第六段 一書(2)(3)|宇佐に降りた三女神
第六段一書(2)
ある書では、このように伝えられています。
素戔嗚尊が天に昇ろうとされた時に、一柱の神がいました。名を羽明玉(はあかるたま)といいます。この神が素戔嗚尊をお迎えして、瑞八坂瓊之曲玉(みつのやさかにのまがたま)を献上しました。
そこで、素戔嗚尊はその玉を持って天上に昇られました。
この時、天照大神は、弟に悪い心があるのではないかとお疑いになり、兵を集めて厳しく問い詰めました。
素戔嗚尊は、
「私が来たのは、本当に姉上にお会いしたかったからです。また、珍しい宝である瑞八坂瓊之曲玉を献上したかっただけです。他意はありません」
とお答えしました。
天照大神が再び
「おまえの言葉の真偽を、いったいどのようにして証明するのか」
と尋ねられましたので、
「どうか私と姉上と共にで誓約(うけひ)を立てさせてくださいませ。誓約の間に女を生んだら悪い心があると思ってください。男を生んだら清い心だと思ってください」
と申し上げました。
天眞名井を三か所を掘って向かい合って立たれました。
そして、天照大神は素戔嗚尊に
「私が帯びている劒を今おまえに与えよう。おまえは持っている八坂瓊の曲玉を私に渡しなさい」
と仰せられ、そのように約束して交換されました。
まず、天照大神が素戔嗚尊の八坂瓊の曲玉を天眞名井に浮かして手元に寄せて、瓊の端を噛み切って、吹き出した息の中から生まれた神を
- 市杵嶋姫命(いつきしまひめのみこと)
これは、遠瀛(おきつみや)に鎮まり坐す神です。
また、瓊の中ほどを噛み切って、吹き出した息の中から生まれた神を
- 田心姫命(たこりひめのみこと)
これは、中瀛(なかつみや)に鎮まり坐す神です。
また、瓊の尾を噛み切って、吹き出した息の中から生まれた神を湍
- 湍津姫命(たぎつひめのみこと)
これは、海濱(へつみや)に鎮まり坐す神です。
併せて三柱の女神です。
次に、素戔嗚尊は、天照大神が佩びておられた劒を天眞名井に浮かして手に取り、劒の先を噛み切って、吹き出した息の中から生まれた神を
- 天穂日命
- 次に正哉吾勝勝速日天忍骨尊
- 次に天津彥根命
- 次に活津彥根命
- 次に熊野櫲樟日命
すべてで、五柱の男神でした。
以上のように言われています。
原文
一書曰、素戔嗚尊、將昇天時、有一神、號羽明玉、此神奉迎而進以瑞八坂瓊之曲玉。故、素戔嗚尊、持其瓊玉而到之於天上也。是時、天照大神、疑弟有惡心、起兵詰問。素戔嗚尊對曰「吾所以來者、實欲與姉相見。亦欲獻珍寶瑞八坂瓊之曲玉耳、不敢別有意也。」時天照大神、復問曰「汝言虛實、將何以爲驗。」對曰「請吾與姉共立誓約。誓約之間、生女爲黑心、生男爲赤心。」乃掘天眞名井三處、相與對立。是時、天照大神、謂素戔嗚尊曰「以吾所帶之劒、今當奉汝。汝、以汝所持八坂瓊之曲玉、可以授予矣。」如此約束、共相換取。已而、天照大神、則以八坂瓊之曲玉、浮寄於天眞名井、囓斷瓊端、而吹出氣噴之中化生神、號市杵嶋姬命、是居于遠瀛者也。又囓斷瓊中、而吹出氣噴之中化生神、號田心姬命、是居于中瀛者也。又囓斷瓊尾、而吹出氣噴之中化生神、號湍津姬命、是居于海濱者也。凡三女神。於是、素戔嗚尊、以所持劒、浮寄於天眞名井、囓斷劒末、而吹出氣噴之中化生神、號天穗日命。次正哉吾勝勝速日天忍骨尊、次天津彥根命、次活津彥根命、次熊野櫲樟日命、凡五男神、云爾。 |
かんたん解説
羽明玉(はあかるたま)
櫛明玉命・玉祖命と同じと言われています。ですから玉造連の祖ですね。献上したのが「瑞八坂瓊之曲玉」(みつのやさかにのまがたま)ですから、まさしく!といったところです。
たまたまかどうかは知りませんが、天へ上る道中でもらった「瑞八坂瓊之曲玉」を、さも姉のために用意してきたかのような素戔嗚尊の言い方は、ズル賢さを感じます。
生まれる元になるもの
生まれる元になるものが本文と違います。
本文・・・素戔嗚尊の剣を、天照大神が噛んで、女神が生まれる
この書・・・素戔嗚の玉飾りを、天照大神が噛んで、女神が生まれる
本文・・・天照大神の玉飾りを、素戔嗚尊が噛んで、男神が生まれる
この書・・・天照大神の剣を、素戔嗚尊が噛んで、男神が生まれる
どんどん、ややこしくなっていきます。後で、すべてを整理します。お待ちくださいませ。
三女神、五男神の生まれる順番も違います。こちらも後で、整理しようと思います。
第六段一書その三
ある書では、このように伝えられています。
日神は素戔嗚尊と天安河(あめのやすのかは)を挟んで向かい合って、誓約(うけひ)を立てて、
「もしおまえに、邪悪な心がないのであれば、おまえが生む子は必ず男であろう。もし男を生んだら、私の子として天原(あまのはら)を治めさせよう」
とおっしゃられた。
そこで、日神が、最初に、十握劒を口にして化生した御子が
- 瀛津嶋姫命(おきつしまひめのみこと)
亦の名を市杵嶋姫命
また、九握劒を口にして化生した御子が
- 湍津姫命
また、八握劒を口にして化生した御子が
- 田霧姫命
次に、素戔嗚尊が、左の髻(みづら)に巻き付けていた五百箇統之瓊(いほつみすまるのたま)を口に含み、左の掌(たなごころ、手のひら)に置くと、男が化生した。
そこで、「今まさに私が勝った」と宣言したので、、、
- 勝速日天忍穂耳尊(かちはやひあまのおしほみみのみこと)
と名付けられました。
また、右の髻の瓊(たま)を口に含み、右の掌に置くと、
- 天穂日命
また、首にかけた瓊を口に含み、左の腕に置くと、
- 天津彥根命
また、右の腕から
- 活津彥根命
また、左の足から
- 熯之速日命(ひのはやひのみこと)
また、右の足から
- 熊野忍蹈命
亦の名を熊野忍隅命(くまののおしくまのみこと)
が化生しました。
素戔嗚尊がお生みになった御子はすべて男でした。
こうして、日神は、素戔嗚尊にはそもそも清い心だったことをお知りになり、その六柱の男神を引き取られて、日神の御子として天原を治めさせられました。
原文
一書曰、日神與素戔嗚尊、隔天安河、而相對乃立誓約曰「汝若不有奸賊之心者、汝所生子必男矣。如生男者、予以爲子而令治天原也。」於是、日神、先食其十握劒化生兒、瀛津嶋姬命、亦名市杵嶋姬命。又食九握劒化生兒、湍津姬命。又食八握劒化生兒、田霧姬命。巳而素戔嗚尊、含其左髻所纒五百箇御統之瓊而著於左手掌中、便化生男矣、則稱之曰「正哉吾勝。」故因名之曰勝速日天忍穗耳尊。復、含右髻之瓊、著於右手掌中、化生天穗日命。復、含嬰頸之瓊、著於左臂中、化生天津彥根命。又、自右臂中、化生活津彥根命。又、自左足中、化生熯之速日命。又、自右足中、化生熊野忍蹈命、亦名熊野忍隅命。其素戔嗚尊所生之兒皆已男矣、故日神方知素戔嗚尊元有赤心、便取其六男以爲日神之子、使治天原。卽以日神所生三女神者、使隆居于葦原中國之宇佐嶋矣、今在海北道中、號曰道主貴、此筑紫水沼君等祭神是也。熯、干也、此云備。 |
かんたん解説
誓約の整理
頭が混乱してきたので、簡単に整理してみました。
わかるのは、、、
- 誰の何を噛んだり食べたりしても、素戔嗚尊からは男神が生まれていること
- 一書の(2)以外は、剣から女神、玉飾から男神が生まれていること
- 一書の(2)だけ、天穂日命が長男になっていること
- 宗像三女神は、長女が沖津宮、二女が中津宮、三女が辺津宮に祀られるようだということ
- 一書(3)だけ、六柱の男神が生まれている。
(一柱多く生まれた「熯之速日命」は、本文では第五段で火の神を斬った剣から滴る血から生まれています。) - 一書(3)だけ、三女神が宇佐に降りていて、水沼君の奉斎となっている。
- 全てにおいて共通するのは、熊野櫲樟日命が末っ子だということ
本文 | 一書(1) | 一書(2) | 一書(3) | 古事記 |
場所の設定なし | 場所の設定なし | 天真名井を三か所掘って | 天の安河を挟んで | 天の安河を挟んで |
素戔嗚の剣 | 日神の剣 | 素戔嗚の玉飾 | 天照の剣 | 素戔嗚の剣 |
天照が噛む | 日神が食べる | 天照が噛み切る | 天照が食べる | 天照が噛む |
田心姫 | 沖津嶋姫(沖) | 市杵嶋姫(沖津宮) | 瀛津嶋姫命 (市杵嶋姫)(沖) |
多紀理毘売命(沖) |
湍津姫 | 湍津姫 | 田心姫(中津宮) | 湍津姫 | 多岐都比売命 (中) |
市杵嶋姫 | 田心姫 | 湍津姫(辺津宮) | 田霧姫 | 市寸島比売命(辺) |
筑紫 | 筑紫 | 記述なし | 宇佐嶋 →北海 |
筑紫 |
胸肩君 | 天孫によって | 記述なし | 水沼君が祀る | 胸形君 |
本文 | 一書(1) | 一書(2) | 一書(3) | 古事記 |
天照の玉飾 | 素戔嗚の玉飾 | 天照の剣 | 素戔嗚の玉飾り | 天照の玉飾 |
素戔嗚が噛む | 素戔嗚が食べる | 素戔嗚が噛み切る | 素戔嗚が口に含む | 素戔嗚が噛む |
天忍穂耳命 | 天忍穂耳命 | 天穂日命 | 天忍穂耳尊 | 天忍穂耳命 |
天穂日命 | 天津彦根命 | 天忍骨尊 | 天穂日命 | 天之菩卑能命 |
天津彦根命 | 活津彦根命 | 天津彦根命 | 天津彦根命 | 天津日子根命 |
活津彦根命 | 天穂日命 | 活津彦根命 | 活津彦根命 | 活津日子根命 |
熊野櫲樟日命 | 熊野櫲樟日命 | 熊野櫲樟日命 | 熯之速日命 | 熊野久須毘命 |
熊野忍蹈命 |
ちなみに、熊野那智大社の祭神「熊野牟須美大神」は、伊弉冉尊とされていますが、実は末っ子の「熊野櫲樟日命」かもしれないとのことです。
宇佐嶋
一書(3)では、宗像三女神はまず宇佐に降りたと伝えています。そういえば、宇佐神宮の二之御殿に祀られる比売大神は宗像三女神でしたね。
水沼君
水沼君は阿曇族や宗像族と並ぶ、九州の海人族の一つでしたが、宗像族の勢力に押されて筑紫から豊後に移動したとされています。
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません