日本書紀|第二十一代 雄略天皇④|泊瀬朝倉の宮、皇子女の紹介

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雄略天皇の即位

安康3年 丙申ひのえのさる 456

十一月十三日 天皇は、役人に命じて、泊瀬はつせ朝倉あさくら高御座たかみくらを準備させ、そこで即位されました。そして、都を定められ、平群臣眞鳥へぐりのおみ まとり大臣おほおみとし、大伴連室屋おほとものむらじ むろや物部連目もののべのむらじ め大連おほむらじとしました。

 原 文

十一月壬子朔甲子 天皇 命有司設壇於泊瀬朝倉 卽天皇位 遂定宮焉 以平群臣眞鳥爲大臣 以大伴連室屋・物部連目爲大連

 ひとことメモ

泊瀬はつせ朝倉あさくらの宮

泊瀬朝倉宮の最有力候補は、桜井市脇本の脇本遺跡です。1984年に、大型建造物の遺構が発見されました。

脇本遺跡は三輪山南麓の初瀬川右岸にあり、倭から宇陀を経由して伊勢へと向かう初瀬街道の入り口。東国との人・物・情報の流れを抑える好立地となります。と同時に、三輪氏を牽制する立地でもあります。

行政の新体制

葛城円大臣が誅殺されたことで、仁徳朝以来権勢をふるっていた葛城氏が没落。新大臣には平群臣眞鳥へぐりのおみ まとりが就任しました。

平群氏は、生駒山地の東麓、今の生駒郡平群町の竜田川右岸を本拠とした氏族。竜田川を挟んだ向かい側の高台には同族の紀氏の本拠があったようです。

葛城氏が没落して平群氏が台頭した!と言っても、どちらも系譜の上では武内宿禰の子孫となり、あまり変わり映えしないように思えますが、、、

 

 

后妃と皇子女

雄略元年 丁酉ひのとのとり 457

三月三日 草香幡梭姫皇女くさかのはたびひめのみこを立てて皇后とされました。 亦の名は橘姫皇女たちばなひめのみこといいます
この月 三人の妃を立てました。

元々の妃は、葛城円大臣かづらきのつぶらのおほおみの娘で韓媛からひめとおっしゃいます。

  • 白髪武廣国押稚日本根子天皇しらかのたけひろくにおしわかやまとねこのすめらみこと(清寧天皇)
  • 稚足姫皇女わかたらしひめのみこ  亦の名は栲幡姫皇女たくはたひめのみこといいます

とを生みました。この皇女は伊勢大神のやしろの斎宮となられました。

 

次に、吉備上道臣きびのかみつみちのおみの娘の稚媛わかひめは、ある本では、吉備窪屋臣きびのくぼやのおみの娘と伝わります 二人の男子を生みました。

  • 兄が、磐城皇子いわきのみこ
  • 弟が、星川稚宮皇子ほしかわのわかみやのみこ あとで出てきます

です。

次が、春日和珥臣深目かすがのわにのおみ ふかめの娘で、童女君おみなのきみとおっしゃいます。

  • 春日大娘皇女かすがのおほいらつめのみこ 亦の名は高橋皇女たかはしのひめみこといいます

を生みました。

 原 文

元年春三月庚戌朔壬子 立草香幡梭姬皇女 爲皇后 更名橘姬皇女 是月 立三妃 元妃葛城圓大臣女曰韓媛 生白髮武廣國押稚日本根子天皇與稚足姬皇女 更名幡娘姬皇女 是皇女侍伊勢大神祠 次有吉備上道臣女稚媛 一本云 吉備窪屋臣女 生二男 長曰磐城皇子 少曰星川稚宮皇子 見下文 次有春日和珥臣深目女曰童女君 生春日大娘皇女 更名高橋皇女

 ひとことメモ

后妃たちについて

草香幡梭姬皇女

皇后となられた草香幡梭姫皇女くさかのはたびひめのみこは、安康天皇紀に登場した大草香皇子の妹です。

安康天皇が、まだ若い頃の大泊瀬皇子のために所望した姫です。

この時、悲しい出来事がありました。その結婚申し入れの使いの讒言で、大草香皇子は安康天皇に誅殺されました。そして、こともあろうか安康天皇は大草香皇子の妻を奪って皇后としました。

前述の通り、天皇は、その妻の連れ子である眉輪王に殺されてしまいます。

草香幡梭姫皇女くさかのはたびひめのみこは、自分の婚姻のせいで兄を殺された、可哀想な姫なのです。

韓媛

韓媛からひめは、葛城円大臣かつらぎのつぶらのおおおみの娘です。

葛城円大臣は、葛城氏宗家の首長。雄略天皇に殺されかけて逃げてきた二人の皇子を匿ったので、家ごと焼き殺されました。この時、円大臣に男子がなかったのか、葛城宗家は滅亡します。

ですから、韓媛からすると雄略天皇は父の仇。しかし、その韓媛が産んだ皇子が次の天皇になります。

やっぱり葛城の女は強い!と感じました。

稚媛・童女君

この二人は、この後で登場します。そちらをどうぞ。

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