第八段 一書(4)(5)|紀伊国の五十猛命

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第八段一書(4)

ある書では、このように伝えられています。

素戔嗚尊の行為は非情に過ぎたので、神々は、素戔嗚尊に多くの祓い物を科して、遂には追放しました。

素戔嗚尊は、御子の五十猛神(いたけるのかみ)を率いて新羅国(しらきのくに)に天降り、曾尸茂梨(そしもり)の所に着きました。

素戔嗚尊は

「ここは、私が住みたいところじゃないな」

とおっしゃられて、植土で舟を作り、これに乗って東に渡り、出雲国の簸川(ひのかは)の川上にある鳥上之峯(とりかみのたけ)に着きました。

その時ちょうどそこには、人を呑み込む大蛇(をろち)がいました。

素戔嗚尊は、天蠅斫剣(あまのはえきりのつるぎ)でその大蛇を斬られた。その時、大蛇の尾を斬って刃が欠けたので、そこを裂いてご覧になると、尾の中に一振りの神剣がありました。

素戔嗚尊は

「これは私が自分で用いるべきではない」

とおっしゃられて、五世の孫の天之葺根神(あめのふきねのかみ)を遣わして、天に献上されました。これが、今でいうところの草薙剣(くさなぎのつるぎ)です。

はじめ、五十猛神が天降(あまくだ)られた時に、多くの樹木の種を持って降られました。しかし、韓地には植えずに、すべて出雲に持ち帰られました。

そして、筑紫から始められ、大八洲国(おほやしまのくに)の国中に種を蒔き植えられて、木々が生茂らない山はない程になりました。このため、五十猛神を有功之神(いさをしのかみ)といいます。

紀伊国に鎮まります大神がこの神でなのです。

簡単な解説

五十猛神(いたけるのかみ)

素戔嗚尊の御子にして、武の神、木の神、船の神、生命の神と、いろんな側面を持つ大神様です。

イメージは、普段は穏やかで落ち着きのある紳士ですが、有事の際には一変して勇猛果敢な軍神となるという、古き良き時代の男前像ではないでしょうか。

古事記に登場する、八十神に命を狙われていた大国主命が頼った木国の大屋毘古神と同じ神だとされています。まさに頼りがいのある親分です。

紀伊国に鎮まる大神と記されている通り、和歌山市山東にある伊太祁曽神社に祀られています。

この伊太祁曽神社、もともとは和歌山市中心部に近い秋月(現在の日前宮の鎮座地)に鎮座していましたが、紀国版の国譲りがあったため、日前宮(高天原系)がやってきて、伊太祁曽神社(国津神系)が東の方に遷座したという経緯があります。

いずれも紀伊国の一之宮です。

曾尸茂梨(そしもり)

曾尸茂梨ってどこ?という問いに対しては、諸説あります。その中からいくつかをご紹介させていただきます。

春川の牛頭山説

昔の朝鮮語の読みでは、ソシモリ=牛の頭となるらしいです。後世、素戔嗚尊と牛頭天王が習合したのも頷けますね。

高霊の加耶山

高霊の加耶山は、大昔にはソシモリといわれていたらしい。牛が横たわっているような形をしていたから「牛の頭の山」=ソシモリ山。

高い柱のてっぺん説

ソシは「高い柱」、モリは「頂上・てっぺん」で、「高い柱のてっぺん」という意味になるらしいです。ですから地名ではなく、何か象徴的な場所のようです。

おのごろ島の「天の御柱」を連想させますね。

埴土で船をつくる

粘土で船を作るということは、朝鮮半島には木材が無かったということでしょうか。

たしかに、そんなとこには住みたくないですよね。

天蠅斫剣(あまのはえきりのつるぎ)

天十握剣とも、天羽羽斬剣ともいわれる、素戔嗚尊の剣です。

蠅も羽羽も、蛇の古語らしいです。ハエ、ハハ、ハム、ハモ。みんな蛇だそうです。

東大阪の長田に、波牟許曽神社(はむこそじんじゃ)があります。ハムは蝮、コソは社。蝮を祀る社という意味ですね。

日本列島にはトラやライオンなどの猛獣はいません。おそらく古代人が恐れた動物は、狼と熊と毒蛇(蝮)でしょう。ですから、神として祀られているのですね。

 

第八段一書(5)

ある書では、このように伝えられています。

素戔嗚尊は

「韓郷(からくに)の島には金や銀がある。もし、我が子が治める国に浮寶(うくたから:船)がないとなると、良くないことだ」

とおっしゃり、髯(ひげ)を抜いて散らすと、杉の木になりました。また、胸の毛を抜いて散らすと檜になりました。尻の毛は槙になりました。眉の毛は櫲樟(楠)になりました。

そこで、木材の用途を定められて、

「杉と櫲樟の二つの樹木は浮寶(うくたから:船材)とせよ。檜は宮殿を作る木材とせよ。槙はこの世の人々の奥津棄戸(おきつすたへ:棺)の材料とせよ。また、食用とするための多くの木の実の種は、すべて蒔いて植えた」

とおっしゃいました。

さて、素戔嗚尊の御子を五十猛神(いたけるのかみ)といい、妹を大屋津姫命(おほやつひめのみこと)、次が柧津姫命(つまつひめのみこと)といいます。

この三神は国中に樹木の種を撒かれました。そして紀伊国にお渡ししました。

その後、素戔嗚尊は熊成峯(くまなりのたけ)におられましたが、最後に根国に入られました。

簡単な解説

この書は、おそらく、朝鮮半島から帰還してからのお話と思われます。

金銀がある

これはお宝があるというような意味ではなく、鉄鉱石のことを指します。

船がないと困る

その鉄鉱石を朝鮮半島から日本へ持ち込むには船が必要です。その船を作るためにも木材が必要でした。

というわけで、素戔嗚尊は自分の体毛から樹木を生成し、その用途を指定しました。

楠→船

水に強く、腐りにくい材質なので、丸木舟つくりには最適です。温暖な気候下で育つ植物なので、日本海側では杉を使うことが多かったようです。

また、楠は独特な香りを放つ樹木としても知られています。

昭和の中頃まで、衣類の虫よけに「樟脳」という丸い錠剤をタンスに入れていたのを覚えておられますでしょうか。独特な臭いで嫌がられてましたが、、、

あの樟脳は楠から抽出した成分で作られていました。

杉→船

幹が真っすぐ伸びるため木材を取りやすく、軽くて加工しやすい木材です。

楠が育たない寒い地方では杉を丸木舟の材料として使っていました。

また、軽い船は水深の浅い場所の航行に有利です。というわけで、河川の水運には杉船が使われていたようですよ。

檜→宮殿

日本と台湾にしか分布しない樹木で、日本では最高級の建築用木材として重用されました。それは緻密なのに加工しやすく朽ちにくく、さらには、いい香りがするから。

檜で作られた建物の中には、築1000年を超えるものもあります。法隆寺なんかもそうですね。

槙→棺桶

高野槙のことを指すと思われます。

丈夫で朽ちにくく、水にも強いなどの特長から、高級な棺や水桶に使われたようです。

古墳時代前期の古墳の竪穴式石室から発掘された木棺は、コウヤマキの巨木の丸太をくり抜いて作ったものが多いです。

熊成峯(くまなりのたけ)

この場所についても諸説あり、定説はありません。いくつかをご紹介しますと、、、

  • 島根県の熊野大社元宮がある天狗山は、かつて熊成峯(くまなしのみね=熊野山)と呼ばれていた。
  • 島根県の来坂神社は、江戸時代まで来成(きなし:くるなし)天王社と称されており 背後の鼻高山は、古くは熊成峯と称していたらしい。
  • 日本との関係が深かった百済国の古都「熊津」(コムナル)。→くまなり
  • 古代には任那日本府があった、韓国の鎮海市の南東の港町「熊川」(コムナリ)。→くなまり。

朝鮮半島の熊津や熊川あたり、鉄鉱石を積む港として最適と思われますね。

さて、、、

古事記の「神武東征」の段において、神武一行が熊野に到着したとき、「熊が川から現れて、、、神武とその兵士たちは気を失った」というくだりがあります。ここに「熊川」が登場します。

その熊が川から出てきただけで、皆やられてしまうのです。これを猛烈な霊威を表していると捉えると、その神霊は猛烈に荒ぶる神「素戔嗚尊」。

そして、すぐ近くに花窟神社(母:イザナミの埋葬地といわれる)。これは「根の国」につながります。

どうも、私には「熊川」(コムナリ)がキーワードなように思えてなりません。

素戔嗚尊とは

大層な標題をつけちゃいましたが、、、私見としては、

素戔嗚尊って、

  • 気性が荒い・・・戦闘的
  • 高天原の御田を荒らす・・・農耕否定
  • 生剥ぎ・逆剥ぎ・伏駒の罪・・・馬と縁が深い
  • ソシモリ・クマナリ・・・朝鮮半島に縁が深い

というような特徴があります。これらから思うのは、、、

海人族が農耕民族化した人々ではなく、朝鮮半島経由で渡来した騎馬民族が信仰した神なんじゃないかなと思ってます。今は、、、

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