第九段 本文①|皇孫瓊瓊杵尊の誕生~天穂日命の派遣

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皇孫「瓊瓊杵尊」誕生

天照大神の御子の正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊(まさ か あ かつ かち はや ひ あま の おし ほ みみ の みこと)は、高皇産霊尊(たかみむすひのみこと)の娘の栲幡千千姫(たくはたちぢひめ)を娶り、天津彦彦火瓊瓊杵尊(あまつひこひこほのににぎのみこと)を生みました。

皇祖(みおや)高皇産霊尊は、その御子を特に寵愛し心を込めてお育てになりました。

そして遂に、皇孫(すめみま)の天津彦彦火瓊瓊杵尊を立てて、葦原中国(あしはらのなかつくに)の君主にしようと考えました。

原文

天照大神之子正哉吾勝勝速日天忍穗耳尊、娶高皇産靈尊之女幡千千姬、生天津彥彥火瓊瓊杵尊。故、皇祖高皇産靈尊、特鍾憐愛、以崇養焉、遂欲立皇孫天津彥彥火瓊瓊杵尊、以爲葦原中國之主。

簡単な解説

瓊瓊杵尊

古事記では天孫という表現のところ、日本書紀では皇孫となっています。

皇祖神

そして皇祖が「高皇霊産尊」になってます。普通、皇祖と言えば天照大神ですよね。まるで高皇霊産尊が最高神であるかのような書きようです。嫁さんのお父さんなのに、、、皇祖?

もともとは、高皇霊産尊が最高神の神話だったものを、天照大神(女神)を最高神にするための記紀であるとも言われていますので、、、さもありなん。か。

正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊

誓約で天照大神の持ち物から生まれた五男神の長男。天照大神の御子として育てましたが、実際は素戔嗚尊が生みました。

ですから天忍穂耳尊には素戔嗚尊の血も流れているということになります。となれば、瓊瓊杵尊にも素戔嗚尊の血が流れているのです。

天穂日命の派遣

しかし、葦原中国には蛍火のように輝く神々や、蠅のようにうるさい邪神が多くいました。また、草木もそれぞれ精霊を持ち、うるさく騒いでいました。

そこで、高皇産霊尊は多くの神々を集めて、

「葦原中国の邪神を平定しようと思うが、誰を遣わせばよいだろうか。忌憚の無い意見を聞きたい。」

と尋ねられました。諸神は、

天穂日命(あめのほひのみこと)は、まことに傑出した神です。いかがでしょうか。」

と答えました。

そこで、皆の言葉に従って、天穂日命を平定させるために遣わしました。

しかし、この神は大己貴神(おほあなむちのかみ)に取り入って、三年経っても報告に戻りませんでした。

そこで、その子の大背飯三熊之大人(おほそひのみくまのうし)【亦の名は武三熊之大人(たけみくまのうし)】を遣わしましたが、これもまた父に従い、報告に戻りませんでした。

原文

然、彼地多有螢火光神及蠅聲邪神、復有草木咸能言語。故、高皇産靈尊、召集八十諸神而問之曰「吾、欲令撥平葦原中國之邪鬼。當遣誰者宜也。惟爾諸神、勿隱所知。」僉曰「天穗日命、是神之傑也。可不試歟。」於是、俯順衆言、卽以天穗日命往平之、然此神侫媚於大己貴神、比及三年、尚不報聞。故、仍遣其子大背飯三熊之大人大人、此云于志、亦名武三熊之大人。此亦還順其父、遂不報聞。

簡単な解説

蛍と蠅

天上から地上を見ると、蛍のように輝く神と蠅のようにうるさい邪神が入り乱れていると。

輝く神は天津で、邪神は国神。ヤマトと出雲の戦いの様子を表しているように思います。

天穂日尊(あめのほひのみこと)

天穂日命は、天忍穂耳尊の弟です。

二柱とも「穂」がついているので、もともとは農耕に係る神だったのでしょう。「穂」を「日」と呼んで、太陽の神という説もあります。

いずれにしても、天穂日命は天神ではありますが、記紀では大国主神に懐柔された裏切り者のレッテルを張られました。帰ってこなかっただけなのに、、、可哀想です。

葦原中国が経津主命らによって平定された後、大国主神に仕えるよう命令され、子の武三熊之大人(古事記:建比良鳥命)は出雲国造となり、出雲大社の神家となっていきます。

出雲はヤマト王権から見れば敵国。ですから、出雲は奈良時代にあっても貶められる立場だったのでしょう。

ちなみに、朝廷の葬儀関連を司った土師氏も、その末裔です。さらに、土師氏の子孫に菅原氏、すなわち菅原道真公が現れます。天穂日尊が天満宮に合祀されるのは、そのためです。

大背飯三熊之大人

「またの名を武三熊之大人という。」と記載されています。本来は武三熊之大人なのだと思います。

そこを敢えて「大背飯」という文字を使うあたり、「大変な背任の罪を犯した、三熊之大人」という意味合いを込めているのは明らかでしょう。

出雲国造とは、そういう位置づけなのです。

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