第八段 一書(1)~(3)|八岐大蛇退治(異伝)

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第八段一書(1)

ある書では、このように伝えられています。

素戔嗚尊は天から出雲の斐伊川の上流に降り着かれました。そこで稲田宮主(いなだのみやぬし)の簀狹之八箇耳(すさのやつみみ)の娘の稲田姫をご覧になり、娶って生んだ子を清湯山主(すがのゆやまぬし)の三名狹漏彥八嶋篠(みなさもるひこやしましの)といいます。

【一説には、清繋名坂軽彥八嶋手命(すがのゆひなさかかるひこやしまでのみこと)といいます。

または、清湯山主三名狹漏彥八嶋野(すがのみなさもるひこやしまの)といいます。】

この神の五世の孫が、すなわち大国主神(おほくにぬしのかみ)なのです。

原文

一書曰、素戔嗚尊、自天而降到於出雲簸之川上。則見稻田宮主簀狹之八箇耳女子號稻田媛、乃於奇御戸爲起而生兒、號淸之湯山主三名狹漏彥八嶋篠。一云、淸之繋名坂輕彥八嶋手命、又云、淸之湯山主三名狹漏彥八嶋野。此神五世孫、卽大國主神。

簡単な解説

そのまんまですが、、、

この奥出雲地方に稲田の宮という宮殿があって、そこの主であるところの簀狹之八箇耳(すさのやつみみ)という、おそらくタタラ製鉄と農耕を取りまとめていた首長がおり、その娘を娶ったということなんでしょうな。

ここでは、素戔嗚尊と稲田姫の長男は、八嶋篠(八嶋手)です。大国主神ではありません。

稲田宮主

この書では、手名椎の神名が「稲田宮主簀狹之八箇耳」となってます。ということは、大蛇退治の前から稲田宮があったことになりますね。

清湯山主

出雲風土記によると、「清の湯山」は雲南市大東を流れる赤川に湧き出る「海潮温泉」のことらしいですよ。また、その赤川の上流にある「須賀神社」が宮跡とされています。

第八段一書(2)

ある書では、このように伝えられています。

この時、素戔嗚尊は安藝国の可愛之川(えのかは)の川上に降り着かれました。

そこには神がおられ、脚摩手摩(あしなづてなづ)といいました。

妻の名を稲田宮主簀狹之八箇耳(いなだのみやぬしすさのやつみみ)といいますが、身籠っていました。しかし、夫婦は共に心配していて、素戔嗚尊に、

「私たちが生んだ子は沢山いたのですが、生むたびに八岐大蛇がやって来て呑み込んでしまい、一人もいないのです。今また私たちは子が産みますが、また呑み込まれるのでしょう。それで悲しんでいます」

と申し上げました。素戔嗚尊は、

「おまえたちは、たくさんの果実で酒を八甕(かめ)作れ。私がおまえたちのために大蛇を殺してやろう。」

と教えました。二神は仰せの通りに酒を用意しました。

やがて子が生まれると、まさに大蛇が現れ、戸口まで来て、その子を呑もうとしました。

素戔嗚尊は蛇に勅して、

「お前は畏れ多い神である。もてなさないわけにないかない。」

とおっしゃり、八つの甕の酒をそれぞれの口に注ぎ入れました。すると大蛇は酒を飲んで眠ってしまいました。

素戔嗚尊は剣を抜いて大蛇を斬りました。

尾を斬った時に剣の刃が少し欠けたので、尾を割いてご覧になると、一振りの剣がありました。これを草薙剣(くさなぎのつるぎ)といいます。

この剣は、今、尾張国(愛知県)の吾湯市村にあり、熱田祝部(あつたのはふり)がお祀りしている神です。

その大蛇を斬った剣を蛇之麁正(をろちのあらまさ)といいます、今は石上にあります。

この後、稲田宮主簀狹之八箇耳が生んだ子の真髪触奇稲田媛(まかみふるくしいなだひめ)を出雲国の簸之川(ひのかは)の川上に移して育てました。

こうして後、素戔嗚尊がこの姫を妃として生まれた子の六世孫が大己貴命(おほあなむち)とおっしゃる神です。

原文

一書曰、是時、素戔嗚尊、下到於安藝國可愛之川上也。彼處有神、名曰脚摩手摩、其妻名曰稻田宮主簀狹之八箇耳、此神正在姙身。夫妻共愁、乃告素戔嗚尊曰「我生兒雖多、毎生輙有八岐大蛇來呑、不得一存。今吾且産、恐亦見呑、是以哀傷。」素戔嗚尊乃教之曰「汝、可以衆菓釀酒八甕、吾當爲汝殺蛇。」二神隨教設酒。至産時、必彼大蛇、當戸將呑兒焉。

素戔嗚尊勅蛇曰「汝、是可畏之神、敢不饗乎。」乃以八甕酒、毎口沃入。其蛇飲酒而睡。素戔嗚尊、拔劒斬之、至斬尾時、劒刃少缺、割而視之、則劒在尾中、是號草薙劒、此今在尾張國吾湯市村、卽熱田祝部所掌之神是也。其斷蛇劒、號曰蛇之麁正、此今在石上也。是後、以稻田宮主簀狹之八箇耳生兒眞髮觸奇稻田媛、遷置於出雲國簸川上、而長養焉。然後、素戔嗚尊、以爲妃而所生兒之六世孫、是曰大己貴命。

簡単な解説

可愛之川(えのかは)

島根県の江津市で日本海に注ぐ「江の川」は、さかのぼって広島県内に入ると、その名を可愛川(えのかわ)と呼ばれたそうです。(広島県廿日市市を流れる可愛川とは違います。)

安芸高田市には可愛地区と呼ばれる行政地区があり、北側の山間部には古墳群が発見されています。

この書では、出雲で製鉄の民を得た素戔嗚尊が、石見から安芸へと進出していったことを表しているのでしょうか。

稲田宮主

この書も稲田宮がもともとあったことになりますね。

安芸高田市の可愛地区に清神社(すがじんじゃ)があります。これが稲田宮の跡でしょうか。

須佐之男命を主祭神に相殿に脚摩乳命、手摩乳命、稲田姫命、五男三女神を祀る神社です。

 

第八段一書(3)

ある書では、このように伝えられています。

素戔嗚尊は奇稲田媛を娶ろうとしたとき、脚摩乳(あしなづち)と手摩乳(てなづち)は、

「どうか、まずあの大蛇を殺してください。その後ならいいでしょう。

大蛇は頭ごとに岩松があり、両脇には山があり、とても恐ろしいのです。どのようにして殺すおつもりですか?」

と申し上げた。

素戔嗚尊は、すぐに計略を立て、毒の酒を作って飲ませた。

蛇が酔って眠ってしまうと、素戔嗚尊は蛇韓鋤之剣(をろちのからさびのつるぎ)で蛇の頭を斬り、腹を斬り、そして次に尾を斬った時に剣の刃が少し欠けました。

尾を裂いてご覧になると、一振りの剣がありました。名を草薙剣といいます。この剣は、昔は素戔嗚尊の手許にありましたが、今は尾張国にあります。

素戔嗚尊が蛇を斬った剣は、今は、吉備の神部(かむとものを)の許にあります。出雲の簸之川(ひのかは)の川上の山が、それです。

原文

一書曰、素戔嗚尊、欲幸奇稻田媛而乞之、脚摩乳・手摩乳對曰「請先殺彼蛇、然後幸者宜也。彼大蛇、毎頭各有石松、兩脇有山、甚可畏矣。將何以殺之。」素戔嗚尊、乃計釀毒酒以飲之、蛇醉而睡。素戔嗚尊、乃以蛇韓鋤之劒、斬頭斬腹、其斬尾之時、劒刃少缺。故裂尾而看、卽別有一劒焉、名爲草薙劒、此劒昔在素戔嗚尊許、今在於尾張國也。其素戔嗚尊斷蛇之劒、今在吉備神部許也、出雲簸之川上山是也。

簡単な解説

蛇之麁正・蛇韓鋤之剣

素戔嗚尊が大蛇を斬ったときに使った剣の名はいくつかあります。

  • 「蛇之麁正」(をろちのあらまさ)
  • 「蛇韓鋤之剣」(をろちのからさびのつるぎ)
  • 「天十握剣」(あめのとつかのつるぎ)
  • 「天羽々斬」(あめのはばきり)

前の2つは、あまりいい名前ではなさそうですね。麁は「粗末な」という意味ですし、蛇だの鋤だの。(主観です)

草薙剣と刃を交えて欠けたことから、銅剣か、鍛えられていない鉄剣だったのでしょう。

石上

「今は石上(いそのかみ)にある」と言ってます。(3)では「吉備の神部にある」と言ってます。

石上と言えば奈良県の石上神宮が有名ですが、私は、どちらも岡山県赤磐市の「石上布都魂神社」の神部(神社の世話役)を指していると思います。

ちなみに、伝承では10代崇神天皇によって岡山から奈良の石上神宮に遷されたとされていますから、編纂当時を「今」と見るなら、(2)については奈良県の石上神宮となりましょう。

でもそうなると、(3)の「今は、吉備の、、、」の「今は」が、辻褄が合わなくなります。

現在、奈良県の石上神宮では、「布都魂剣」(ふつみたまのつるぎ)とし、この神剣に宿る霊威を布都斯魂大神として祀っています。

出雲の簸之川(ひのかは)の川上の山が、それです。

これは、何を指しているのか。よくわかりません。

  • 「両脇には山があり、とても恐ろしいのです」の「山」を指している?
  • 「吉備の神部(かむとものを)」の場所を指している?

出雲、ひのかわ、両脇に山、吉備、神部のキーワードでもって、調べると、、、

出雲国と伯耆国の国境、今の米子市を流れる川に「日野川」がありました。ほぼ出雲です。

これを川上へと遡っていきますと、岡山県との県境に「神戸上」という地名がありました。ほぼ神部です。

その神戸上の集落の両脇に「大倉山」という円錐形の独立した山と、「花見山」という山が聳えています。両脇に山がありました。

鳥取県日南市神戸上の大倉山のことで、そこに神部が住んでいたという結論に達したのでした。

ついでに、このあたりでも鉄・銅・銀が採れたらしいですよ。

ここが吉備の神部とすると、石上との整合性が取れなくなってしまいます。また謎が増えました。

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