第六段 一書(1)|宗像三女神の降臨

2020年6月26日

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第六段一書(1)

ある書では、このように伝えられています。

日神は、そもそも素戔嗚尊が勇猛で暴虐であることを知っておられました。その素戔嗚尊が上って来るに至り、すぐに、

「弟がやってきた理由は善い心からではく、きっと我が高天原を奪おうとしているのだろう」

とおっしゃられ、武人としての勇ましい準備を調えられました。

身には十握劒(とつかのつるぎ)・九握劒(ここのつかのつるぎ)・八握劒(やつかのつるぎ)を帯び、背には靫(ゆき)を背負い、また腕には稜威之髙鞆(いつのたかとも)を付け、手には弓矢を持ち、防御なされた。

この時、素戔嗚尊は

「私にはそもそも悪意などありません。ただただ姉上にお会いしたい一心で、少しの間だけ参上しただけです」

と申し上げました。

そこで日神は、素戔嗚尊と向かい合って立ち、誓約(うけひ)を立て、

「もし、おまえの心が清らかで、この国を奪おうとする心がないなら、おまえが生む子は必ず男だろう」

とおっしゃいました。

言い終わって、

  • まず、御自身の身に佩びておられた十握劒を口にして生まれた御子を瀛津嶋姫(おきつしまひめ)
  • また、九握劒を口にして生まれた御子を湍津姫(たぎつひめ)
  • また、八握劒を口にして生まれた御子を心姫(たこりひめ)

といいます。すべてで三柱の女神でした。

次に、素戔嗚尊は、御自身の首に掛けておられた五百箇御統の瓊を、天渟名井(あめのぬなゐ)[亦の名を去来之眞名井(いざのまなゐ)]、の水で濯いで、これを食べました。

これにより、生まれた御子を

  • 正哉吾勝勝速日天忍骨尊(まさかあかつかちはやひあまのおしほねのみこと)
  • 次に天津彥根命(あまつひこねのみこと)
  • 次に活津彥根命(いくつひこねのみこと)
  • 次に天穂日命(あめのほひのみこと)
  • 次に熊野忍蹈命(くまののおしほみのみこと)

合わせて五柱の男神でした。

このようにして、素戔嗚尊は勝ちの証明を得たのです。

そこで、日神は素戔嗚尊に悪意がないことを知られ、日神がお生みになられた三柱の女神を筑紫洲(つくしのくに)に降らせました。

その時、日神は三女神に教えて、

「おまえたち三柱の神は、道の途中に降りて、天孫をお助け申し上げて、天孫によって祀られなさい

とおっしゃいました。

 原文

一書曰、日神、本知素戔嗚尊有武健凌物之意、及其上至、便謂「弟所以來者、非是善意。必當奪我天原。」乃設大夫武備、躬帶十握劒・九握劒・八握劒、又背上負靫、又臂著稜威高鞆、手捉弓箭、親迎防禦。是時、素戔嗚尊告曰「吾元無惡心。唯欲與姉相見、只爲暫來耳。」於是、日神共素戔嗚尊、相對而立誓曰「若汝心明淨、不有凌奪之意者、汝所生兒、必當男矣。」言訖、先食所帶十握劒生兒、號瀛津嶋姬。又食九握劒生兒、號湍津姬。又食八握劒生兒、號田心姬。凡三女神矣。已而素戔嗚尊、以其頸所嬰五百箇御統之瓊、濯于天渟名井亦名去來之眞名井而食之、乃生兒、號正哉吾勝勝速日天忍骨尊。次天津彥根命、次活津彥根命、次天穗日命、次熊野忍蹈命、凡五男神矣。故素戔嗚尊、既得勝驗。於是、日神、方知素戔嗚尊固無惡意、乃以日神所生三女神、令降於筑紫洲、因教之曰「汝三神、宜降居道中、奉助天孫而爲天孫所祭也。」

 かんたん解説

誓約の結果

本文とは、誓約での子の生み方が違いますね。

  • 本文・・・お互いの持ち物を交換して、それを噛んで吹き出したら生まれた。
  • この書・・・自分の持ち物を食べて生まれた。

ですからこの場合は、どちらの子なのか一目瞭然です。

だから「日神は素戔嗚尊に悪意がないことを知った」という一文が入るのですね。

道の途中

「道の途中に居て、天孫を助け、天孫によって奉られなさい」と宗像三女神は命令を受けました。

ここでいう道とは、福岡から玄界灘を渡り対馬を経て朝鮮半島へと続く、海路のことを言ってます。

ですから宗像三女神は、海岸の宮、少し沖の島(宮)、遠い沖の島(宮)の三つの宮に分かれて祀られているのです。

天孫

天孫というのは、天照大神の孫です。狭義では瓊瓊杵尊の事を指し、広義では天皇のことを指します。

まだ生まれてもないのに「天孫を助け」と言ってます。まるで、地上世界を統治するのは「天孫」に決めているかのようです。

編纂当時、この「孫」に統治権を譲るという行為の正当性の擦りこみも重要案件の一つだったのでしょう。41代持統天皇の「孫」が42代文武天皇ですから。。。

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