第九段 本文④|皇孫降臨と木花之開耶姫

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皇孫降臨

時ここに至り、高皇産霊尊は、真床追衾(まとこおふふすま)で皇孫の天津彥彥火瓊瓊杵尊を覆い、降臨させました。

皇孫は天磐座(あまのいはくら)を離れ、幾重もの雲を押し分けて、稜威(いつ)の道(ち)別(わき)に道(ち)別(わき)而(て)、日向の襲の高千穂峯(たかちほのたけ)に天降(あまくだ)られました。

このようにして、皇孫が進まれた姿は、奇霊の宿る二上山(ふたかみやま)の天浮橋(あめのうきはし)から、地上との間にある浮島の平なところに立たれ、膂宍の空国から丘続きに良き国を求めてながら進まれ、吾田(あた)の長屋(ながや)の笠狹碕(かささのみさき)に御着きになられました。

そこには、事勝国勝長狹(ことかつくにかつながさ)という者がおり、皇孫が、

「ここに国はあるのかないのか。」

と尋ねると、

「国はあります。どうぞゆっくりしていってください。」

と答えので、その地に住まわれました。

原文

于時、高皇産靈尊、以眞床追衾、覆於皇孫天津彥彥火瓊瓊杵尊使降之。皇孫乃離天磐座、天磐座、此云阿麻能以簸矩羅。且排分天八重雲、稜威之道別道別而、天降於日向襲之高千穗峯矣。既而皇孫遊行之狀也者、則自槵日二上天浮橋立於浮渚在平處、立於浮渚在平處、此云羽企爾磨梨陀毗邏而陀陀志。而膂宍之空國、自頓丘覓國行去、頓丘、此云毗陀烏。覓國、此云矩貳磨儀。行去、此云騰褒屢。到於吾田長屋笠狹之碕矣。其地有一人、自號事勝國勝長狹。皇孫問曰「國在耶以不。」對曰「此焉有國、請任意遊之。」故皇孫就而留住。

簡単な解説

真床追衾(まとこおふふすま)

床をおおう敷物という意味のこれは、寝るときに被る掛け布団になったり、座布団になったり、赤ちゃんのおくるみになったり。

ただし、これを使うことのできるのは天孫のみとのこと。

稜威の道別に道別て

「いつのちわきにちわきて」。神聖なる神威の道をかき分けかき分け進む様子です。

高千穂峯(たかちほのたけ)

一般に、宮崎県と鹿児島県の境にそびえる霧島連連山の第二峰である「高千穂峰」とされています。

第一峰は韓国岳(からくにだけ)。

高千穂宮の山頂には、天逆鉾が立ててあったそうです。坂本竜馬がそれを抜き取ったとも。

二上山

大きく見ると、霧島連山は高千穂峰と韓国岳という2つのピークを持ちます。二上山と言えなくもないです。

小さく見ると、韓国岳だけを見ても2つのピークがあります。ですから韓国岳のことを言っているのかもです。

膂宍の空国(そししのむなくに)

「そしし」は背中の筋肉という意味で、「むなくに」は痩せた土地という意味となります。つまり、背中の肉が少ないように痩せた土地という意味でしょう。

火山に囲まれた錦江湾沿岸部はシラス台地です。

シラス台地は稲作に適していませんから、そのことを言っているように思います。

笠狹碕(かささのみさき)

一般には、鹿児島県南さつま市加世田の「長屋山」あるいは「野間岬」あたりとされています。

古事記では、東からも西からも日が差す、韓国に向かう

高千穂に降り立った瓊瓊杵尊は、霧島連山の尾根を通っておりていき、シラス台地を避けて豊かな土地を求めて彷徨い歩いた結果、南さつまに辿り着いたのでしょう。

 

木花之開耶姫、御子を生む

この地に美しいお嬢さんがいました。名を鹿葦津姫(かしつひめ)といいました。【亦の名は神吾田津姫(かむあたつひめ)。亦の名は木花之開耶姫(このはなのさくやひめ)といいます。】

皇孫が、この美人に

「そなたは、誰の子か?」

と尋ねると、

「私は、天神(あまつかみ)が大山祇神(おほやまつみのかみ)を娶って生んだ子です。」

とお答えしました。

皇孫はそれを聞いて、その美女をお召しになりました。すると、一夜にして懐妊しました。

皇孫は信じられず、

「天神といえども、どうして一晩で人を身籠らせることができるだろうか。お前が身籠ったのは、私の子ではあるまい!」

とおっしゃいました。鹿葦津姫は怒り恨んで、出口のない小屋を作り、中に入り誓約して、

「私が妊娠したのが天孫の御子でなければ、必ず焼け死ぬでしょう!もし本当に天孫の子であれば、火の害を受けないでしょう!」

と言って、火をつけて小屋を焼き払いました。

はじめに立ち昇った煙の先から生まれ出た子を火闌降命(ほのすそりのみこと)といいます。
これは隼人等(はやとら)の始祖(はじめのおや)です。

次に熱を避けて生まれ出た子を彥火火出見尊(ひこほほでみのみこと)といいます。

次に生まれ出た子を火明命(ほのあかりのみこと)といいます。
これは尾張連等(をはりのむらじら)の始祖です

あわせて御柱の御子でした。

久しくして、天津彥彥火瓊瓊杵尊(あまつひこひこほのににぎのみこと)が崩御されました。そこで、筑紫の日向の可愛之山陵(えのみささぎ)に埋葬申し上げました。

原文

時彼國有美人、名曰鹿葦津姬。亦名神吾田津姬。亦名木花之開耶姬。皇孫問此美人曰「汝誰之女子耶。」對曰「妾是、天神娶大山祇神、所生兒也。」皇孫因而幸之、卽一夜而有娠。皇孫未信之曰「雖復天神、何能一夜之間、令人有娠乎。汝所懷者、必非我子歟。」故、鹿葦津姬忿恨、乃作無戸室、入居其內而誓之曰「妾所娠、非天孫之胤、必當滅。如實天孫之胤、火不能害。」卽放火燒室。始起烟末生出之兒、號火闌降命。是隼人等始祖也。火闌降、此云褒能須素里。次避熱而居、生出之兒、號彥火火出見尊。次生出之兒、號火明命。是尾張連等始祖也。凡三子矣。久之、天津彥彥火瓊瓊杵尊崩、因葬筑紫日向可愛此云埃之山陵。

簡単な解説

大山祇神(おほやまつみのかみ)を娶(めと)り

ということは、大山祇神は女神ということになりますね。

「山の神は女神である。よって女人禁制なのである。」なんていいますから、それはそれでよしなんですが、、、

古事記では、大山津見神と鹿屋野姫神が結婚して、山や野のいろんな所に宿る神々を生んだとあります。ここでは男神となってます。

そもそも、自然信仰における山の神は女神だったのでしょう。それが神話に取り込まれる中で男神となり、山の神としての神格は娘神に受け継がれていった、、、みたいな解釈にしておきましょうか。

だって、日本一の富士山の神は「木花之佐久夜毘売命」ですから。

火闌降命(ほのすそりのみこと)

ここでは第一子として生まれました。そして隼人の祖と紹介されています。古事記でいうところの海幸彦ですね。

彥火火出見尊(ひこほほでみのみこと)

ここでは第二子として生まれました。古事記では火折尊(ほおりのみこと)で第三子として生まれます。三柱のうち「尊」はこの一柱だけ。そうです。一番尊い神なのです。この後、神武につながる神ですから。となれば、山幸彦です。

可愛之山陵(えのみささぎ)

薩摩川内市宮内町。薩摩國一之宮「新田神社」の境内にある神亀山を可愛山陵に治定しています。

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