第五段 一書(11)|月読尊が保食神を殺す

2020年6月29日

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第五段 一書(11)

ある書では、このように伝えられています。

伊弉諾尊は三人の子に、

「天照大神は高天之原を治めなさい。月夜見尊は日神と並んで天上の事を治めなさい。素戔嗚尊者は滄海之原を治めなさい。」

と詔されました。

その後、天照大神は天上におられて、

「葦原中国に保食神(うけもちのかみ)がいると聞いている。月夜見尊よ、行って見てきて欲しい」

とおっしゃいました。

月夜見尊は、この詔を受けて天降り、保食神の所に着かれました。

保食神が首を回して、顔を陸地に向けると口から飯が出てきて、顔を海に向けると口から鰭広(ひれのひろい魚)や鰭狹(ひれの小さい魚)が出てきて、顔を山に向けると口から毛麁(毛の堅い獣)・毛柔(毛の柔らかい獣)が出てきました。

それらのすべての物を整えて、たくさんの食卓に並べて、もてなしました。

月夜見尊は顔色を変えて怒り、

「なんと穢らわしい!なんと卑しい!口から吐き出したものを食べさせようとするのか!」

とおっしゃり、すぐに劒を抜いて切り殺されました。

その後、高天原に戻られて、ことの天照大神に報告しました。

すると天照大神は大変お怒りになり

「あなたは悪い神だ。二度と顔も見たくない!」

とおっしゃられ、それ以降、昼と夜は別々になりました。

その後、天照大神は、天熊人(あめのくまひと)を遣わして、保食神を看に行かせました。

しかし、その時には、保食神は既に亡くなっていました。

その頭上には牛馬が生まれて、顔からは粟が生まれ、眉からは繭(まゆ:蚕)が生まれ、眼からは稗(ひえ)が生まれ、腹の中からは稲が生まれ、陰部からは麦と大豆・小豆とが生まれていました。

天熊人はすべてを持ち帰り、天照大神に献上しました。

すると天照大神は喜んで

「これらのものは顕見蒼生(うつしきあをひとくさ)が生きるための食糧となるでしょう!」

とおっしゃられ、粟・稗・麦・豆を陸田(畑)の種子とされ、稲を水田の種子とされました

また、天の邑君(むらのきみ=村長)を定められた。

そして、その稲の種を、初めて天狹田(あめのさだ)と長田(ながた)に植えました。

その秋には、穂が垂れ下がるほどたくさん実り、素晴らしいものでした。

また、口に繭を含んで糸を得ることができたので、養蚕が始まりました。

 原文

一書曰、伊弉諾尊、勅任三子曰「天照大神者、可以御高天之原也。月夜見尊者、可以配日而知天事也。素戔嗚尊者、可以御滄海之原也。」既而、天照大神在於天上曰「聞、葦原中國有保食神。宜爾月夜見尊就候之。」月夜見尊、受勅而降。已到于保食神許、保食神、乃廻首嚮國則自口出飯、又嚮海則鰭廣鰭狹亦自口出、又嚮山則毛麁毛柔亦自口出。夫品物悉備、貯之百机而饗之。是時、月夜見尊、忿然作色曰「穢哉、鄙矣。寧可以口吐之物敢養我乎。」廼拔劒擊殺。然後復命、具言其事、時天照大神、怒甚之曰「汝是惡神。不須相見。」乃與月夜見尊、一日一夜、隔離而住。是後、天照大神、復遣天熊人往看之、是時、保食神實已死矣、唯有其神之頂化爲牛馬、顱上生粟、眉上生蠒、眼中生稗、腹中生稻、陰生麥及大小豆。天熊人、悉取持去而奉進之、于時、天照大神喜之曰「是物者、則顯見蒼生可食而活之也。」乃以粟稗麥豆爲陸田種子、以稻爲水田種子。又因定天邑君、卽以其稻種、始殖于天狹田及長田。其秋、垂穎、八握莫莫然甚快也。又口裏含蠒、便得抽絲、自此始有養蠶之道焉。

 かんたん解説

やはりここでも、葦原中国(地上世界)を治める神は不在です。

それはそれとして、この書のメインは昼夜の誕生と、弥生文化の伝来でしょう。

昼夜の誕生

今までの書にあったように、天上界は日神を月神が補佐する形で治めていました。

しかし、このことがあってから別々に住むことになり、夜と昼、陰と陽に分かれることになったのです。

月神は日神に次ぐ輝きを持つ尊い神とされていましたが、その明るさは太陽と月ほどの違いがあったのですね。

保食神(うけもちのかみ)

とにもかくにも、食物の神です。稲荷神社の祭神として祀られることもあります。

古事記には、須佐之男命と大気都比売のコンビで同じ内容の神話がありました。

この死んだ神の体から植物が生まれる神話は、食物起源神話として東南アジアを中心に世界各地に見られるハイヌウェレ神話型といわれる神話の典型だそうですよ。

私はてっきり、渡来した弥生人によって縄文人たちが殺されたのか?と思ってました。。。

天狭田と長田

天照大神が初めて稲を田圃に植えました。養蚕も始まりました。まさに新しい文化の誕生を象徴するお話です。

さて、この初めての田圃「天狭田」と「長田」とは、どこにあったのでしょうか?そんなん、誰にも分らんのですが、

以下、結論でもなんでもない単なる自己満足です、、、その時は何も知らずにいましたのですが、記憶が繋がりましたので、ここに記しておきます。

私事で恐縮ですが、かつて商談で蒜山高原に行く用事がありました。

私は初めての地では、できるだけその土地の神社に参拝するようにしております。というわけで、近隣の神社を探しますと、蒜山盆地の地形を作り上げたであろう「旭川」沿いに「長田神社」と「加茂神社」がありました。

加茂神社には15の神社が合祀されているのですが、その中に「字広の狭田神社」が名を連ねていました。

地図を掲載しておきます。

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