日本書紀|第二十一代 雄略天皇⑤|一夜で身籠った童女君。池津媛と石川盾の恋
一夜で身籠った童女君
童女君は元は采女でした。天皇と唯一夜を共にしただけで妊娠して、女子が生まれました。ですので、天皇は疑われて養育されませんでした。
その子が歩けるようになりました。天皇が御大殿に出て、物部目大連が天皇の傍に控えていたとき、その少女が庭を通りすぎて行きました。
目大連が振り返って、群臣に
「かわいい女の子だなぁ。昔の人が『娜毘騰耶皤麼珥』この古語の意味は不詳です と言ったが、清らかな庭をゆっくりと歩いている、あの少女は誰の子だろうか」
と言いました。天皇は、
「何故、尋ねるのだ」
と言いました。物部目大連は
「私には、あの女の子の歩く姿を見ると、天皇に良く似ているので」
とお答えしました。天皇が
「この子を見た者は、お前と同じことを言う。しかし、一夜を過ごしただけで孕んで生まれたのだぞ。おかしいではないか。だから疑っておる」
とおっしゃいました。大連が
「では、一晩に何度お召しになりましたか」
とお尋ねすると、
「七回じゃ」
とおっしゃいました。
大連は、
「娘は清らかな身と心で一夜をお仕えいたしました。軽々しく疑ってはなりません。
身ごもりやすい者は、褌に触れただけでも身ごもると聞きます。ましてや一晩中お召しになられたとなれば、、、
みだりに疑いを掛けられるのはいかがなものかと、、、」
と申し上げました。
天皇は大連に命じて、女の子を皇女とし、母を妃とされました。
この年の太歳 丁酉でした。
原 文
童女君者本是采女 天皇與一夜而脤 遂生女子 天皇疑不養 及女子行步 天皇御大殿 物部目大連侍焉 女子過庭 目大連顧謂群臣曰「麗哉 女子 古人有云 娜毗騰耶皤麼珥 此古語未詳 徐步淸庭者 言誰女子 」天皇曰「何故問耶 」目大連對曰「臣觀女子行步 容儀能似天皇 」天皇曰「見此者咸言如卿所噵 然 朕與一宵而脤産女 殊常 由是生疑 」大連曰「然則一宵喚幾乎 」天皇曰「七喚之 」大連曰「此娘子 以淸身意奉與一宵 安輙生疑 嫌他有潔 臣聞 易産腹者 以褌觸體 卽便懷脤 況與終宵而妄生疑也 」天皇命大連 以女子爲皇女 以母爲妃 是年也 大歲丁酉 |
ひとことメモ
童女君は元は采女
もともとは釆女だったとわざわざ書いてますから、釆女から妃への昇進はスゴイことだったのでしょう。
釆女とは、ヤマト朝廷に服従を誓った部族の首長が、朝廷に差し出す人質のようなもの。自分の妹や娘を献上しました。
基本的には、天皇や皇子女の身の回りの世話をします。しかし、その容姿次第では天皇の御手が付いて子を産むこともありました。
あるのはありましたが、妃に昇進したという記述は童女君が初めてですから、すごく稀なことだったのではないでしょう。
春日和珥臣
童女君は、春日和珥氏の姫です。
この童女君 を皮切りに春日和珥氏から、仁賢天皇妃・継体天皇妃が出ます。そして、その皇女らがまた、安閑天皇皇后になるなど、春日氏は天皇家の外戚として権力を高めていくことになりますから、童女君が妃となったことは、歴史的な出来事だったのですよ。
たった一夜だけで、、、
「たった一夜だけで妊娠するなどおかしい」男の身勝手な言葉ですな。ありがちですが。
この話、天孫 瓊瓊杵尊と、その妻 木花開耶姫 と同じです。瓊瓊杵尊も、一夜で妊娠したことを疑って「国津神の子じゃないのか?」と言ってしまいました。
木花開耶姫 は、大山津見神の娘ですから気位が高い。大激怒して自ら産屋に火を放って火の海の中で三人の男子を出産しました。そのうちの一人の子孫が神武天皇となります。
まあ、童女君は釆女で立場が違いすぎますので、怒るもなにも無いでしょうが。
池津媛と石川楯
雄略2年 戊戌 458
七月 百済の池津媛は、天皇のお召しに違えて、石川楯と通じました 旧本によれば、石河股合首の祖の楯と伝わります。 天皇は大いにお怒りになり、大伴室屋大連に詔し、来目部を遣わして、夫婦の手足を木に縛り、桟敷の上に置き、火で焼き殺しました。
百済新撰には、「己巳年に蓋歯王が王位に就いた。天皇は阿礼奴跪を遣わせて、百済の女郎を求めた。百済は慕尼夫人の娘を着飾らせて適稽女郎と呼んで、天皇に献上した」と書かれています。
原 文
二年秋七月 百濟・池津媛 違天皇將幸 婬於石河楯 舊本云「石河股合首祖 楯」 天皇大怒 詔大伴室屋大連 使來目部 張夫婦四支於木 置假庪上 以火燒死
百濟新撰云「己巳年 蓋鹵王立 天皇 遣阿禮奴跪 來索女郎 百濟 莊飾慕尼夫人女 曰適稽女郎 貢進於天皇 」 |
ひとことメモ
特にございませんです。
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