第九段 本文③|国譲り

2020年6月25日

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経津主神と武甕槌神

この後、高皇産霊尊は、またまた諸神を集め、葦原中国に遣わすべき神を選ぶことになりました。

皆は、

「磐裂(いはさく)・根裂(ねさく)神の子である磐筒男(いはつつのを)・磐筒女(いはつつのめ)の子、経津主神(ふつぬしのかみ)が良いでしょう。」

と申し上げました。

その時、天石窟(あめのいはや)に住む稜威雄走神(いつのをはしりのかみ)の子の甕速日神(みかのはやひのかみ)の子に熯速日神(ひのはやひのかみ)がおり、その熯速日神の子に武甕槌神(たけみかづちのかみ)がいました。

この武甕槌神が、

「どうして経津主神だけが丈夫(ますらを:勇者)なんだ?俺も勇者だぜ!」

と申し上げました。その語気は荒く激しかったので、武甕槌神に経津主神を副えて葦原中国に遣わしました。

経津主神と武甕槌神の二神は、出雲国の五十田狹之小汀(いたさのをばま)に降ってきて、十握劒を抜いて地面に逆さに突き立て、その切先にあぐらをかいて、大己貴神(おほあなむちのかみ)に言いました。

高皇産霊尊が皇孫を降臨させて、この地に君臨させようと考えておられる。そこで、まず我ら二神が邪神を駆逐し平定するために遣わされたわけだが、、、あなたの考えを聞かせて頂こう。退去するや否や。」

大己貴神は、

「う-む。それは重大なことであるがゆえに我が子に問い、その後に返事をすることとしよう。」

と答えました。

 原文

是後、高皇産靈尊、更會諸神、選當遣於葦原中國者、曰「磐裂磐裂、此云以簸娑窶根裂神之子磐筒男・磐筒女所生之子經津經津、此云賦都主神、是將佳也。」時、有天石窟所住神稜威雄走神之子甕速日神、甕速日神之子熯速日神、熯速日神之子武甕槌神。此神進曰「豈唯經津主神獨爲丈夫而吾非丈夫者哉。」其辭氣慷慨。故以卽配經津主神、令平葦原中國。

二神、於是、降到出雲國五十田狹之小汀、則拔十握劒、倒植於地、踞其鋒端而問大己貴神曰「高皇産靈尊、欲降皇孫、君臨此地。故、先遣我二神驅除平定。汝意何如、當須避不。」時大己貴神對曰「當問我子、然後將報。」

 かんたん解説

経津主神・武甕槌神

経津主神は、斎主神(いわいぬし)伊波比主神(いわいぬし)・布都怒志命(ふつぬし)布都努志命(ふつぬし)普都大神(ふつのおおかみ)などともいわれます。香取神宮の主祭神です。

武甕槌神は、建御雷之男神(たけみかづちのおのかみ)、建御雷神(たけみかづちのかみ)建布都神(たけふつのかみ)、豊布都神(とよふつのかみ)などともいわれます。鹿島神宮の主祭神です。

香取神宮と鹿島神宮は、利根川を挟んで対峙する格好で鎮座していて、いずれも中臣氏の本拠である常盤国にあることから、藤原氏の氏神として春日大社に勧請されました。

一説には、経津主神については、物部氏の氏神であったものを中臣氏が奪ったとも。

五十田狹之小汀(いたさのをばま)

出雲大社の近くにある、稲佐の浜のことです。

 

大己貴神の国譲り

この時、大己貴神の子の事代主神(ことしろぬしのかみ)は、出雲国の三穂之碕(みほのさき)で魚釣りをしていました。【或は鳥を獲っていたとも】

そこで、熊野の諸手船(もろたふね)亦の名は天鴿船(あめのはとふね)という】に使いの稲背脛(いなせはぎ)を乗せて遣わしました。

高皇産霊尊の命(みことのり)を事代主神に伝えて、返事を求めました。

事代主神は使者に、

「今、天神の勅(みことのり)をお聞きしました。父はお譲りすべきでしょう。私に異存はありません。」

と言いました。そして海中に八重の蒼柴の籬を造り、船枻(ふなのへ)を踏んで傾けて隠れました。

使いが戻って事代主神の返答を報告すると、大己貴神は、二神に子の言葉どおりに話して、

「我が頼りにしていた子はすでに隠れ去りましたので、私も去りましょう。もし私が戦えば、国中の諸神もきっと同じように戦うでしょう。しかし、私が隠れ去ったならば、皆も従うでしょう。」

と申し上げました。

そして更に、国を平定した時に使った広矛(ひろほこ)を二神に授けて、

「この矛は諸々の事を成し遂げました。天孫が、もしこの矛を用いて国を統治するならば、きっと上手くいくでしょう。では私は今より遠い遠い幽界に隠居することにします。」

と言い終わると、隠れてしまわれました。

そこで、経津主神と武甕槌神の二神は、多くの従わない鬼神等を誅殺し、天に戻り報告した。

【一説には、二神は、悪神や草・木・石の類を誅殺し、平定し終えましたが、ただ、星神(ほしのかみ)の香香背男(かかせを)だけが従いませんでした。

そこで、倭文神(しとりがみ)の建葉槌命(たけはつちのみこと)を遣わせると服従しました。そこで、二神は天に登って、事の次第を申し上げました。

 原文

是時、其子事代主神、遊行、在於出雲國三穗三穗、此云美保之碕、以釣魚爲樂、或曰、遊鳥爲樂。故、以熊野諸手船亦名天鴿船載使者稻背脛遣之、而致高皇産靈尊勅於事代主神、且問將報之辭。時、事代主神、謂使者曰「今天神有此借問之勅、我父宜當奉避。吾亦不可違。」因於海中造八重蒼柴柴、此云府璽籬、蹈船枻船枻、此云浮那能倍而避之。使者既還報命。

故、大己貴神、則以其子之辭、白於二神曰「我怙之子、既避去矣。故吾亦當避。如吾防禦者、國內諸神、必當同禦。今我奉避、誰復敢有不順者。」乃以平國時所杖之廣矛、授二神曰「吾、以此矛卒有治功。天孫若用此矛治國者、必當平安。今我當於百不足之八十隅、將隱去矣。」隅、此云矩磨泥。言訖遂隱。於是、二神、誅諸不順鬼神等、

一云「二神、遂誅邪神及草木石類、皆已平了。其所不服者、唯星神香香背男耳。故加遣倭文神建葉槌命者則服。故二神登天也。」

果以復命。

 かんたん解説

三穂之碕(みほのさき)

島根半島の東端。美保関灯台や美保神社などがあります。

香香背男(かかせを)

最後まで従わなかった神として日本書紀にだけ登場します。古事記には登場しません。

星の神とされています。

普通に考えて、太陽、月、星の三光は最も高尚な信仰対象となるべきものです。中国の北辰信仰はまさに星信仰ですし。

ところが、この第九段になって、やっとこさ「星の神」が現れました。しかも「従わぬ神」として。

しかも「従わぬ神」として登場するとは、、、

思えば、、、

  • 古事記によると、伊弉諾尊は特別な神として天照大神・月読尊・素戔嗚尊の三柱の神を生みました。
  • それぞれ、左目、右目、鼻(中央)から生まれました。
  • 日本書紀では、これらを日神・月神・粗野な神(従わぬ神)と表現しています。
  • 薬師寺の薬師三尊は、左に日光菩薩、右に月光菩薩、中央に薬師如来が配置されています。
  • 仏説北斗七星延命経では、北斗七星の破軍星=薬師如来=妙見菩薩とされています。

ということを考え合わせると、従わぬ素戔嗚尊もまた「星神」だったんじゃないかと思ったりします。

そういう意味で、香香背男と素戔嗚尊は重なるのです。

建葉槌命(たけはつちのみこと)

そんな香香背男を従わせたのが建葉槌命でした。倭文神とは織物の神です。

経津主神・武甕槌神という軍神たちでも服従させることができなかった香香背男を、なぜ織物の神が攻略できたのでしょうか。

いろんな説がありますが、私は次の説を推します。

織物の神としての側面でいうと、

  • 規則正しく織られていく様子は、秩序・規則の象徴である。
  • 和歌の世界では、倭文織の帯は男女の仲を縛るモノとして扱われる。
  • 苧環の糸で、大物主神の正体が暴かれた。

などから、織物の糸が荒ぶる神をからめとり縛りつけ、秩序化した(服従させた)と考えるという説です。

そこに、武神の側面も併せ持っているとも。

  • 建=武=猛々しい、葉=刃=武力、つ=の、ち=精霊

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