第八段 一書(6)②|少彦名命と大物主神

2020年6月22日

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大物主神あらわる

その後、国の中のまだできていない所を、大己貴神が一人で、よく巡りながら作り上げられました。

そして最後に、出雲国に着かれ、

「そもそも葦原中国は荒れた国であり、磐岩や草木に至るまで全てが荒々しかった。しかし、私が叩き伏せて、従わないものは無くなった。」

とおっしゃられ、最後に

「今この国を治めているのは私一人である。私と共に天下を治めるべき者は、いったいいるのだろうか。」

とおっしゃいました。

 

その時、神(あや)しい光が海を照らし、たちまち浮かんで来る神がありました。そして、

「もし、私がいなければ、おまえはどうしてこの国を平定することができただろうか。私がいたからこそ、おまえは国と平定するというような、大きな功績を立てることができたのである。」

とおっしゃられました。そこで、大己貴神が、

「それならば、あなたは誰なのですか?」

とお尋ねになると、

「私は、おまえの幸魂奇魂(さきみたま くしみたま)である。」

とお答えになられました。それを聞いた大己貴神は、

「そのとおりです。あなたは私の幸魂奇魂であることが判りました。。それはそうと、今から、どこに住むおつもりですか?」

とお尋ねになられると、

「私は日本国の三諸(みもろ)の山に住みたいと思う。」

とお答えになられました。

そこで、神の宮を造り、そこに鎮まりました。これが大三輪の神です。

この大三輪の神の子は、

  • 甘茂君(かものきみら)等
  • 大三輪君(おおみわのきみ)等
  • また、姫蹈鞴五十鈴姫命(ひめたたらいすずひめのみこと)

です。

別伝によると、

事代主神(ことしろぬしのかみ)が八尋熊鰐(やひろのくまわに)に化けて、三嶋の溝杙姫(みしまのみぞくひひめ)【あるいは玉櫛姫】の許へお通いになり、姫蹈鞴五十鈴姫命が生まれました。

そして、この姫命が、神日本磐余彥火火出見天皇(かむやまといはれびこほほでみのすめらみこと=神武天皇)の后(きさき)です。

とあります。

 原文

自後、國中所未成者、大己貴神、獨能巡造、遂到出雲國、乃興言曰「夫葦原中國、本自荒芒、至及磐石草木咸能强暴。然、吾已摧伏、莫不和順。」遂因言「今理此國、唯吾一身而巳。其可與吾共理天下者、蓋有之乎。」

于時、神光照海、忽然有浮來者、曰「如吾不在者、汝何能平此國乎。由吾在故、汝得建其大造之績矣。」是時、大己貴神問曰「然則汝是誰耶。」對曰「吾是汝之幸魂奇魂也。」大己貴神曰「唯然。廼知汝是吾之幸魂奇魂。今欲何處住耶。」對曰「吾欲住於日本國之三諸山。」故、卽營宮彼處、使就而居、此大三輪之神也。此神之子、卽甘茂君等・大三輪君等・又姬蹈鞴五十鈴姬命。又曰、事代主神、化爲八尋熊鰐、通三嶋溝樴姬・或云玉櫛姬而生兒、姬蹈鞴五十鈴姬命。是爲神日本磐余彥火火出見天皇之后也。

 かんたん解説

大物主神

古事記では「御諸山に鎮まる神」とだけの紹介でした。ここでは大物主という名を明かすとともに、大国主と同じであることが明確に記述されています。

しかも、幸魂・奇魂として。

古事記編纂から日本書紀編纂までの間に、何か不都合なことが起こったような、そんな勘繰りを入れたくなる記述です。

幸魂・奇魂

日本神道では、神様にはいろんな側面があるとされています。

大きく分けて、和魂(にぎたま)と荒魂(あらたま)和魂は神様の穏やかで恩恵を与える側面であるのに対して、荒魂は神様の畏ろしい側面です。

神様の意に沿わないことがあると荒魂が発動されて、天変地異や疫病や飢饉などの災いが起こるとされてきました。

神道における祀りとは、「荒魂の側面を鎮め、和魂の側面を引き出すこと」が大命題なのです。

そして、和魂は幸魂と奇魂に分けられます。

幸魂は人を幸せにする側面で、奇魂は不思議な力を持って物事を成就させる側面です。

なので、「私はお前の幸魂奇魂であるからして、私の力なしでは物事が成就しないのである」という理屈は、「確かに、、、」というしかないのです。

日本国の三諸(みもろ)の山

三諸の山は、今の三輪山とされています。

この三輪山をご神体とする神社が、大和一之宮の「大神神社」です。大神と書いて「おおみわ」と読みます。

拝殿はありますが、本殿はありません。ご神体の三輪山は建物に入りませんし。拝殿とご神体の山との間に、三輪素麺の帯のマークで有名は「三ツ鳥居」が結界として立てられています。

いやいや。そういうことよりも、ここで初めて「日本国」という言葉が登場しました。しかも大物主の口から。

大物主神が大国主神であるならば、素戔嗚尊から天神の血を引いているとはいえ出雲王朝の象徴です。

古事記では名も明らかにしなかった神の口から、はじめて国号としての「日本国」が発せられたのです。

大物主神が大国主神でなければ、、、それは一体、、、

ここに、大物主神の正体を紐解くヒントがあるように思えますが、それはまたいつか、、、

少彦名命の出自

はじめに戻って、

大己貴神が国を平定された時に、出雲国(いづものくに)の五十狹狹之小汀(いささのをはま)を訪れて、食事をされようとしました。

この時、海上から突然人の声がしました。

驚いて探してみたが、何も見えません。

するとしばらくして、一人の小さな人が白斂(かがみ)の殻を舟にし、鷦鷯の羽を身にまとい、潮流に乗ってやって来くるではありませんか。

大己貴神が、見つけて取り上げ、手のひらに置いてもてあそんでいると、小さな人が飛び跳ねて頬に咬みつきました。

この小さな人の姿かたちを不思議に思い、使いを遣わして天神にお尋ねになられました。

すると、高皇産靈尊(たかみむすひのみこと)が、これをお聞きになられ、

「私が産んだ子は全部で1500柱いるが、その中の一柱は、とんでもなく悪く、教えに従わなかった。私の指の間から漏れ落ちた子がいるのだが、きっとその子だろう。慈しみ育てよ。」

とおっしゃいました。これが少彥名命(すくなひこなのみこと)です。

 原文

初、大己貴神之平國也、行到出雲國五十狹々小汀、而且當飲食。是時、海上忽有人聲。乃驚而求之、都無所見、頃時、有一箇小男、以白蘞皮爲舟、以鷦鷯羽爲衣、隨潮水以浮到。大己貴神、卽取置掌中而翫之、則跳囓其頰。乃怪其物色、遣使白於天神、于時、高皇産靈尊聞之而曰「吾所産兒、凡有一千五百座。其中一兒最惡、不順教養。自指間漏墮者、必彼矣。宜愛而養之。」此卽少彥名命是也。顯、此云于都斯。

 かんたん解説

ここで、あらためて少彦名命の出自について言及されています。文章の構成としては、もっと前の方にあるべきで、あとから付け足したような、変な位置に挿入されているように感じます。

五十狹狹之小汀(いささのをはま)

島根県の伊佐浜です。後年、国譲りの場面でも登場する海岸です。

白斂(かがみ)

カガミクサ・はくれんとも呼ばれる、中国原産の植物です。しかしカガミグサが日本に持ち込まれたのは江戸時代。

古事記では、ガガイモの実に乗ってきていることから、日本書紀の言うカガミも、ガガイモのことであろうとされています。

でも、海を渡ってきたにですから、個人的には、中国のカガミグサに乗ってきてもいいのでは?と思ったりしてます。

鷦鷯(さざき)

ミソサザイ。スズメぐらいの大きさで、全身が茶褐色の羽でおおわれ、黒褐色の縞模様があります。

すずめよりも丸っこい感じで、短い尾を立てる姿が可愛らしい小鳥ですよ。

高皇産靈尊

少彦名命の親は、古事記では神産巣日神(かみむすひ:神皇産霊尊)と記述されています。

高皇産霊尊と神皇産霊尊は、いずれも陽(男)で独神とされていますが、個性としては男女の別があるように感じます。ですから、イザナギ・イザナミと同じように夫婦的な側面もあるやもしれません。

となれば、神皇産霊尊の子は高皇産霊の子と言えますな。

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