第九段 本文②|天稚彦の派遣~味耜高彥根神

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天稚彥の派遣

このため、高皇産霊尊は、再度諸神を集めて、遣わすべき神を尋ねました。

諸神は、

「天国玉(あまつくにたま)の子の天稚彥(あめのわかひこ)は剛健な神です。いかがでしょうか。」

と答えました。

そこで、高皇産霊尊は天稚彥に天鹿児弓(あめのかごゆみ)と天羽羽矢(あめのははや)を授けて遣わした。しかし、この神もまた忠実ではありませんでした。

葦原中国に着くと、すぐに顕国玉(うつしくにたま)の娘の下照姫(したてるひめ)【亦の名は高姫(たかひめ)、或は稚国玉(わかくにたま)】を娶って、その地に留まり

「自分もまた葦原中国を治めよう。」

と思って、報告に戻りませんでした。

高皇産霊尊は天稚彥がなかなか戻らないことを不審に思い、名無しの雉(きぎし)を遣わして、様子を窺わせました。

雉は飛んで降りて、天稚彥の家の門の前に植えられた神聖な杜木(かつら)の木の小枝に止まりました。

それを、天探女(あまのさぐめ)が見て、天稚彥に

「不思議な鳥が杜木の枝に止まっています」

と言いました。

天稚彥は、すぐに高皇産霊尊から授かった天鹿児弓と天羽羽矢で雉を射殺しました。

天稚彥の放った矢は雉の胸を貫通して、天上の高皇産霊尊の御前にまで届きました。

高皇産霊尊はその矢をご覧になって、

「この矢は、昔、私が天稚彥に授けた矢である。血が矢についているな。これはきっと国神と戦って血がついたのだろう。」

と言い、矢を下界へ投げ返しました。すると、その矢は天稚彥の胸に命中しました。

ちょうどその時、天稚彥は新嘗(にひなへ)の儀式の後で仰向きに寝ていたところだったので、あっという間に死んでしまいました。

これが、世の人が「反矢(かへしや)畏るべし」と云うことの謂れです。

原文

故、高皇産靈尊、更會諸神、問當遣者、僉曰「天國玉之子天稚彥、是壯士也。宜試之。」於是、高皇産靈尊、賜天稚彥天鹿兒弓及天羽羽矢以遣之。此神亦不忠誠也、來到卽娶顯國玉之女子下照姬亦名高姬、亦名稚國玉、因留住之曰「吾亦欲馭葦原中國。」遂不復命。是時、高皇産靈尊、怪其久不來報、乃遣無名雉伺之。其雉飛降、止於天稚彥門前所植植、此云多底婁湯津杜木之杪。杜木、此云可豆邏也。時、天探女天探女、此云阿麻能左愚謎見而謂天稚彥曰「奇鳥來、居杜杪。」天稚彥、乃取高皇産靈尊所賜天鹿兒弓・天羽羽矢、射雉斃之。其矢、洞達雉胸而至高皇産靈尊之座前也、時高皇産靈尊見其矢曰「是矢、則昔我賜天稚彥之矢也。血染其矢、蓋與國神相戰而然歟。」於是、取矢還投下之、其矢落下則中天稚彥之胸上。于時、天稚彥、新嘗休臥之時也、中矢立死。此世人所謂反矢可畏之緣也。

簡単な解説

再び派遣しました。派遣はすなわち武力による攻撃を意味するのでしょう。このように、ヤマト王権は出雲王朝に何度も何度も波状攻撃を仕掛けたのでしょうね。

古事記では、軍事派遣の相談には天照大神も参加していましたが、日本書紀では高皇産霊尊だけで行われています。

最高神としての高皇霊産尊が描かれているという見方がある一方、血なまぐさい軍事派遣から天照大神を遠ざけたという見方もあるようです。

天稚彦

まずは、神とか命とか尊とかの尊称がありません。そりゃそうでしょう。天穂日命とは違って、完全に反逆したのですから。

天鹿児弓と天羽羽矢

鹿のような大きな獲物を射るための弓と、大蛇をも射殺せる矢です。

反矢畏るべし

我々にはわからないのですが、、、昔は、、、

こちらで射た矢を相手に拾われると、矢に宿る霊力も相手にとられ、それを逆に射返されたら必ずこちらにあたるから恐ろしい、と言われていたようですよ。

天稚彥の葬儀

天稚彥の妻の下照姫が大変泣き悲しみ、その声は天上にまで届きました。

天国玉がその泣き声を聞いて、子の天稚彥がすでに死んだことを知り、疾風(はやち)を遣わして、屍(しかばね)を天に持ってこさせて、すぐに喪屋(もや)を造って(もがり)を行いました。

川雁(かわかり)を持傾頭者(きさりもち)持帚者(ははきもち)としました。
ある話では、鶏を持傾頭者とし、川雁を持帚者とした、といいます。】

そして、雀(すずめ)を舂女(つきめ)としました。

ある話では、川雁を持傾頭者と持帚者とにし、鴗(そび)を尸者(かたしろ)とし、雀を舂女とし、鷦鷯(さざき)を哭者(なきめ)とし、鳶(とび)を造綿者(わたつくり)とし、烏を宍人者(ししひと)とし、、すべてをいろいろな鳥に役を任せたといいます。】

このようにして、八日八夜、泣き・悲しみ、歌って偲びました。

原文

天稚彥之妻下照姬、哭泣悲哀、聲達于天。是時、天國玉、聞其哭聲則知夫天稚彥已死、乃遣疾風、舉尸致天、便造喪屋而殯之。卽以川鴈、爲持傾頭者及持帚者一云、以鶏爲持傾頭者、以川鴈爲持帚者、又以雀爲舂女。一云「乃以川鴈爲持傾頭者、亦爲持帚者、以鴗爲尸者、以雀爲春者、以鷦鷯爲哭者、以鵄爲造綿者、以烏爲宍人者。凡以衆鳥任事。」而八日八夜、啼哭悲歌。

 

簡単な解説

死者と鳥

葬儀の役割を鳥にさせました。古代より、死者と鳥には深いかかわりがあるようです。

「鳥類」という意味のラテン語の「aves」は、同時に「祖先の霊」とか「死者の魂」という意味もあるらしいです。

ローマの皇帝たちは、自分の火葬用の積み薪の上に鷲を放って、自分の霊魂を天界に運んでもらい、それで神格を得るという考えを持っていたらしいですし、

チベットの鳥葬は、魂が抜けた肉体を鳥によって天へ運んでもらうという考え方で行われるといいます。

日本神話では、日本武尊は無くなると白鳥となって飛んで行った、とあります。

古代の葬式儀式の一つで、

死者を本葬するまでのかなり長い期間、棺に遺体を仮安置し、別れを惜しみ、死者の霊魂を畏れ、かつ慰め、死者の復活を願いつつも遺体の腐敗・白骨化などの物理的変化を確認することにより、死者の最終的な「死」を確認すること。
引用元:Wikipedia

こんなの、我々には想像できないですね。

葬儀の役名

  • 持傾頭者(きさりもち)・・・死体を運ぶ役
  • 持帚者(ははきもち)・・・掃き清める役
  • 舂女(つきめ)・・・穀物を臼で搗く女。そういう風習があったらしい
  • 尸者(かたしろ)・・・死に装束になり、死者に代って弔問を受ける役
  • 哭者(なきめ)・・・哀れを添えるために泣く役の女
  • 造綿者(わたつくり)・・・死者の衣料を作る役
  • 宍人者(ししひと)・・・食事を供する役

味耜高彥根神

これより前、天稚彥が葦原中国にいた頃、味耜高彥根神味耜(あぢすきたかひこねのかみ)と友達だったので、味耜高彥根神は天に昇って、友の葬儀に参列しました。

すると、味耜高彥根神が天稚彥とよく似ていました。なので、天稚彥の両親・妻子らは皆、

「我が君(きみ)は生きていた!」

と言って、衣服や帯にすがりついて、喜び合いました。

味耜高彥根神は激怒して、

「友として葬儀に参列すべきである。であるがゆえに、穢れもはばからず、遠くからきて友の死を悲しんでいる。なのにどうして私を死人と間違えるのか!」

と言って、帯びていた大葉刈(おほはがり)【亦の名は神戸剣(かむどのつるぎ)と云う】を抜いて、喪屋を斬り倒しました。

これが落ちて山となりました。今、美濃国(みののくに)の藍見川(あゐみのかは)の川上にある喪山(もやま)がこれです。

世の人が生者を死者と間違えることを忌むのは、これが謂れです。

原文

先是、天稚彥、在於葦原中國也、與味耜高彥根神友善。味耜、此云婀膩須岐。故、味耜高彥根神、昇天弔喪。時此神容貌、正類天稚彥平生之儀。故、天稚彥親屬妻子皆謂「吾君猶在。」則攀牽衣帶、且喜且慟。時、味耜高彥根神、忿然作色曰「朋友之道、理宜相弔。故、不憚汚穢、遠自赴哀。何爲誤我於亡者。」則拔其帶劒大葉刈刈、此云我里、亦名神戸劒以斫仆喪屋、此卽落而爲山、今在美濃國藍見川之上喪山是也。世人、惡以生誤死、此其緣也。

簡単な解説

味耜高彥根神(あぢすきたかひこね)

古事記では天稚彦の妻で大国主神の娘の高比売(下照姫)の兄として登場します。天稚彦の友達です。

  • 「あぢ」は、すばらしいというような賛美のことば
  • 「すき」は、しき=磯城で、石畳とも地名とも
  • 「たかひこ」は、高比売との対であるとも、高い日の子とも

古事記では、迦毛大御神と紹介されていることからも、結構な格の神であることが判ります。
(最初から大御神と称されたのは、天照大御神と迦毛大御神だけ。)

喪山

伝承地は2つあります。

  • 岐阜県美濃市大矢田にあった「喪山天神社」
  • 岐阜県不破郡垂井町の「喪山古墳」

いずれにしても、喪屋が飛んできたので、大きな山ではないようですね。

生者を死者と間違えることを忌む

黄泉の国、すなわち死者の国で、伊弉諾尊は伊弉冉尊の死体を見てしまいました。そして、急いで生界に還って禊を行い穢れを祓いました。

このように、死者というのは最強の穢れなのでしょう。

きっと間違えられるだけで、穢れが身についてしまうと思われていたのでしょうね。

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