日本書紀|第二十一代 雄略天皇㉚|浦島子 / 百済の東城王

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浦島子

雄略22年 戊午つちのえのうま 478

正月一日 白髪皇子しらかのみこを皇太子とされました。

 

七月 丹波国の余社郡よざのこほり管川つつかはの人で瑞江浦嶋子みづのえのうらしまこは、舟に乗り釣をしていて、大亀を捕まえました。大亀は女に変身したので、浦嶋子は好きになって妻にして、一緒に海に入ました。そして蓬莱山ほうらいさんに着き、仙衆ひじりたちを見て巡りました。この話は別巻にあります。

 原 文

廿二年春正月己酉朔 以白髮皇子爲皇太子

秋七月 丹波國餘社郡管川人・瑞江浦嶋子 乘舟而釣 遂得大龜 便化爲女 於是 浦嶋子感以爲婦 相逐入海 到蓬萊山 歷覩仙衆 語在別卷

 ひとことメモ

浦島子

唐突に浦島子の説話が挿入されています。この浦島子は、浦島太郎のモデルだと思われます。

浦島子という人物が、丹波の港から船出をして常世国へ向かったわけです。そのあとのことは、別巻を参照してくださいなと書かれていますが、その別巻はありません。とても気になりますね。

おとぎ話だと、帰ってきて玉手箱を開けたらおじいさんになったという結末なのですが、、、

ところがなんと、平安時代の「水鏡」に、
「今年、雄略天皇22年にいなくなった浦島子が、帰ってきた。347年たってから帰ってきた」
という記事があるのです。

その記事の「今年」とは天長2年です。西暦でいうと824年です。その347年前というと西暦478年。

おお、雄略22年は西暦478年ではないですか!合ってる!合わしてる?

中国の歴史書「宋書」に、
「順帝紀 昇明2年(478年)5月、倭国王の武(雄略天皇に比定)が遣使して方物を献上したので、武を「安東大将軍」となした」
とあります。

これに合わせてる???

浦島子の説話は、この宗国に向かった使節団のことを指しているのではないかと思います。そして、水鏡が言う、824年に帰ってきた浦島子とは、浦島子の子孫なんだろうと思います。

 

百済の東城王

雄略23年 己未つちのとのひつじ 479

四月 百済の文斤王もんこんおうが薨かりました。天皇は、昆支王こんきおうの五人の子供のうちの第二子の末多王またおうを、若いわりに聡明であることから、詔して内裏に呼びました。頭を撫でて、ねんごろに誡勅をされて、百済の王とされました。

武器を与えられ、併せて筑紫国の兵士五百人を遣わして、国まで護衛させました。これが東城王とうせいおうです。

この年、百済からの貢物が例年よりも多くありました。

筑紫安致臣つくしのあちのおみ馬飼臣うまかひのおみらは船師を率いて、高麗を攻めました。

 原 文

廿三年夏四月 百濟文斤王 薨 天王 以昆支王五子中第二末多王 幼年聰明 勅喚內裏 親撫頭面 誡勅慇懃 使王其國 仍賜兵器 幷遣筑紫國軍士五百人 衞送於國 是爲東城王 是歲 百濟調賦 益於常例 筑紫安致臣・馬飼臣等 率船師以擊高麗

 ひとことメモ

特にございません。

 

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