第十段 一書(3)②|海幸・山幸(異伝)乳母の起源

2020年6月22日

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豊玉姫の出産

これより前に、豊玉姫は天孫に

「私はすでに身籠っています。天孫の子をどうして海の中で産めるでしょうか。産む時には必ずあなたのところに参ります。ですから、どうか私のために海辺に産屋を作って待っていてください。お願いです。」

と申し上げました。

そこで、彦火火出見尊は国に帰ると、すぐに鸕鷀(う)の羽で屋根を葺いて産屋を作りましたが、屋根が葺き終えないうちに、豊玉姫が大亀に乗り、妹の玉依姫を連れて、海を照らしながらやってきました。

すでに臨月を迎えていて、産気づいてきたので、屋根を葺き終えるのを待たずに産屋に入りました。

その際、天孫に

「私が産む時、どうかその姿を見ないでください。お願いします。」

と、ゆっくりと落ち着いた口調でお願いしました。

天孫は、その言葉を不思議に思って、こっそりと覗くと、豊玉姫は八尋熊鰐(やひろのわに)に化身していました。

そして、天孫が中を見たことを知って、恥ずかしさと恨みが深く深く心に刻まれてしまいました。

子が生まれた後、天孫が訪れて、

「子の名を何と名付けたらよいであろうか。」

と尋ねましたが、

「彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊(ひこなぎさたけうかやふきあへずのみこと)と名付けてください。」

とだけ答えて、そう言い終わるやいなや、すぐに海を渉って去ってしまいました。

この時、彦火火出見尊は歌を詠みました。

沖の鴨の寄り付く島で、私が一緒に寝た妻のことは、この世の続く限り、決して忘れることなどできないだろう

[ ある話によると、彦火火出見尊は、別の婦人を乳母(ちおも)湯母(ゆおも)飯嚼(いひかみ)湯坐(ゆゑ)とされました。すべての諸職業の部族を配備して、お育て申しげました。

今まさに、代わりの婦人に皇子を育てさせているように、これが世間で乳母を雇って子を育てることの起源だといいます。]

この後、豊玉姫はその御子の容姿端正なことを聞くにつけ、憐れに大切に思い、戻って育てたいと思いました。しかし、それは前言撤回となり道理に反すること。妹の玉依姫(たまよりびめ)を遣わして、育てさせました。

その時、豊玉姫は玉依姫に託して返歌を差し上げました。

赤玉の輝きは素晴らしいと人は言いますが、あなた様の姿はそれ以上に貴くご立派だと、今ではつくずく思います。

この贈答歌の二首は、挙歌といいます。

 原文

先是、豐玉姬謂天孫曰「妾已有娠也。天孫之胤豈可産於海中乎、故當産時必就君處。如爲我造屋於海邊以相待者、是所望也。」故彥火火出見尊、已還鄕、卽以鸕鷀之羽、葺爲産屋。屋蓋未及合、豐玉姬自馭大龜、將女弟玉依姬、光海來到。時孕月已滿、産期方急、由此、不待葺合、俓入居焉、已而從容謂天孫曰「妾方産、請勿臨之。」天孫心怪其言竊覘之、則化爲八尋大鰐。而知天孫視其私屏、深懷慙恨。既兒生之後、天孫就而問曰「兒名何稱者當可乎。」對曰「宜號彥波瀲武鸕鷀草葺不合尊。」言訖乃渉海俓去。于時、彥火火出見尊、乃歌之曰、

飫企都鄧利 軻茂豆勾志磨爾 和我謂禰志 伊茂播和素邏珥 譽能據鄧馭㔁母

亦云、彥火火出見尊、取婦人爲乳母・湯母・及飯嚼・湯坐、凡諸部備行、以奉養焉。于時、權用他婦、以乳養皇子焉。此世取乳母、養兒之緣也。是後、豐玉姬、聞其兒端正、心甚憐重、欲復歸養。於義不可、故遣女弟玉依姬、以來養者也。于時、豐玉姬命、寄玉依姬而奉報歌曰、

阿軻娜磨廼 比訶利播阿利登 比鄧播伊珮耐 企弭我譽贈比志 多輔妬勾阿利計利

凡此贈答二首、號曰舉歌。

 かんたん解説

乳母・湯母・飯嚼・湯坐

  • 乳母・・・本当の母親に代わって、自分のお乳をのませる婦人
  • 湯母・・・白湯を飲ませる係
  • 飯嚼・・・乾飯を噛んで乳幼児に食べさせる係
  • 湯坐・・・入浴をさせる係

「県犬養三千代」という人がいます。敏達天皇系の美努王に嫁いで、橘諸兄などを生んだ人です。

ちょうど「諸兄」が生まれたのと時を同じくして、元明天皇に「軽皇子」が生まれました。元明天皇に仕えていた県犬養三千代は「軽皇子:文武天皇」の乳母だった可能性が高いとか。

その後、美努王と離縁して藤原不比等と再婚します。元明天皇、文武天皇と近しい犬養三千代を得た不比等は、出世街道まっしぐら~となるわけです。

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