第九段 一書(1)①|葦原中国平定

2020年6月22日

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天稚彦と味耜高彦根神

ある書では、このように伝えられています。

天照大神天稚彦(あめのわかひこ)に勅(みことのり)して

「豊葦原中国は我が子が王となるべき地である。しかし、強暴で横暴な残虐な神どもがいる。まずは、あなたがまず平定してくるように。」

と命じ、天鹿児弓(あめのかごゆみ)と天眞鹿児矢(あめのまかごや)を授けて遣わしました。

天稚彦は勅を受けて降りてきましたが、多くの国神の娘を娶り、八年経っても報告しませんでした。

この為、天照大神は思兼神(おもひかねのかみ)を呼んで、に天稚彦が戻らない訳を尋ねた。

思兼神は、よく考えたのち、

「雉を遣わして調べるのがよろしいいかと。」

と申し上げました。さっそく、雉を遣いに行かせました。

雉は、飛び下り、天稚彦の家の門前の神聖な杜(かつら)の枝に止まり、

「天稚彦よ。どうして八年もの間、報告に戻らないのか。」

と訊ねました。

その時、国神の天探女(あまのさぐめ)がいて、雉を見て、

「鳴き声の悪い鳥が木の上にいます。射てください。」

と言いました。天稚彦は、すぐに天神から授かった天鹿児弓と天眞鹿児矢で射殺しました。

その射た矢は雉の胸を貫き、天神の所にまで届きました。その矢をご覧になった天神は、

「これは昔、私が天稚彦に授けた矢である。今頃になって、なぜ届いたのだろうか。」

とおっしゃられ、矢を取り上げて、呪いをかけて、

「もし悪心(きたなきこころ)で射たのなら、天稚彦はきっと当たって災いに遭うだろう。もし正しい心で射たのならば、当たらないだろう。」

と誓約(うけい)して、投げ返されました。

その矢は天稚彦の胸に当たり、たちどころに死んでしまいました。

これが世の人が「返矢(かへしや)恐るべし」と云う謂れです。

そこで、天稚彦の妻子が天から降りて来て、柩(ひつぎ)を持って天に昇り、喪屋(もや)を作って殯(もがり)をして泣き悲しみました。

以前より、天稚彦と味耜高彦根神(あぢすきたかひこねのかみ)とは友でした。なので、味耜彦根神は天に登って弔問に訪れ、泣き悲しみました。

ところで、この神の容姿は天稚彦と大変よく似ていました。なので、天稚彦の妻子たちは味耜高彦根神を見て喜び、

「我が君は生きておられた。」

と言って、衣服や帯にすがりついて離れませんでした。

味耜高彦根神は怒って、

「友が亡くなり弔問に来たのに、どうして死者と私を間違えるのか。」

と言い、十握剣を抜いて、喪屋を斬り倒しました。その喪屋が落ちて山となりました。

これが美濃国(みののくに)の喪山(もやま)です。世の人が死者を自分と間違えることを忌(い)むのは、これが謂れです。

時に、味耜高彦根神は容姿端麗で、二つの丘二つの谷の間に照り輝いていました。そこで、集まった弔問の人々が歌を詠みました。

ある話では、味耜高彦根神の妹の下照媛(したてるひめ)が、集まった人々たちに、丘や谷に照り輝くのは味耜高彦根神である、と教えようと思って歌を詠んだといいます。

天にいる機織女(はたおりめ)が、首にかけている玉の首飾り。そのように麗しく、丘や谷二つに渡って輝いている。味耜高彦根神よ。

また、歌を詠んだ。

田舎娘が渡りなさる 狭門の石川の片淵。その淵に片網を張り渡し、その網の目に引き寄せるように、魚よ寄っておいで。石川の片淵で。

この二首の歌は今、夷曲(ひなぶり)といいます。

 原文

一書曰、天照大神、勅天稚彥曰「豐葦原中國、是吾兒可王之地也。然慮、有殘賊强暴横惡之神者。故汝先往平之。」乃賜天鹿兒弓及天眞鹿兒矢遣之。天稚彥、受勅來降、則多娶國神女子、經八年無以報命。故、天照大神、乃召思兼神、問其不來之狀。時思兼神、思而告曰「宜且遣雉問之。」於是、從彼神謀、乃使雉往候之。其雉飛下、居于天稚彥門前湯津杜樹之杪而鳴之曰「天稚彥、何故八年之間未有復命。」時有國神、號天探女、見其雉曰「鳴聲惡鳥、在此樹上。可射之。」天稚彥、乃取天神所賜天鹿兒弓・天眞鹿兒矢、便射之。則矢達雉胸、遂至天神所處。時天神見其矢曰「此昔我賜天稚彥之矢也。今何故來。」乃取矢而呪之曰「若以惡心射者、則天稚彥必當遭害。若以平心射者、則當無恙。」因還投之、卽其矢落下、中于天稚彥之高胸、因以立死。此世人所謂返矢可畏緣也。

時、天稚彥之妻子、從天降來、將柩上去而於天作喪屋、殯哭之。先是、天稚彥與味耜高彥根神友善。故味耜高彥根神、登天弔喪大臨焉。時此神形貎、自與天稚彥恰然相似、故天稚彥妻子等見而喜之曰「吾君猶在。」則攀持衣帶、不可排離、時味耜高彥根神忿曰「朋友喪亡、故吾卽來弔。如何誤死人於我耶。」乃拔十握劒、斫倒喪屋。其屋墮而成山、此則美濃國喪山是也。世人惡以死者誤己、此其緣也。時、味耜高彥根、神光儀華艶、映于二丘二谷之間、故喪會者歌之曰、或云、味耜高彥根神之妹下照媛、欲令衆人知映丘谷者是味耜高彥根神、故歌之曰、

阿妹奈屢夜 乙登多奈婆多廼 汚奈餓勢屢 多磨廼彌素磨屢廼 阿奈陀磨波夜 彌多爾 輔柁和柁邏須 阿泥素企多伽避顧禰

又歌之曰、

阿磨佐箇屢 避奈菟謎廼 以和多邏素西渡 以嗣箇播箇柁輔智 箇多輔智爾 阿彌播利和柁嗣 妹慮豫嗣爾 豫嗣豫利據禰 以嗣箇播箇柁輔智

此兩首歌辭、今號夷曲。

 かんたん解説

第九段の本文と比べると、ストーリー的には大きな違いは無いものの、

  • 天稚彦の派遣を天照大神が行った(本文は高皇霊産尊)
  • 天稚彦の派遣を考えたのが思兼神(本文は高皇霊産尊自身)

思兼神は高皇霊産尊の御子です。

天孫降臨に際して、「祀り」は天孫が行い、思兼神は「政り」を行うよう命令されました。これは、天照大神が「祀り」・高皇霊産尊が「政り」というように分担されているのと同じです。

天照大神の役割は天孫に引き継がれ、高皇霊産尊の役割は思兼神に受け継がれる。本文と一書(1)の書き換えは、そのような図式を示しているように思えます。

 

国譲り

というようなことで、天照大神は、思兼神の妹の萬幡豊秋津媛命(よろづはたとよあきつひめのみこと)を正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊(まさかあかつかちはやひあまのおしほみみのみこと)に娶らせて妃とし、葦原中国にお降ろしになりました。

この時、勝速日天忍穂耳尊は天浮橋に立って見下ろして、

「あの国は、まだ平定されていないようだ。気に入らない、穢れた国だ。」

とおっしゃられて、帰ってこられ、降りなかったその状況を詳しく申し上げられました。

そこで天照大神は、今度は武甕槌神(たけみかづちのかみ)と経津主神(ふつぬしのかみ)を先に行かせて平定させました。

この時、二神は出雲に降り立ち、大己貴神(おほなむちのかみ)に、

「あなたはこの国を天神に献上するか否か。」

と尋ねました。大己貴神は、

「我が子の事代主(ことしろぬし)は鳥を捕りに行き、三津之碕(みつのみさき)にいますので、聞いてからご返事します。」

と答えました。そこで、使いを遣わして訪問させました。

「天神がお求めとあらば、なんで献上しないと言えましょう。」

と答えました。大己貴神は、事代主の返事どおりに、二神に答えました。

そこで、武甕槌神と經津主神の二神は天に昇り、

「葦原中国はすっかり平定し終えました。」

と申し上げました。

 原文

既而天照大神、以思兼神妹萬幡豐秋津媛命、配正哉吾勝勝速日天忍穗耳尊爲妃、令降之於葦原中國。是時、勝速日天忍穗耳尊、立于天浮橋而臨睨之曰「彼地未平矣、不須也頗傾凶目杵之國歟。」乃更還登、具陳不降之狀。故、天照大神、復遣武甕槌神及經津主神、先行駈除。時二神、降到出雲、便問大己貴神曰「汝、將此國、奉天神耶以不。」對曰「吾兒事代主、射鳥遨遊在三津之碕。今當問以報之。」乃遣使人訪焉、對曰「天神所求、何不奉歟。」故、大己貴神、以其子之辭、報乎二神。二神乃昇天、復命而告之曰「葦原中國、皆已平竟。」

 かんたん解説

やはりここでも、天照大神と思兼神のコンビで、高皇霊産尊は登場しません。

萬幡豊秋津媛命(よろづはたとよあきつひめのみこと)のことを、高皇霊産尊の娘の~と紹介せずに、思兼神の妹の~と紹介するあたり、高皇霊産尊を敢えて消しているようにも思えます。

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