換わりに土馬はにうまを置きました。」

と報告がありました。

 原 文

秋七月壬辰朔 河內國言「飛鳥戸郡人・田邊史伯孫女者 古市郡人・書首加龍之妻也 伯孫 聞女産兒 往賀聟家而月夜還 於蓬蔂丘譽田陵下 蓬蔂 此云伊致寐姑 逢騎赤駿者 其馬時濩略而龍翥 欻聳擢而鴻驚 異體峯生 殊相逸發 伯孫 就視而心欲之 乃鞭所乘驄馬 齊頭並轡 爾乃 赤駿超攄絶於埃塵 驅騖迅於滅沒 於是 驄馬後而怠足 不可復追 其乘駿者 知伯孫所欲 仍停換馬 相辭取別 伯孫 得駿甚歡 驟而入廐 解鞍秣馬眠之 其明旦 赤駿變爲土馬 伯孫心異之 還覓譽田陵 乃見驄馬在於土馬之間 取代而置所換土馬也 」

 ひとことメモ

飛鳥戸郡から古市郡に、娘の出産祝いに行った帰り道、応神天皇の御陵の横で、世にも不思議な馬と遭遇したんですね。

飛鳥戸郡

飛鳥戸郡は渡来系氏族の居住地で、今の大和川・石川・飛鳥川・二上山系に囲まれた地域です。その中心には名神大社の飛鳥戸神社があります。

今は葡萄栽培が盛んで、ワイナリーが多くあります。河内ワインや飛鳥ワイン、チョーヤもあります。

古市郡

古市郡は、今の羽曳野市の軽里・西浦・蔵之内・尺度の東側で、石川の西側。

ここから、応神天皇陵の横を通って帰るということは、伯孫はくそんは、飛鳥戸郡の北部に住んでいたということになりましょうか。

そんなことはいいとして、、、

埴馬の起源

この説話は、河内地方の埴馬の起源伝承ということなんだろうと考えます。

埴輪の起源は、垂仁天皇の御代。殉死を禁止して、その代わりに埴土で作った造形物を添えることにしたのが始まりとされています。

埴輪の変遷

3世紀ごろは円筒埴輪、4世紀には家形・蓋型・盾型などの機材型埴輪や鶏型などの形象埴輪が登場、5世紀中頃になると、巫女型のような人型埴輪や、馬型・犬型などの動物埴輪が登場します。

よって、この頃に馬型埴輪が盛んに作られるようになったということなのでしょう。

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